日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

錦帯橋の向こうの頂上に見える岩国城、来たかった城のある風景のひとつでした。念願かなって駐車場となっている河原からまずは1枚。左の頂上に岩国城があるのですが、小さな写真にすると・・・
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国
望遠で撮影した天守です。これが頂上にあるんですが、わかりますか?
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国
そのまま河原を歩いて、近くから錦帯橋を何枚も撮りました。橋脚の石組みと橋桁の裏はこんな感じです。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国
頂上までは徒歩でも行けるようですが(行く人いるのかな?)、普通はロープウェーで近くまで登ります。
同じく頂上に天守のある岐阜城は実際に攻められた城ですから、攻めている気分で実際に登る人もいるでしょうが、ここは実戦なかったのでは。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国
天守のある本丸には旧天守の石垣が残っています。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国
博物館になっている天守に入り、最上階の展望台から見える風景はやはり絶景です。眼下の錦帯橋も小さいですね。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国
望遠で撮るとこんな感じです。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国
山麓には元々普段生活の営まれた館や武家屋敷があったものと思われますが、現在その一角にここを納めた吉川氏一族の墓地があります。一族の墓地というと、歴代藩主、正室、ここまではよくありますが、ここでは、側室、夭折した子供たちなど予想を超える墓が所狭しと立ち並んでいます。
一番高いところに初代吉川広家公の墓があります。歩き回ったあとに訪れるには少々体力的に厳しい場所にあります。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in大竹

広島市から岩国市へ向かう途中に、地図を見ると福島正則の築城した亀居城が書かれていて、麓から20分ぐらいということでちょっと寄りました。しかし、ちょっと寄ったつもりが、見どころ盛りだくさんな城跡でした。
麓の大型ショッピングセンター駐車場から見える正面の山が亀居城跡のある亀居公園です。右前方の交差点が入口です。
安芸亀居城
交差点には亀居城跡入口の石碑とともに、由来を書いた石碑と公園までの案内板です。由来によると、亀居城は福島正則が慶長八年(1603)から五年をかけて築城し、慶長十六年(1611)に幕府の命により破却されたようです。実質3年ほどしか機能しなかった城ということになりますか。
安芸亀居城
安芸亀居城
とてもとても急な上り坂を上って行くと、立派な石垣が迎えてくれます。城内には石垣が豊富に残り、予想以上の満足感を味わえました。
安芸亀居城
安芸亀居城
天守台には上れませんが、そこからの眺めはとても良かったです。瀬戸内海と向こうに大竹市の工場群が見えますが、すっきりとは見えず残念でした。
安芸亀居城
安芸亀居城
天守台を下から見ると、かなりの高さであることがわかります。ここまでの石垣が残っているのにあまり注目されていないのは残念です。
安芸亀居城
帰りも石垣を見ていると、刻印を見つけました。公園内にも豊富に残る刻印を案内する看板がありましたが、刻印のサイズはあまり大きなものではありませんでした。
安芸亀居城
安芸亀居城
迫力ある石垣が迎えてくれる亀居城はおすすめです。ぜひ天気のよいときにいきましょう。

日本100名城と篤姫を訪ねる旅in広島

今日は快晴です。市内に泊っていたので広島城まではあっという間に着きました(ちょっと行き過ぎたぐらい)が、広島城博物館(天守)のオープンまで一時間あるので、まずは内堀の外周を廻りながら、写真を撮ります。
駐車場から出て、まず迎えてくれたのは二の丸に復元された太鼓櫓です。広島城は学生時代に一度来たことがありますが、10年以上も前になるので、そういえばその頃は工事中だった・・・。
広島城
広島城の石碑は駐車場のある二ノ丸口とは違い、広島護国神社のある本丸口にあります。が、石碑と一緒には石垣しか写らず、建物が写らないのが残念です。今日は護国神社の何か行事だったようで、大勢の人が押しかけ、城内に車を無造作に停めるので、石垣のショットを撮るのに非常に邪魔でした。せめて、車は近くの駐車場に停めてほしいものです。
広島城
内堀に移る石垣や天守はきれいです。
広島城
広島城は金沢城と同じように、戦前は陸軍の駐屯地のひとつであったので周辺には陸軍時代の遺構が残っています。
広島城
内堀を少し外れて、太田川を歩きました。ここは基町堤防といい、広島城の惣構の一部を構成していた太田川の氾濫を防ぐために、広島藩主福島正則が築いた堤防が始まりだそうです。
広島城
博物館となっている天守前には、再建の際に発掘で出土した天守礎石を見ることができます。
広島城
広島城の日本100名城の認定証です。
広島城
広島城
駆け足でしたが、二ノ丸が再建されて魅力の増した広島城を堪能しました。次は岩国に向かいます。

