金沢城河北門復元 第一回現場説明会 石垣工事編

梅雨の最中に行なわれた金沢城河北門復元整備の第一回現場説明会ですが、雨が降らなくてよかったです。申し込みは午前・午後それぞれの部で20人だったと思いますが、大勢の方の申し込みに実際は40人と倍増したようです。私は午後の部で参加しました。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
二の門石垣は先週から変わっていません。特に天候の悪い日が続いたわけでもないのに・・・、と思っていましたが、説明会で現在はしばし養生中だということがわかりました。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
今回は二の門石垣がほぼ整備完了となったことで、「石垣工事」の説明会とのことでした。参加者にはたくさんの資料が配布されました。資料には整備計画の進め方や復元の方針などが書かれています。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
しばらく休憩小屋前で説明を聞き、ヘルメットを着用していよいよ石垣付近に移動します。二の門石垣は現在7段積まれていますが、8段で完成です。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
二の門石垣の間で金沢城石垣に使われている「戸室石」について、生産現場や特徴を聞きました。河北門二の門石垣は切り込み接ぎという手法で切石をぴったりと重ね合わせて積まれます。そのために、設計図どおりの型をベニヤ板で作成するそうです。昔も木型を使用していたようで、昔から苦労して積んでいたんですね。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
切り込み接ぎは離れて見るとぴったりくっついているように見えますが、実は3ミリほど離れています。これは全面でぴったりあわせると、後々石が割れやすくなるので、10センチほど奥に接点がくるようにします。河北門と同型の国重要文化財である石川門を帰りに確認してみると、確かに間が空いていますが、昭和30年代の文化庁の修理工事のときに埋めてしまったところもあるようです。なんてことを!
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
河北門二の門
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
石川門二の門
話を戻して、ひととおり説明が終わったあと、しばらく自由時間が取られました。二の門、一の門をひとおり間近に見ましたが、二の門が進まぬ間に一の門は着々と積み直しのために、石が外されて、東側は根石が見えるまでになっていました。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
さて、次の写真は南側石垣の東面です。この面は奥に復元された菱櫓が見てる視点として、古写真として唯一往時の石積みが確認できるところです。今回の復元ではこの面については、この古写真と同じ積み方にこだわったそうで、まだ足場があるのでよく確認できませんが、完成の暁には古写真と比べて楽しめそうですよ。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
自由時間のあと、石割の実演や表面加工の体験がありました。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石垣工事編
非常に有意義な説明会でした。今後は、「木工事」「左官工事」「屋根工事」と機会があるごとに説明会が開催されるようです。また、しばらくすると木工事が始まりましたが、その前に被さるように上屋がかかるそうです。菱櫓のときは中に入ることはできませんでしたが、今回は上屋の中に見学場所が設けられて、引続き工事の見学ができるとのことで、楽しみです。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石川門保存修理
説明会が終わってから、引続き希望者に隣で行なわれている石川門保存修理の現場説明会が開かれました。参加者の半分の方が残って説明を聞きました。私は前回の石川門の説明会には参加できませんでしたので、初めて見ることになりました。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石川門保存修理
中は、北側の新丸側が一部修復されている途中で、大部分の塀の木組みは外されたままでした。修復された木組みを見ると、真新しい木材には「平成十九年度補修」の焼印が、少し古い木材には「昭和三十二年度補修」の焼印が見られます。それ以外は昭和の保存修理以前の木材のようです。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石川門保存修理
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石川門保存修理
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石川門保存修理
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石川門保存修理
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石川門保存修理
今回は、石垣側の足場にも入れていただけました。普通は絶対に間近では見ることができない、「出し」全面の梅鉢紋も近くで見ました。貴重な体験でした。
金沢城河北門復元 現場説明会第一回 石川門保存修理

七尾城跡 石垣修復9月完了

昨年の能登半島地震で崩落した国指定史跡・七尾城跡の石垣が、9月上旬に修復を終える見通しであることが26日の同石垣修復委員会で報告された。城跡は昨年10月の豪雨でも18カ所で土砂崩れし、一時は修復のめどが立たない状況となっていた。9月13日に始める能登畠山家創立六百年事業に何とか間に合う形となり、市関係者らは胸をなで下ろしている。
市は9月13日の七尾城ウォーク、14日の城山まつりなど、能登畠山家が能登一国の守護となり六百年の節目を祝う一連の記念事業に間に合わせたいと、協議を重ねていた。(北國新聞2008年6月27日付記事)

