戊辰戦争から140年を迎える福島県会津若松市は19日、同市のシンボルである鶴ケ城(若松城)を、現在の黒い瓦から、幕末当時の赤瓦にふき替えるなどの復元整備を行い、その財源として、ふるさと納税を募ると発表した。赤瓦の城は全国的にも珍しく、全国に散り散りになった会津ゆかりの人々に訴えるほか、歴史や城ファンの支援を広く募りたい考え。同市では「敵味方の区別なく、全国の方から応援をいただきたい」と話している。
鶴ケ城は、年間63万人が天守閣に登る同市の観光のシンボル。天守閣は戊辰戦争後にいったん取り壊されたが、1934(昭和9)年に国の史跡に指定され、第2次大戦後の1965年に同市が再建した。その後、96年度に史跡を総合的に整備する計画をたて、入場料などを基金として積み立ててきたが、3.5億円となったのを機に、大規模整備に取りかかることにした。
天守閣再建から50周年を迎える7年後を目指し、秘密の会議を行っていたとされる三層の「御三階(おさんかい)」の復元や、天守閣を本来の赤瓦にふきかえ、老朽化した壁も塗り替える。文献や発掘調査から、鶴ケ城は1648年に、黒から赤瓦にふき替えられ、敗戦前の「往時」には赤瓦だったことが分かっているという。
また、合わせて財源に、同市へのふるさと納税をあてることも決めた。調査や設計も今後のため、総事業費はまだ未定だが、一般のまちづくりとは別に「鶴ケ城整備」の項目を設け、賛同者を募る。1万円以上の寄付をした個人には、1年間、天守閣への入場(大人1回400円)がタダになる「鶴ケ城通行手形」を贈る。菅家一郎市長は「ただ寄付を集めるのではなく、『鶴ケ城に』と使途をはっきりさせて応援団を募りたい」と話した。(2008年9月20日付朝日新聞)
会津若松市記者発表 天守閣再建50周年に向けた史跡若松城跡整備について
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直江兼続の兜 金沢にあった
来年のNHK大河ドラマ「天地人(てんちじん)」の主人公で上杉家に仕えた名臣、直江兼続ゆかりの兜が加賀八家の1つ本多家の初代、政重が兼続に請われて婿入りした際に、結納の使者に返礼として贈ったものとみられ、19日から金沢市の藩老本多蔵品館で初公開される。(北國新聞2008年9月4日付記事)
藩老本多蔵品館
北国街道 津幡町指定文化財に
加賀藩の参勤交代にも使われた「北国街道」の津幡町倶利伽羅峠付近が来月に町の文化財指定を受ける。石川県教育委員会によると、同街道の文化財指定は県内初。街道の大部分は明治以降、路面の舗装や拡幅で形状が変わり果てており、同町教育委員会は往時の面影を残す一帯が学術的価値が極めて高いと判断、町指定で保存を図る。開発を免れた「道路遺産」とも言え、将来的に県指定へ格上げされる可能性もある。(北國新聞2008年8月30日付記事)
京都宇治川右岸 太閤堤から庭園跡
京都府宇治市の宇治川右岸に16世紀末、豊臣秀吉が前田利家らに造らせた「太閤堤」で炉や池などの庭園跡が見つかり、市歴史資料館が21日発表した。太閤堤は伏見城築城に伴う宇治川の護岸工事とされていたが、秀吉が治水目的以外にも、趣味の茶の湯で使った可能性がある。資料館の吉水利明館長は「宇治川から山河の風景を眺めながら、茶の湯を楽しんだのかもしれない」と話している。(北國新聞2008年8月22日付記事)
金沢最古の大野庄用水 護岸を石積みに
金沢市は10月から大野庄用水の芳斉地区で護岸整備に着手する。コンクリート護岸を石積み護岸に改修し、一部に残る旧来の石積み護岸の部分と川底の補修工事を行う。用水に架かる三社橋の高欄もコンクリート製から木製に付け替え、金沢最古の用水にふさわしい情景をつくり出す。来年3月の整備完了を目指す。(北國新聞2008年8月16日付記事)
大野庄用水は、天正年間に完成した延長約10.2キロの金沢最古の用水。
七尾城跡の石垣修復 畠山家600年事業に間に合う
能登半島地震で崩壊した七尾市の国指定史跡・七尾城跡の石垣が11日までに修復され、約一年五カ月ぶりに姿を現した。地震後には豪雨で土砂崩れが発生するなど、一時は修復のめどが立たない状況まで追い込まれていたが、市が設立した同城跡石垣修復検討委員会などの努力により、予定通りに修復が終わった。
現在、石垣の修復が終わり、土砂崩れが発生した場所についても、植物の種子を吹き付けるなど最終的な修復作業が進められており、8月末には城跡全体の復旧が終わる見通し。(北國新聞2008年8月12日付記事)
七尾城まつりは9月13日(土)・14日(日)
金沢城 藩政末期の西内惣構
金沢市が主計町の緑水苑内で進めている西内惣構の発掘調査で4日までに、藩政末期の堀幅が現在の水路の2倍に相当する約4メートルだったことが分かった。明治初めに埋められたとみられる堀の内側の遺構が見つかり、堀幅が確かめられた。
金沢市は来年度以降の惣構の復元整備に向けて今年度から調査しており、苑内を流れ、堀の一部とされる母衣町川の水路の内側4ヵ所と外側1ヵ所で試堀を進めている。発掘場所は先月28日の水害で土砂が流れ込み、現在は土砂を除きながら調査している。(北國新聞2008年8月5日付記事)
金沢城 惣構の升形復元へ
金沢市は来年度から、金沢城の西外惣構の防御施設だった「升形」の復元事業に乗り出す。同市本町一丁目で進める発掘調査で、升形の堀、石垣などを3日までに確認しており、城下町の歴史を伝える貴重な歴史遺産として後世に継承する。(北國新聞2008年8月4日付記事)
金沢城東内惣構堀 柿木橋詰遺構復元工事完成式
城下町金沢の歴史資産である惣構堀について、文化財指定を視野に入れ、現地調査及び発掘調査を行い、その結果を踏まえ可能な場所で復元整備を行うことにより、金沢の貴重な歴史遺産の保存・活用を図っていきます。このたび、平成18年度からの発掘調査に基づき、本市初の惣構堀の復元整備工事が完成します。
完成式
日時 平成20年7月5日(土) 午前10時から
場所 東内惣構堀 柿木橋詰遺構(尾張町二丁目地内)
整備のコンセプト
1 発掘調査結果に基づいた、堀の石垣及び土居の復元整備
2 堀幅の変遷や惣構堀の規模がわかるような整備
3 見学所として気軽に立ち寄れ、歴史を感じ取れる整備
東内惣構堀とは・・・
城の防御のための堀で、慶長四年に加賀藩二代藩主前田利長が高山右近に命じて築造させたといわれています。小将町~兼六元町~主計町の延長約1.3kmです。
七尾城跡 石垣修復9月完了
昨年の能登半島地震で崩落した国指定史跡・七尾城跡の石垣が、9月上旬に修復を終える見通しであることが26日の同石垣修復委員会で報告された。城跡は昨年10月の豪雨でも18カ所で土砂崩れし、一時は修復のめどが立たない状況となっていた。9月13日に始める能登畠山家創立六百年事業に何とか間に合う形となり、市関係者らは胸をなで下ろしている。
市は9月13日の七尾城ウォーク、14日の城山まつりなど、能登畠山家が能登一国の守護となり六百年の節目を祝う一連の記念事業に間に合わせたいと、協議を重ねていた。(北國新聞2008年6月27日付記事)