今年初めて中世城郭者研究セミナーに参加することにしたので、開催地である三重県津市に向かう前に、愛知県旧三河地域に初めて行きました。
最初の地は豊田市です。豊田市郷土資料館で城郭関係の発掘調査報告書を購入し、資料館を見学しました。
資料館入口には挙母城(桜城)の木造模型が飾られていました。豊田には挙母城と呼ばれた城が3つあったようです。ややこしい限りです。
そのひとつ桜城が近くにあるというので寄ってきました。NHKの裏の桜城址公園に隅櫓の櫓台石垣が残っていました。表通りからは見えないのが残念ですが、市街地にあって残っているのはすばらしいことです。公園になっているのですが、昼休みの公園には人は居ず、周辺を歩く人も素通りで、暑い日で仕方はないのかもしれませんが、憩いの場、とまではなっていないようです。
豊田をあとにして、岡崎に向かいます。距離はそれほどではなかったのですが、信号と渋滞で思ったより時間がかかりました。
公園駐車場から先に内堀沿いに石垣を見ていたら、堀にかかる赤い橋のところで、結婚式を迎える新郎新婦に出会いました。堀にかかる赤橋、絵になりますね。でも暑い日に大変です。お幸せに・・・
岡崎城は徳川家康の出世城ということであちこちに家康公のモニュメントが立っていました。
公園内には大手門も復元されています。元の場所とは違うものの、大通り沿いに建てられた門は岡崎城のまさにシンボル的存在です。
三河武士のやかた家康館前のからくり時計は30分ごとに家康公がおでましです。
さらにもう一城と、西尾へ向かいました。少々道に迷ってしまいましたが、なんとか資料館の閉館前に到着しました。迷ってしまったのは案内看板が少なかったからで、西尾城は重点観光地ではないようですね。
城内には、門と丑寅櫓が再建されていました。残念ながら丑寅櫓の入場時間は過ぎていましたが、西尾市資料館のなかで西尾城の遺物を見たあと、関係資料を購入し、本丸跡や周辺をしばし散策しました。
今日は暑い日でした。明日のセミナーは楽しみです。
カテゴリー: 城郭さんぽ日記
日本100名城スタンプラリー 岡崎城
随分と間が空いてしまいましたが、12城目のスタンプです。100名城スタンプラリーも2年目に入って継続が決まったものの、城によって対応がまちまちで、春に名古屋城に行ったときはスタンプの場所が結局わかりませんでした。
今回は明日の中世城郭研究者セミナーが三重県津市で開催されるために、少しだけ遠回りして愛知県のほうにやってきました。
初めて来ました岡崎城ですが、天守を復した博物館の前には大きな松が生えており、いいアングルで写真が撮れません・・・
岡崎城の紹介写真はこの天守写真がほとんどなので、それ以外は何もないのかと思っていましたが、最近大手門も復元され、城内のあちこちには石垣も残っており、意外に楽しめます。
このスタンプのアングルは正面入り口ではないですね。どの向きでしょうか?
金沢城の遺構 尾崎神社・二の丸御殿御門
昨日はぐるりと金沢城外をまわって来ました。先日訪れた長田神社のところで触れました尾崎神社に行きました。
尾崎神社は金沢城内にあった東照宮の本殿・拝殿を移築したものです。現在本殿は修理中で見えません。といっても、普段も入れないので同じです。最近は風雨から守るため、拝殿も外囲いがかけられていましたが、春に外されてそのままです。
先日の長田神社では色鮮やかな懸魚や蛙股を見ましたが、さすがに長年風雨にさらされた尾崎神社の懸魚や蛙股の色は落ちてしまっています。建物は国重要文化財なので、簡単に塗り直すわけにはいかないでしょうけど。
次は、尾崎神社の裏門です。この門は二の丸御殿の門のひとつだといわれていて、同種の門としては唯一の遺構です。
これら2つは金沢城に近いので、金沢城に来たときは忘れずにどうぞ。
旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡
今日は週間天気予報ではずっと雨だったのに、今年一番の暑さとなりました。まちしるべの件で金沢市役所に寄ったついでに、発掘現場を覗いてみました。ここは市役所の向かい、旧石川県庁で元は金沢城の堂形(最初のころは的場、のちに米蔵があった場所)です。
週末は作業をしておらず、雨避けシートがかけられていて作業の様子をみることができませんでしたが、今日は良い天気で作業もしていました。遠目には何か出ているかどうかわかりませんね。
着いたのはちょうど昼前で、作業員の方は昼食に出かけていきましたが、しばらく見ていると、数人残っていた方で空中写真を撮るようでした。
初めて間近で撮影する様子を見ました。
先程とは反対側にまわってきました。こちらは何か石組み列が見えますが、いつの時代のものかわかりません。今のところ現場説明会の案内などはないので、特に目覚しい発掘成果があったというわけではないのかもしれません。
金沢城の遺構 長田神社
先日の日曜日は前日の余勢を駆って、残り少なくなった金沢まちしるべ巡りを続けてしてきました。金沢駅南周辺を歩きましたが、道程にちょうど長田神社があったので行程に組み込んでいました。
長田神社の祭神は天神様です。加賀藩初代藩主の前田利家が菅原姓を名乗っていたこともあって、金沢には数多くの天神宮があります。長田神社もそのひとつなので、外鳥居の石碑は「長田菅原神社」となっていますが、内鳥居の石碑は「長田天満宮」となっています。
この長田神社は数少ない金沢城の遺構です。とはいっても、城建造物ではなく、城内にあった東照宮の一部です。東照宮の本殿・拝殿は、金沢城に隣接する尾崎神社の本殿・拝殿となっていますが、長田神社の拝殿は東照宮の護摩堂といわれています。
今春外観の塗り直し修復が終了したということで、地元新聞にも載っていましたので、まだまだ色鮮やかな懸魚や蛙股の彫刻を見ることができます。尾崎神社も元はこのような色彩だったことでしょう。
金沢城からは遠く離れていますが、金沢駅からは15分ほどの場所にありますので、興味ある方はぜひお寄りください。
金沢城河北門 工事はいつ再開?
