講演会「二曲城の発掘調査」

金曜日の晴天一転、土日は雪降る天候となりました。特に昨日の強風は凄まじいものがありました。
鳥越一向一揆歴史館
本日は白山市の鳥越一向一揆歴史館の友の会総会の日でした。合わせて、講演会「二曲城の発掘調査」というテーマで石川県埋蔵文化財センターの西野氏による講演会でした。二曲城は「ふとげじょう」と読みます。
昨年も現地説明会には参加しましたが、二曲城の発掘調査も4年を経過し、来年度は5年という節目を向かえ、最終調査と整備計画立案となるようです。
規模は鳥越城には及ばないものの、中世の詰の城としての形式が良好に残っているので、鳥越城とともに史跡として後世に伝えられる良い整備を期待します。
行きは吹雪の中でしたが、講演が終わる頃には青空も一部顔を出し、雪に覆われた鳥越城と二曲城を写真に収めました。
鳥越城
鳥越城
二曲城
奥の山上が二曲城の「一の郭」

金沢城 鯉喉櫓台に見学場所

金沢城河北門等の復元整備専門委員会は21日、石川県庁で開かれ、宮守堀の水堀化で県側は、石垣復元後の鯉喉櫓(りこうやぐら)台を見学スペースとして開放する設計案を示した。安全柵で囲い、段階復元する宮守堀などについての解説板を設ける。
辰巳用水を取り入れる宮守堀は兼六園からの流下水の60%を取水し、自然流下で近江町用水に排水することで、堀水を二日間で入れ替える。
昨年11月に起工した河北門復元では、発掘調査の結果などを受け、ニラミ櫓台の東西南北の石垣の形式を決めた。北面は現状の「割石積」を一部積み直した上部に「粗加工石積」を復元する。二の門では三月上旬から石垣を積み始め、七月に完了する予定とした。
県は年度内に宮守堀の実施設計を仕上げ、新年度から工事に着手、河北門の復元と併せ2010年春の完成を目指す。(北國新聞2008年2月22日付記事より)

能登畠山氏入封600年記念事業

能登畠山氏が能登一国の守護となって600年の節目を飾る記念事業の第1回実行委員会は19日、七尾市役所で開かれ、同氏にちなんだ催しの概要が決まった。シンポジウムや七尾城検定、慰霊法要などが行われ、七尾城の魅力と室町期に花開いた「畠山文化」を発信する。同事業は今年9、10月を中心に約20の催しが実施される。(北國新聞2008年2月20日付記事)

高岡城 石垣沿いに散策路

高岡市は新年度、高岡古城公園(高岡城跡)で、藩政期から残る石垣を間近に見られる散策路を整備する。城跡の本格的な発掘調査に向けた基本計画を策定するほか、新しい整備計画策定の前段となる活用方針の検討も行う。
高岡城跡の二の丸から本丸に続く土橋にある石垣は、藩政時代から残る数少ない遺構となっている。ただ、石垣の下は堀になっているため、見学しにくいのが実情だった。整備にあたっては城跡の構造に影響を及ぼさないよう配慮するほか、朝陽橋の欄干の改修や樹木の剪定も行う。
発掘調査は国指定史跡を目指したもので、2009年度にも着手する。新年度は基礎資料調査と発掘範囲の検討を行う予定である。(北國新聞2008年2月19日付記事より)
高岡城
写真は3年前のものであるが、最近もあまり変わっていなかった。冬は草が枯れてもう少しよく石垣が見えるであろうが、石垣の上がちょうど射水神社への参道となっており、下は水堀であり、今までの注目度は決して高くない状態であった。整備されるであれば、石垣付近だけではなく、水堀の清掃や近くの公共施設の撤去(路上駐車が多すぎる)などもお願いしたい。

金沢城河北門復元 平瓦完売

金沢城の河北門復元整備にあわせて行われている寄進事業で、平瓦の申込みが予定していた350枚に達し、受付を終了した。
一口5,000円で完売した平瓦の内訳は、個人が296口、団体が54口。
同じく一口5,000円で申込みを受け付けている壁板は2940枚と多く、12日現在で個人186口、団体270口となっており、この数からすると、個人で平瓦のみ選択した人がかなりいるようだ。
久しぶりに寄進のホームページを覗いてみると、平瓦完売の文字と予約受付のためにWEBフォームが新設されている。
「壁板・瓦の寄進」について
平瓦では寄進総額175万円であり、復元費用にはほど遠い。名前が残るのもひとつ記念になるのだが、先の菱櫓・五十間長屋の復元整備の際は一口8,000円で鬼瓦のミニチュアが贈られたことを記憶している。今回はこのような物で手元に残るものがないので、そういうもので別口の寄付を大々的に行なうことも県民の盛り上がりには必要ではなかろうか。というよりも私自身が何か欲しい。それこそ、戸室石でも復元図面でも何でも良いのだが。
河北門の復元工事では県民や観光客向けに工事見学会を5月頃から10回程度開催する予定のようだ。これまた前回の菱櫓のときは見学会は行われていたが、参加方法がよく分からなかった。今回は広く一般にも広報されるようで楽しみである。