日本100名城スタンプラリー 郡山城

広島県の吉田高田市、毛利元就で有名な郡山城です。先の津山城16個目に続き、17個目です。
日本100名城スタンプラリー 郡山城
図柄は背景に郡山城跡の遠景を配して、手前に「百万一心」碑を描いています。
日本100名城スタンプラリー 郡山城
毛利元就の墓の近くにあります。百万一心碑です。毛利元就は郡山城拡張の際に、それまでの風習であった人柱に替えて「百万一心」と彫らせた巨石を埋めたと伝えられており、一つ描く碑としては「三矢の訓」碑ではなく、「百万一心」碑が相応しかったのでしょうか。

日本100名城スタンプラリー 津山城

今回は100名城の旅です。一週間で10箇所以上訪問します。
日本100名城スタンプラリー 津山城
スタンプの図柄は天守台と復元された備中櫓を空中より俯瞰したものですが、当然ながら同じ角度では見ることできません。
日本100名城スタンプラリー 津山城
日本100名城スタンプラリー 津山城
実際には備中櫓、土塀に続く天守台を囲む回りの郭には転落防止用の柵紐が設置されているのですが、そこまでは・・・さすがに省略してありますね。

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 安芸高田

最初の津山からかなり予定をオーバーしてしまい、急いで安芸高田市へ移動しました。さらに、まだ平成の合併前に一度訪れたことがありましたが、道路標識が変わっていて道に迷ってしまいました。
吉田歴史民俗資料館
なんとか資料館の閉館には間に合いました。資料館には毛利氏に関する資料や付近の城跡に関する遺物が豊富に展示されており、次回はもっとゆっくり鑑賞したいものです。
すでにあたりは薄暗くなってきていましたが、石碑や一族の墓を見てきました。今回は残念ながら本丸などは見学できませんでした。
郡山城
郡山城
郡山城
郡山城
郡山城
前回訪れた際に整備中であった公園はまだ整備途中でしたが、新設された駐車場には「日本百名城 郡山城」の記念碑が設置され、石碑越しに郡山城の山を入れて写真を撮ることができます。
もともとある上に紹介している「史蹟郡山城址」の石碑は入口に立っているものの、城跡とは向かい合って立っている関係で、石碑と城跡を両方入れて写真に撮ることができなかったので、今後は上記写真のほうがよく使われるかもしれませんね。

