「旧県庁舎南ブロックの保存改修に向け、県は7日から、埋蔵文化財調査に着手する。調査期間は8月末までで、今秋には県庁跡地整備で初めてとなる建物の工事が始まる。調査は南ブロック北側約900平方メートルの増築部分が対象となる。金沢城調査研究所によると、一帯はかつて堂形と呼ばれ、絵図や文献では江戸前期には加賀藩の米蔵などがあったとされており、遺構の有無などを調べる。」
「最高裁は2日までに、金沢地裁の庁舎を金沢市丸の内の現在地で立て替える方法を固めた。最高裁によると、新庁舎の建設は五年計画で進められ、2010年度に着工、12年度の完成を目指す。今年度は敷地の埋蔵文化財調査と基本・実施設計を行う。」(北國新聞2008年5月3日付記事)
金沢城の南と北で同時に埋蔵文化財調査が行われることになりました。旧県庁のほうは堂形の遺構に期待しますが、金沢地裁のほうは御山坊舎の頃の門前町の遺構など見つかれば大発見ですね。
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金沢城 河北門復元はどんどん進む
先日の祝日、金沢城も訪れました。河北門復元現場は一週間ほどで二の門石垣が一段以上積まれていました。積み直しではないのでやはり早いですね。ゴールデンウィーク中に一度ぐらい見学会があるかと思っていましたが、積み終わった頃にするのでしょうか。どんどん進むので何度通っても新しい風景が見られて楽しいですね。
これ以上高くなると内側の栗石が見えなくなりそうです。三の丸側の見学台は低いし、新しく作った一の門前の見学台にも入れるようにして欲しいですが・・・
西側に廻ると、この3月に復元整備の終わった玉泉院石垣があります。石垣上の体育館はすでに営業終了し、取り壊しを待つばかりです。しかし、折角の石垣の下半分を土盛りで隠してしまうのはもったいないです。ちょっとカッコ悪いですし・・・、見慣れてないだけなのか
橋場町交差点で行われていた東惣構堀見学所の工事は石塁部分がかなり進んでいました。昨年の年度末までに整備完成予定だったのが、年末の工事業者の倒産により遅れに遅れて6月末に完成予定のようです。完成によって惣構が注目されるようになれば良いですね。
金沢城 河北門復元 石垣積み始める
今年度に入りいよいよ復元整備が始まりました。ちょっと行っていなかった間に、あっという間に二の門の石垣は高いところで三段積まれていました。二の門の石垣復元は8月初めまで続くようです。現在積まれた石垣を良く見ると、最下段の下には根石があり、石垣の内側に裏込石が詰められていました。他の高さから推測するに、今見えている下2段ほどは埋まってしまうかもしれません。
昨日は土曜日でしたが、作業は行われており、石垣の加工が行われていました。石垣は切り込みハギで、金沢城特有の縁を数センチ削る加工をしていました。かなり細かい作業でしたが、休日に作業風景を見ることができて良かったです。
一の門の石垣復元作業は9月まで続くようですが、現在見学用の足場が組まれていましたがまだ入ることはできませんでした。石垣には1つ1つに番号札が貼られ、積み直されるのでしょうか。
石川門から入ったところには今回の河北門復元の寄進事業の案内板がありました。案内板には寄進事業での記入例が示されていました。自分はすでに申込みはしてありますが、実現はいつでしょうか?いまから何を書くか決めておかないといけないですが、それにしても楽しみですね。
金沢城 春の夜桜
春ですね。春と言えばやはり桜です。東京のほうは大荒れのようですが、ここ金沢は青空も広がる良い天候の中、桜が満開となりました。明日からは雨の予報なので、夜桜を見るには今日しかない!!