辰巳用水 三段石垣で堅固に守る

今朝の地元北國新聞に以下の記事が出た。
「金沢市辰巳町で13日までに、辰巳用水の維持管理のために造られたとされる三段石垣が全長260m、高さ6-8mの壮大な全容を現した。最上面に辰巳用水が流れる三段石垣は長らく草木の茂みに覆われて隠れていたが、金沢市埋蔵文化財センターが昨年11月から伐採を進めていた。センターは石垣の調査を進め、辰巳用水の国史跡指定への弾みとする。」(北國新聞2008年2月14日付)
そこで、場所を聞いて見に行って来ました。
辰巳用水
その場所は、以前行ったことのある場所でした。犀川が左側へ蛇行する道路を挟んで、辰巳用水は山をくり貫いて流れています。前回来た時は全く気がつきませんでした。
それにしても、石垣は長く、段になっているところもあれば、一段で一気に造っている場所もあり、城の石垣と比べても劣らない景観です。
辰巳用水
辰巳用水
下の場所が新聞に載った場所です。新聞記事では三段石垣部分のみが開渠となっているとのことでしたが、雪が深く足場が悪かったので確認できませんでしたが、素晴らしい造りでした。
辰巳用水
辰巳用水
辰巳用水
辰巳用水
春になったらまた行きましょう。平日こうやって行動するのはそろそろ終わりですが・・・

加賀藩の偉大な測量家、そして高岡城石切場へ

連休最後の今日は良い天候でしたね。午前中は青空が広がっていましたが、午後から曇ってきてちょっと残念でした。雪の影響がなかったので予定していた富山県へ出かけました。
最初は、射水市新湊博物館(旧、新湊市博物館)です。現在、「射水の町・村」というテーマで企画展が開催されており、江戸時代後期に射水市で生まれた加賀藩の偉大な測量家であり和算家であった石黒信由の描いた測量絵図の数々を見てきました。ここを訪れたのは初めてで、企画展だけではなく、常設展もゆっくりと見てきました。
射水市新湊博物館
金沢城二の丸御殿炎上による藩内絵図の消失が契機で、その技術を藩に認められ、地元射水郡だけではなく、越中婦負郡、越中新川郡、越中砺波郡の越中4郡と能登4郡、河北郡、石川郡、能美郡、江沼郡と加賀藩と富山藩・大聖寺藩の加越能全域を測量調査しています。その絵図は縮小されて、復刻絵図として販売されていました。古図や地図が好きな方にはお勧めの場所、企画展(今月24日まで)です。
富山市郷土博物館
続けて富山市内へ移動して、富山市郷土博物館で開催中の企画展「物語の中の佐々成政」を見てきました。江戸時代、物語絵本の中で佐々成政が描かれた箇所を10点ほど展示していました。こちらは期待して程ではありませんでした。
物語の中の佐々成政
もうすぐ公開の千歳御門は囲いが外されて、最終調整が行われていました。
千歳御門
最後に氷見市の海岸へ行き、先日も地元新聞で特集された雨晴海岸の義経岩を見てきました。
雨晴海岸
そこには海岸越しに見える絶景が・・・というのを期待していたのですが、生憎の曇り空で立山連峰の絶景は拝めませんでした。上の写真は観光駐車場の看板です。今日の様子は下の写真。
雨晴海岸
ここjに来た目的は、義経岩が高岡城の石切り場の一つであり、矢穴(石の切出しの際につくノミの跡)のある石がある、という情報からその石を見たいということでした。
義経岩
線路脇の岩の上には社があり。海岸部の岩にはいくつもの穴が空いています。穴は倒壊を防ぐようにセメントで固められていました。
まずは、岩の周りを1周。さらにもう1周。洞窟内をぐるぐるぐるぐる。周りの人から見れば、何をしているのか分からなかったでしょうね。岩は波の浸食を受けて、デコボコが多く、これが矢穴である、と特定できるものはなかなか見つかりませんでした。
その中でもこれはそうかな?というものを2つ見つけました。
ますは、海岸部の岩の支柱外側の石に見つけた4つの穴。矢穴をつけたものの割らずに終わった形跡にも見えます。
義経岩
そしてもう一つ。こちらは社のある岩の裏側で見つけた石に1つの穴。穴に沿って細く割れたような線がついていました。1つの穴というのは矢穴としては断定しにくいのですが、矢穴を入れた際に思う方向と違う割れ目となったので中止したようにも見えます。
義経岩
私は多くの石切の形跡を期待していたので、そういう意味では少し残念な結果でした。