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 津山

本日より九州方面へ長期旅行です。早朝に出発して順調に車をとばして来たものの、最初の目的地津山に到着したのは、もう昼近くでした。今回の旅は悪天候の予報がないので良い旅になりそうですが、今日は予想外に暑いです。
まずは城下町を見学です。津山城の東に位置する「上之町」「中之町」「西新町」には昔ながらの町並みが残っているのですが、城下町の道というのはまっすぐでなく、また狭いのです。
「作州城東屋敷」にやってきました。ここは町屋施設が残されているのですが、石碑の向こうに見えるのはだんじり展示館です。
作州城東屋敷
街道沿いにしめ縄が貼られていたので何かと思いましたが、今日の午後から秋祭りで、ちょうどだんじりが各町会に出されていました。ということで、だんじり展示館の中は当然空です。
だんじり
こちらが町屋施設ですが、映画寅さんシリーズ最終作はこの付近で撮影がされたそうなので、その時の写真と、建物横に記念碑が建てられていました。
作州城東屋敷
城下出雲街道の町並みです。雰囲気がありますが、自動車が頻繁に走ります。
出雲街道沿いの町並み
津山城です。最初の写真は鶴山館越しに見る備中櫓です。鶴山館は津山藩の文学校の建物で、裏にはちょっとした動物園があります。
津山城 鶴山館
最近復元された備中櫓です。前回は工事の真っ最中で、復元後初めてやってきました。津山城には城郭建築が残っていないので、一つでも復元されるとやはり見ていてもいいです。
津山城 備中櫓
津山城 備中櫓
城郭の櫓は板張りが多いのですが、ここは畳敷きが基本のようです。史実では確認していませんが、実際はどうだったのでしょうか?
津山城 備中櫓
津山城 備中櫓
津山城 備中櫓
2階には登ることができ、上段の間(1段高い一角)が用意されていましたが、特に窓が開放されるわけでもなく、用途はよくわかりません。
津山城 備中櫓
備中櫓と一緒に土塀の一部が復元されています。
津山城 備中櫓
今日は晴天だったので、天守台からの眺めは最高でした。天守台の回りでは今でも発掘調査が続いていました。この天守台に登ると、往時の天守の大きさが偲ばれます。
津山城 天守台

シンポジウム「中世都市と職人」

連休中日である今日は、先週に引き続き七尾で開催されるシンポジウムに行きました。
今年は能登畠山家創立600年事業として様々なイベントが開催されています。先週は冷泉家に関する一般向けシンポジウムで、非常に大勢の参加者が来ていましたが、今日は中世の都市に関する学術シンポジムということで、部屋も小規模になり、参加人数も・・・・少ない。予想以上に少ない。
シンポジウム「中世都市と職人」
シンポジウム「中世都市と職人」
シンポジウム「中世都市と職人」
全国の中世都市の状況を国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の小野正敏氏より発表があり、続けて七尾、堺、豊後府内、博多と最新の発掘調査の状況について発表がありました。最後は再び小野氏によって総括されました。
各地の発掘調査によると15世紀半ばまでに成立していた都市や城下町では職人(商人)はまばらに存在し、固まって○○町などを形成することはなかったようです。また、職人は自分で作った物を自分で売っていたので商品でもあったという、職域が未分化な世界でありました。話の中では、中世の物価の話があり、とても興味深く聞きました。たとえば、発掘調査では大量に発見される「かわらけ」ですが、当時の物価で1文、大工の日当が100文といいますから、あまり高くないですね。発掘調査では「こんなに大量に見つかりました!」って物珍しそうに発表されますが、今度から見方が変わりそうです。
ちなみに、茶を飲む天目茶碗は8000文、茶の湯釜が2000文といいますから、高いものは高いですね。
能登畠山氏と能登の美術
シンポジウム終了後、七尾美術館で開催中の「能登畠山氏と能登の美術」展を見てきました。

月見光路

金沢城に隣接する広坂緑地などでは、今日から金沢工大生が竹や紙で作った明かりのオブジェが夜を彩る「月見光路」イベントが始まりました。
明るいうちに撮った写真と暗くなってからのライトアップ写真を比べてご覧ください。明かりのオブジェの向こうにライトアップされた本丸高石垣が幻想的です。
月見光路
月見光路
月見光路
月見光路
月見光路
月見光路
他に、四高記念館や21世紀美術館の前も明かりのオブジェで飾られ、建物のライトアップとともに非常にきれいでした。木曜日の今日は初日ということもあってか、人もまばらでした。週末の明日は大勢の人出でしょうね。
月見光路
月見光路
金沢城のライトアップは通常のライトアップと変わりませんでしたが、橋爪門前の堀は日中に清掃したおかげで水面にきれいに映り込んでいました。
月見光路