ということで金沢城と兼六園無料開放へ行ってきました。その前に、ライトアップされた県立歴史博物館に寄りました。入口の桜が満開でした。
金沢城は人でいっぱいでした。冬のライトアップに比べると散策できる範囲が広いですね。二の丸をぐるいと一周できました。
兼六園も人でいっぱいでした。桜もきれいでしたが、桜の場所は人でいっぱいで写真も撮っても桜が写っているのか人が写っているのか分からないのでちょっと変わった風景を・・・
ひさご池の湖面には満開の桜が映り、緑っぽいライトアップとともに幻想的な雰囲気を醸し出していました。
金沢城玉泉院丸 石垣修復3度やり直し
金沢城玉泉院丸跡南西石垣の修復工事で、作業完了までに三度にわたって石を積み直していたことが30日までに分かった。工事は大阪の石材業者の指導で行われ、作業途中で元の姿に復元できない恐れが出たため、再三やり直しとなった。藩政期の石垣築造技術の高さを示した形で、工事を発注した県公園緑地課は「積み直しは想定内」とする一方、関係者からは「県内にも優れた技術を持つ石工がおり、初めから任せれば積み直さずに済んだかもしれない」との声が上がっている。
作業は大阪の石材業社の指導を受け、金沢市内の石材業社の職人三人が取り組んだ。大阪の業者は大阪城や姫路城、熊本城など全国の有名城郭で石垣の築造・修復に携わった実績があるといい、金沢の現場を五、六回訪れ、石積みは初めてとなる職人に助言した。
最初の積み直しは石を三段まで積んだ段階で行われた。現場を訪れた大阪の石材業社や学者らでつくる石垣修復指導委員会が石垣の角度などを見て、解体前と同じ姿にならないと判断、最下段の一列を残してやり直すことになった。
二度目は五段前後まで積み上げた昨年12月下旬、三度目は七段程度まで復元した1月上旬にいずれも最初と同じ理由で積み直しとなった。三度目では、石垣積みに長い経験を持つ県内の石工に助言を求め、修築工事は3月上旬に完了した。
県内の石材業社からは「助言を求められた、県内一の腕前の石工が初めから手掛ければ、三度も積み直さずに済んだのではないか」との声が聞かれる。県公園緑地課は、修築工事に従事した職人は城郭の石垣工事が初めてであり、石を加工しないなどの制約のある中で工期内に完了したことを挙げ、「積み直しは想定の範囲内。工事はむしろ順調だった」としている。(北國新聞2008年3月31日付記事より)
熊本城本丸御殿完成!!
久しぶりに熊本城の城主だよりが届きました。築城400年祭も大詰めを迎え、今号が最終号ということです。
本丸御殿は加藤清正が主君である秀頼を迎えて籠城できるように、「昭君之間」や「闇(くらが)り通路」を造ったと言われている。それが復元されたということであるから一度は見ねばなるまい。
結局400年祭中には訪問できそうにないが、一年内には訪れたいと考えている。今回は「本丸御殿来園記念品引換券」が入っていた。記念品として和手拭がもらえるらしい。
福井 一乗谷朝倉氏遺跡発掘調査現地説明会
今日は昨日の雨もあがり良い日となりました。昨年日本百名城スタンプラリーで訪れた福井県の一乗谷朝倉氏遺跡はとても気になる場所の発掘調査中でしたので、本日の現地説明会は参加する予定でいましたが、先日新聞報道されたことでたくさんの人出が予想されます。
まずは早めに到着して入口の資料館で情報収集です。新聞報道の遺物は資料館ではなく、現地説明会で見ることができるということでした。
第124次(すごい数ですね)となる今年度の発掘調査は、上城戸から朝倉館跡までの発掘空白地帯の城下町調査として諏訪館跡の下段の平端部(もと水田)の調査でした。一乗谷は水田に作りかえられたとき、厚く土を盛って開墾されたために、遺跡が良好に残っている可能性があるそうです。
もともと親族や近親者の館跡に近い区画であったので、上級武士の館跡が発見されることを期待して始まった調査ですが、結果は予想を裏切るもので、新聞報道にもあった刀装具の鋳型や炉跡などが見つかり、朝倉氏直属の職人集団の住居地があったと推定されるそうです。
刀装具の鋳型 鍔(つば)
刀装具の鋳型 目貫(めぬき)
硯(すずり) 裏面には建物や松竹などが描かれている
本日の説明会には新聞報道の影響もあって、例年50名ほどの参加なのが、130名を越える参加者が集まりました。新聞報道のわりには少ないかなと思うが、担当者は少し戸惑い気味で、2班にわけて説明することとなった。
遺構も井戸や、道路、礎石、石敷建物、埋甕土坑(越前甕を埋めた穴)、暗渠、炉跡、土塁跡など見どころの多いものでした。
井戸遺構 2m以上の深い井戸が3つもありました
道路遺構
暗渠遺構 溝に石で蓋をした遺構です
炉跡遺構 石敷の中央に炉?らしき遺物が残る
土塁遺構 下1段の石塁が残るのみで上段は水田整備で削られている