金沢城 河北門二の門石垣の工事は大詰め

金沢城河北門復元工事
金沢城の河北門復元整備は、二の門の石垣工事が大詰めを迎えました。先々週、積まれた段が違っていた南北の石垣も、ともにちょうど鉄骨の隠れるスレスレの位置まで積み終わり、後一段?残すのみとなっています。
番号を付けてシートが被せられていた一の門石垣も工事が進められ、石垣が外されて低くなっていました。
金沢城河北門復元工事
金沢城河北門復元工事
来週はいよいよ一般向けの現場説明会の第一回目が開催されます(すでに申し込みは終わっています)。先週末に北陸も梅雨入りし、天候が心配されるところではありますが、おそらく二の門石垣についての説明会となることでしょう。
足場が組まれていて、興味は積まれていく石垣の高さに注目がいくことが多いと思いますが、最下部の根石を調整する小さな石は今日現在すっかり見えなくなってしまいました。高さで中の栗石も見にくくなっていますので、外見上は大きな石がすでに主役です。

金沢城・兼六園研究会 6月例会講演会

今日は夏至、最も陽の長い日です。先週末に北陸も梅雨入りしましたが、ちっとも雨が降りません。明日以降は少し降るでしょうか?
さて、今日は金沢城・兼六園研究会の6月例会でした。今日は9月の大名庭園民間交流水戸サミットに向けて、「加賀藩の茶道」を勉強しました。講師は茶道裏千家教授、石川県茶道協会代表理事である大島宗翠氏です。
金沢城・兼六園研究会 6月例会講演会
茶の湯や茶道については門外漢の自分ではありますが、中世以降は政治と深く結びついた茶の湯の話を興味深く聞きました。金沢では外様最大の石高として藩主のみならず、家臣や町人も茶の湯をたしなんだということで、城下に茶屋街が3つもあるのも特別なことでしょう。
加賀藩の茶道
そういう経緯からも旧加賀藩領にはたくさんの茶室が残っていたのですが、茶室は他の部屋に転用の効かないもののため、調査される度にその数は減少しているとのことでした。

金沢城跡 国史跡に決定

文部科学省は17日付の官報で、金沢城跡を文化審議会の答申通り、国史跡に指定すると告示した。告示をもって史跡指定が正式に決まった。国史跡指定の範囲は金沢城公園内の国・県・市有地を合わせた約27.5ヘクタールとなる。(北國新聞2008年6月18日付記事)

福井藩を歩く 2

今日は福井藩の頃にあった町名を紹介しましょう。
浜町
「浜町」は、足羽川沿いの町で、年中朝市がたっていたり、芝居小屋が開かれたり、にぎやかな場所でした。今は住宅街に小さなお店がちらほら見られます。
浜町
本町
「本町」は、福井城の正面玄関であった桜門の前にできた町で、現在は福井駅前から続く幹線道路沿いにあります。
本町
一乗町
「一乗町」は、一乗谷の朝倉氏が滅亡した後に、柴田勝家がそこに住んでいた人たちを北ノ庄城の城下に移してできた町です。
一乗町
長者町
「長者町」は一乗町に隣接して北ノ庄時代からあったと考えられ、他の町に比べ敷地が広かったことから有力な町人が住んでいたと考えられています。
長者町
京町
「京町」は、京都から運ばれた小間物を扱う店が並んでいたところで、九十九橋の北詰にあたり、北国街道の城下への入口でした。
京町
塩町
「塩町」は、塩問屋や塩商が集まっていた商人町でした。
塩町
山町
「山町」は、一乗町と同じく柴田勝家が一乗谷の人たちを移住させた町です。案内碑のある場所は、幕末に坂本龍馬が由利公正と語り合った莨屋(たばこや)旅館があった場所です。
山町
呉服町
「呉服町」は、現在も呉服町商店街となっていますが、九十九橋からまっすぐに町を北国街道が通っていて、呉服屋が多かった商人町でした。
呉服町
柳町
「柳町」は、福井城の柳門という門前にあった町です。
柳町
福井は空襲にあっているので、藩政期の面影はすでにありませんが、こうして町名を訪ねながら散策してみるのはいかがですか?

福井藩を歩く 1

昨日は福井城に関係する名所を紹介しましたが、今日は福井藩に関係する名所を紹介します。
ここは「加賀口御門址」です。城下を通る北国街道は九十九橋を渡って、福井城の西側から北側を通って、この御門を抜けて加賀へと向かいます。
加賀口御門址
加賀口御門址
現在は案内板が道脇に立っているだけですが、当時の様子は絵葉書から窺い知ることができます。
加賀口御門跡
それでは、足羽川を渡って城下に入る入口である「九十九橋」です。現在はコンクリート製の橋ですが、当時は石と木でできた珍しい橋でした。往時の様子は郷土歴史博物館で見ることができます。
九十九橋
九十九橋
次は繁華街の中にひっそりと設置されている「狛屋敷跡」です。福井藩家老を代々務めた狛氏の屋敷があった場所です。
狛屋敷跡
狛屋敷跡
今日の最後は「笠原白翁・除痘館跡」です。裁判所近くに案内板が設置されています。笠原白翁は幕末の医師で、福井に種痘をもたらした偉人です。ここに福井藩が設置した天然痘の予防接種を行うための施設「除痘館」がありました。
笠原白翁・除痘館跡
笠原白翁・除痘館跡
明日は城下町の町名探訪です。