金沢城河北門復元整備事業の一翼を担ってきた真柄建設が民事再生法の適用を受けた最初の週末です。土曜日は工事をやっていることも多かったですが、今日はお休みです。
二の門石垣は6月末の現場説明会のときと変わっていません。
ちょうど養生中ということもあり、7段積んで、最終の8段目を積む石は、脇でスタンバイした状態ですが、いつ再開して積まれることになるでしょうか。
地元新聞では、河北門工事は工期がまだまだ先であるため、再開優先度は低く設定されており、今後の成り行きによっては発注業者を変更することもあり得そうです。この一騒動が、12月に予定されている寄進イベントに影響なければよいですが・・・。日程がずれて真冬開催だけはやめて!
土木・建設業界の不況は城郭復元にとっても対岸の火事ではない
5日、石川県内最大手のゼネコンである真柄建設が民事再生手続を開始しました。同社は今復元真っ只中の「金沢城河北門復元工事」の担当会社の一つでもあります。石川県内では、昨日完成式の行なわれた「東内惣構堀枯木橋詰遺構」を担当していた会社が昨年末に倒産して、完成が3ヶ月遅れたばかりです。金沢城河北門は予定通り北陸新幹線が金沢に来るまでに完成するでしょうか?
東内惣構堀枯木橋詰遺構 完成
本日ようやく東内惣構堀枯木橋詰遺構が完成しました。東内惣構堀枯木橋詰遺構は、4つある金沢城の惣構の1つで、浅野川に注ぐ直前の部分にあたります。
完成式は、金沢市長や地元町内会長などを迎え、テレビカメラも何台も来ているなかで行なわれました。
最後に遺構の前でテープカットをして終了しました。その後、向かいの文学館で完成記念講演会が行なわれました。
予約していた40名が参加して、講師として金沢学院大学大学院 玉井信行氏を迎えて、「金沢城惣構堀について」というテーマで一時間の講演が行なわれました。
1598年 内惣構堀の築造
1610年 外惣構堀の築造
1632年 辰巳用水の築造
1640年代 鞍月用水の築造
源太郎川と途中から重なる東内惣構堀以外は、用水の完成により水が入れられたようです。江戸期を通して堀幅は徐々に縮小されはしたものの、堀は排水路として使用され続けたため今に残っています。つながって水が流れていないと用を足さない排水路としての役割は、貴重な堀の大部分をそのままに残しましたが、西の内・外の一部は武蔵が辻周辺で切れてしまいました。
金沢城東内惣構堀 柿木橋詰遺構復元工事完成式
城下町金沢の歴史資産である惣構堀について、文化財指定を視野に入れ、現地調査及び発掘調査を行い、その結果を踏まえ可能な場所で復元整備を行うことにより、金沢の貴重な歴史遺産の保存・活用を図っていきます。このたび、平成18年度からの発掘調査に基づき、本市初の惣構堀の復元整備工事が完成します。
完成式
日時 平成20年7月5日(土) 午前10時から
場所 東内惣構堀 柿木橋詰遺構(尾張町二丁目地内)
整備のコンセプト
1 発掘調査結果に基づいた、堀の石垣及び土居の復元整備
2 堀幅の変遷や惣構堀の規模がわかるような整備
3 見学所として気軽に立ち寄れ、歴史を感じ取れる整備
東内惣構堀とは・・・
城の防御のための堀で、慶長四年に加賀藩二代藩主前田利長が高山右近に命じて築造させたといわれています。小将町~兼六元町~主計町の延長約1.3kmです。
金沢城の遺構 中村神社の本殿
今日の石川県は雨模様です。昨日は晴れてて良かった。金沢城河北門の現場説明会の前に、まちしるべ標柱めぐりをしてきました。そのコース上にあった念願だった中村神社にも寄りました。
中村神社の本殿は、金沢城の数少ない建造物の遺構のひとつです。
それは城内にあったといわれる「能舞台」です。訪ねてみると、ひと目でただの神社の建物ではないとわかります。精密な欄間細工、そして鮮やかな格天井。
格天井は格式の高い折上げ格天井です。前田家の家紋である「梅鉢紋」も見られます。
本殿奥の間には、藩政期のものでしょうか?古い格天井の天井絵が額に飾られています。
思っていたよりもすごかったので、土曜の昼間誰も居ない本殿で写真を撮りまくってしまいました。仏様、お騒がせしました。
中村神社の前に、神明宮を通りました。ちょうど「夏越大祓」神事の開催日で、どんな行事かなと見てきましたが、本殿前に茅で作られた大きな輪が置かれていました。まだ準備中のようでした。いろいろと神事がありますね。