金沢城・兼六園ライトアップ

「金沢城物語」として春・夏・秋・冬の年4回開催されているライトアップイベントは2年目(3年目?)を迎えて恒例となってきた感もありますが、今晩も大勢の方がライトアップ目当てに来ていました。
金沢城・兼六園ライトアップ
金沢城・兼六園ライトアップ
昼以降の雨で雪は大分消えてしまいましたが、それでもところどころ雪を残しており、昨年よりは冬らしいライトアップとなりました。が、始まる頃には雨はさらに強さを増し、金沢城は多数のカラスが空を舞う異様な雰囲気でした。三ノ丸芝生の上や建物の屋根はカラスで埋め尽くされ、一体建物を写しているか、カラスを写しているのか分からないような状況でもあったので、早々に兼六園へと移動しました。
夜景はただでさえ写真が難しいのに、降り止む気配のない雨のため、撮影は困難を極め最新のデジカメでも多くの写真がピンボケしてしまい、数枚が何とか使用できる状態でした。せめて雨が降っていなければもう少し良い写真が撮れるのですが・・・。
金沢城・兼六園ライトアップ
金沢城・兼六園ライトアップ
金沢城・兼六園ライトアップ
しかし、冬の兼六園は雪がなくとも、雪吊りなど風情があってとてもよいです。園内のほとんどはオレンジ系のライトアップですが、瓢池だけはミドリ系のライトアップとなっており雰囲気が違っていました。
金沢城・兼六園ライトアップ
周りの人たちも写真を撮っていましたが、やはり時代でしょうか。半分ぐらいのひとは携帯電話。性能が良くなったとはいえ、コンパクトデジカメと比べれば一世代も二世代も以前のものと同性能のため、とてもピンボケなしにはとれないと思いますが、携帯をかまえて写真とっている姿は何とも言いがたいですね。

金沢御城中壱分碁絵図の魅力

先日紹介した「加賀藩・歴史文化護持協力会」の賛助会員として入会しました。初年度入会特典の「金沢御城中壱分碁絵図」が送られてきました。ナンバーは「122」とあります。
私は当初復刻城絵図のみが贈られると思っていたのですが、ケースの中には、解説と袋も入っていました。この袋は「金沢御城中壱分碁絵図」が入っていた収納袋を復刻しています。表には確かに「文政13年」の文字が書かれてあり、裏には絵図の色づけが「畳」「板」「土居」など説明されています。城絵図の復刻は珍しくはないですが、収納袋まで復刻することは大変珍しいのではないでしょうか。こうして一式でマジマジと見るといろいろな発見があって面白いです。
現在の尾山神社(当時、金谷御殿)には「綿羊小屋」があるな、当時米蔵だった堂形にも「門」があるな(当然といえば当然だが・・・堂形門跡遺構の話は聞いたことがない)、当時の極楽橋の下は水堀なのか、玉泉院丸の池には浮島が3つあるな、など時間がいくらあっても足りないので、楽しみは今後に取っておくことにしました。
金沢御城中壱分碁絵図
すでにこの城絵図の魅力に取り付かれていますが、金沢市玉川図書館の近世資料館では実際の絵図が研究者でなくとも閲覧できるようなので、時間があるときに一度訪れてみたいと思っています。

平成19年度金沢城大学 「石切丁場と石垣普請」

平成19年度金沢城大学 「石切丁場と石垣普請」
金沢城大学 歴史文化コースも今日で終わりです。今回は金沢城調査研究所の冨田氏による「石切丁場と石垣普請」という講演でした。冨田氏には城内石垣ツアーやキゴ山ツアーなどで何度か石垣に関する解説を聞かせてもらいましたが、こういう学習タイプの講演は初めてでした。
金沢城の石材研究も、すでに他地域の石材利用との比較というステージにあるようですが、石垣といえば今でも「刻印」が気になる人が多いようです。
以前は家臣の家紋と言われていましたが、天下普請の城でない金沢城では最近はその説は違うと言われています。現在は石切集団単位の縄張りを示す印と言われていたり、そもそも家臣の家紋と最初に言われた根拠となった絵図上の記号も、1,2,3,・・・、イロハニ・・・のような序列を表すものに過ぎないのではと言われていたりするそうです。この謎はタイムマシーンに乗って、当時に人に聞きに行かないと本当のところは分からないのかもしれません。
講義終了後、閉所式が行われ修了証書をいただきました。2年間受講しましたが、興味の尽きない、貴重な話題を提供してもらいました。来年度も続くそうですが、私は就業形態が変わるので来年度は受けることはできないでしょう。もしこの先何十年も続くようであれば、また受けたいと思います。
平成19年度金沢城大学
そういえば、「よみがえる金沢城」(北國新聞社刊)ですが、来春には第二巻がでるようです。楽しみですね。