福井城を歩く

今日は福井城に関係するところを紹介しましょう。
目的の福井市立郷土歴史博物館に隣接して復元された福井城の「舎人門」です。赤瓦が印象的な福井城の北にあった門のひとつです。堀ではカモが気持ちよさそうに泳いでいました。
福井城 舎人門
舎人門堀にて
郷土歴史博物館の隣にある「養浩館庭園」です。ここは福井藩松平家の別邸で御泉水屋敷と呼ばれた場所です。現在建造物の屋根の一部を修復中でした。
養浩館庭園
養浩館庭園
次は国際交流会館前の「芝原上水」です。光明寺用水と呼ばれた福井城の水路です。国際交流会館前で曲がって、郷土歴史博物館のほうへ流れていきます。近年用水の石垣の発掘調査が行われていました。
芝原上水
現在福井県庁や警察本部のある場所が福井城本丸です。奥には天守台があり、「福居」の名の由来となった「福の井」があります。
福井城天守台
昨年訪れたときは先の舎人門を初めて見たのだが、今日は「御廊下橋」を初めて見た。聞けば今年3月に落成したばかりだとか。天守台に至る部分に架けられた屋根付きの屋形舟のような形の橋である。その形はとても珍しい。さすがにまだまだピカピカな状態だ。
福井城御廊下橋
福井城御廊下橋
近くに福井市役所があるが、その土台には福井城の石垣が数多く利用されたとのことで、入口の石積みには大きな刻印のある石がたくさんあった。
福井城堀の石
福井城堀の石
福井駅前は再開発に伴い、中央大通りには地下駐車場が整備されましたが、そのとき出てきた「百間堀」の石垣です。ガラス張りで地下の石垣を見ることができます。
百間堀石垣
百間堀石垣
近くのアーケードの中には百間堀の案内板があります。
百間堀
最後に、城の橋通りに面する「北の庄城址・柴田公園」です。ここは柴田勝家を祀る柴田神社がありますが、数年前から整備を続けていてようやく完成しました。入口には京方面から城下に入る唯一の橋であった九十九橋の一部も復元され、隣接して北の庄城址資料館が新しく建てられていました。ちなみに入館は無料ですよ。北の庄城址と銘打っていますが、北の庄城の上に福井城が建てられたため、発掘でも遺物の多くは福井城のもので、北の庄のものはわずかに石垣の石が数個見つかっているのみです。柴田公園でも復元されている石垣は福井城のものが多くを占めます。
北の庄城址
北の庄城址
公園の中央付近に鎮座する柴田勝家公ですが、整備の中で南が正面となりました。初めて見たときは東向き、前回見たときは西向き、これでようやく落ち着けましたでしょうか。
北の庄城址

福井城跡発掘展

福井市立郷土歴史博物館
今日は思いの外、良い天候になりました。が、風が涼しく過しやすい日でした。今回は福井市立郷土歴史博物館で開催中の「福井城跡発掘展」の観覧と、連動講演会「福井城跡の発掘成果から」の聴講で福井市にやってきました。
福井城跡発掘展
福井城城下町の発掘調査で発見された遺物は、当時の「ごみ」であると位置づけ、その遺物から当時の生活の様子を探るという展示でした。現在の物と比較展示され、非常にわかりやすくなっていました。
福井城跡発掘展
午後から行われた講演会では60名の定員のところ20名ほどの参加でしたが、発掘調査結果について非常に内容の深い話を聞く事ができました。ひとつ勉強したのは、城下町絵図の見方です。城下町絵図では町割りの家に当主の名前が書かれていますが、様々な方向で書かれています。気まぐれなものだとずっと思っていましたが、名前の上方向が表口があった方向だそうです。それにしても、金沢市では歴史講演会は満員なことも多いのですが、福井市ではあまり関心ないのでしょうか?折角の地元の歴史を学ぶ貴重な機会であるのに、少し残念な気持ちです。
今日は、講演会の前と後で福井市内を散々歩きました。最近は土曜日に出かけて日曜日に休むというパターンが何故か定着しています。このレポートは明日より数回に分けて書くことにします。

金沢城ライトアップ

先週末の夏の兼六園ライトアップは先日紹介したが、今日は同日にまわった金沢城のほうを紹介しよう。白い壁には寒色系ライト、石垣には暖色系ライトを当てていて幻想的です。曇りだったので、堀の水面に建物の映り込みがはっきりしなかったので残念でした。
金沢城ライトアップ
石川門櫓 東側から
金沢城ライトアップ
石川門 二の門から櫓を臨む
金沢城ライトアップ
石川門 二の門
金沢城ライトアップ
橋爪門
金沢城ライトアップ
橋爪門櫓 東側から
金沢城ライトアップ
菱櫓 東側から
春より進められてきた河北門復元工事ですが、今月末にようやく第1回の現場見学会が開かれることが決まりました。それまでには二の門石垣は積み終えるでしょうね。ライトアップに河北門が加わるのが楽しみです。