兼六園の庭づくり技法について 金沢城・兼六園研究会例会

本日は金沢城・兼六園研究会の例会でした。場所は広坂休憩室で60名ほどが参加して行われました。本日の講師は森永寿久氏です。森永氏は昨年度まで金沢城・兼六園管理事務局の事務局長でしたが、今年度から石川県公園緑地課にお勤めです。大学の専攻が庭園学科ということもあって、庭園の作り方に関する解説はとても参考になりました。
地元に住んでいて兼六園に何度行こうとも、兼六園の良さがなかなかわからなかった私には、兼六園を楽しむ一歩を踏み出せたように思います。兼六園の解説というと、兼六園の歴史や庭園技術などに偏る感がありますが、もともと兼六園は前田家のプライベートガーデンなわけですから、有名な松一つ一つをとっても意味があるわけです。「双幹の松」の意味や、「乙葉の松」のある場所、「根上がりの松」の象徴するものなどについて、庭園の見方を知れば楽しめるというものです。
金沢城・兼六園研究会例会
終了後、青空が広がってきたので金沢城をぐるりと見てきました。
金沢城
何度も来た金沢城ですが、今回初めて二の丸休憩所に寄りました。私は今まで金沢城ではグッズの販売はないものと思っていましたが、ここに数点ですが、絵図2点とうちわ、絵葉書が販売されていました。
金沢城河北門
河北門の発掘調査はまだ進んでいませんでした。本日の森永氏が偶然にここの担当課だったのですが、今秋から本格的に始まるようです。その際は、足場が組まれて復元現場の見学ができるようになるとのことなので、始まればぜひ見に行こうと思います。

きくざくら学習会 玉泉園の見学

きくざくら学習会とは、金沢城・研究会研究会の初心者講座です。平日開催の金沢城大学の講座修了者のみ加入できることもあり、お年寄りの中に若者一人です。慣れてますが・・・
今日は兼六園隣の玉泉園の見学です。玉泉園のいう名は二代利長の室であり、織田信長の娘であった「玉泉院」に由来します。といっても玉泉院とは直接関係ないようです。
ここは加賀藩の大小将頭の脇田直賢(わきたなおかた)の敷地であり、直賢は10歳頃まで芳春院(利家の室)に養育されていたようです。今回、会員のお一人が芳春院の日常の出来事を書いた「東路記」(あずまぢのき)のなかに、静岡県興津にある臨済宗の寺清見寺に一泊した折に、『ノウゼンカツラの種がほしい』という記載を見つけ、偶然にも脇田の作庭した玉泉院にもノウゼンカツラが咲いているということで今日の見学となりました。
写真の花がノウゼンカツラです。漢字では「凌霄花」と書きます。濃い桃色の大きな花です。これは入口近くの屋根の上に咲く、株分けの若いツタのようです。
ノウゼンカツラ
親は奥庭の二股の松の木に巻きついて、ツタも太く立派なものでした。かなりの古株らしいので、こちらの花は7月下旬にならないと咲かないようです。兼六園下の坂道からも見えるようなのでぜひ一度見てみて下さい。
玉泉院
玉泉院
玉泉院

金沢城・兼六園研究会 総会

昨年、金沢城大学を受講して参加資格を得ましたので、今年から「金沢城・兼六園研究会」に入会しました。今日は19年度通常総会の日でした。私は17期ということになります。前身は兼六園の学習会だったと聞いていますので、会員の方の興味の大半は兼六園ということになるのでしょうが、金沢城大学卒業生も4年目を迎えて、城に興味ある方も増えているのではないでしょうか。総会員数160名以上ということですが、ほとんどは金沢市の方で白山市、小松市、かほく市の順でしょうか。津幡町は私1人のみで野々市町が少ないのは意外です。
平日の活動もあるということで(というより参加資格の金沢城大学が平日開催)、ご年配の方がほとんどです。やはり浮いているか。このまま続ければやがて最古参ですね。
年数回の勉強会ならぬ講演会が開催されますが、有志のグループ活動もあり、今年は新入会者のための「きくざくら学習会」と「お城研究サークル」に参加希望を出しました。
総会の後、金沢城調査研究所の冨田氏による「金沢城の石垣と石切丁場」というテーマで講演会がありました。金沢城の石垣の年代変遷について総まとめ的な講演で、非常に有意義なものでした。
講演会