土塁遺構では事前の注意があったにもかかわらず、別班の1名が出土した石塁を崩すハプニングもありましたが(大切な遺構ですから石一つでも位置をずらすのは文化財破壊行為ですので皆さんは気をつけてくださいね)、天候もよく写真もたくさん撮りました。欲を言えば、前日の雨で石敷遺構が水没していたのが残念でした。
説明会のあと、朝倉館跡などを見学しました。館跡の後方斜面は平成17年度の集中豪雨被害の跡がまだ残っていました。資料館の人によると、後方の一乗谷城跡への3本のルートのうち、2本も集中豪雨により通行止めとなっている模様です(登れるのは下城戸近くからのもっとも緩いルートのみ)。以前から何度もここへは訪れていますが、一度山城跡へ登ってみたいです。先の新聞報道では福井県は一乗谷城跡のある山を地権者から買い取って、史跡整備を始めるということで楽しみなことが多い朝倉氏遺跡です。
今日はスタンプラリーを開催していたので、資料館と復元町並を見学して、最後にいっぷく亭で抹茶をいただき、景品の絵葉書をいただいてきました。
朝倉氏遺跡 刀装具鋳型が出土
福祉県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館は13日、国の特別史跡に指定されている同遺跡から戦国時代の、刀を装飾する目貫(めぬき)など「刀装具」の鋳型計37点が出土したと発表した。
資料館によると、刀装具の鋳型が大量に発見されるのは珍しいといい、発掘した区画が武家屋敷に相当する規模で、朝倉氏の身内の屋敷が集まっていたとされる場所だったことなどから、朝倉氏直属の身分の高い、金工師集団が存在した可能性が高いとしている。(北國新聞2008年3月14日付記事)
一乗谷朝倉氏遺跡資料館 報道発表について
※一定期間を過ぎた場合はリンク先がない可能性があります。
平成19年度発掘報告会 いしかわを掘る
本日は石川県生涯学習センター(旧石川県庁)で行われた石川県埋蔵文化財センター主催の「平成19年度発掘報告会 いしかわを掘る」に参加してきました。
平成19年度の発掘調査から
報告1 五歩市遺跡(白山市)
報告2 直江北遺跡(金沢市)
報告3 松谷寺跡(小松市)
報告4 野々江本江寺遺跡(珠洲市)
報告5 七尾城跡(七尾市)
報告6 金沢城跡(金沢市)
の6箇所の報告が行われました。
全国的な注目度からすると、全国初で最古の木製板碑・笠塔婆が発見された野々江本江寺遺跡が一番なのですが、私的には七尾城跡と金沢城跡が注目でした。それぞれの発掘調査現地説明会には参加していましたが、説明時にはすでに埋め戻されてしまったもの、それ以降のものなどあるのかないのか期待していました。
七尾城跡に関しては、説明時にすでに埋め戻されていた惣構堀と切岸の写真を見ることができました。
惣構堀
切岸
また、遺物のなかのすずり(説明会ではなかったような)の展示もあり、裏に書かれた武者絵?も線を引いて分かりやすく説明がありました。
硯(すずり)
金沢城跡では河北門復元整備のなかで、新丸から河北門に至る河北坂のトレンチ断面の写真が初公開で、17世紀初頭の利家時代に河北坂がすでに整備されていたことが判明されました。
河北坂 トレンチ状況
河北坂 断面拡大
報告の中でもすでに金沢城の玉泉院丸の南西石垣の積み直しが終了したということで帰りに見てきました。確かに最上部まで積み直しは終了しているようでしたが、足場はまだ外されていませんでした。工事期間は3月21日となっていましたので、最終確認して来週以降に外されるのでしょう。
戦国時代の足利将軍家と本願寺・加賀一向一揆
本日は石川県生涯学習センター(旧石川県庁)で、「加能史料はいま」平成19年度第2回の公開講座でした。講師は聖学院大学非常勤講師の山田康弘氏により、「戦国時代の足利将軍家と本願寺・加賀一向一揆」というテーマで講演がありました。
今回の対象となる時代はまだ加能史料としては発行されていないところではあるので、先取りということになりましたが、戦国時代初期の12代将軍足利義晴と10代本願寺宗主(しゅうす)証如の関係と門徒集団加賀一向衆との関係を、現代世界と比較しながらの非常に分かりやすい話でした。良い内容ではあったのですが、大学講師特有の単調な話し方が、今日のうららな天候と相まって眠くて仕方がありませんでした。
戦国時代の足利将軍家は一般的に無力だとか、傀儡政権に過ぎないという評価が定着していますが、研究者もそういう固定観念からか現在でも研究がほとんど進んでいないとのことで、実は権威として役割はまだまだ健在だったようです。事実、将軍の呼びかけ(書状)に応じて大名が行動を起こしているのですから確かにそうなのでしょう。織田信長の傀儡といわれる15代義昭にしても、実際織田包囲網が一時的にせよできたわけですから。
歴史は固定観念で見ずに、やはり疑ってかかるところに新発見があり、面白さがあります。