金沢市埋蔵文化財センターは24日までに、金沢市上辰巳町で、辰巳用水の隧道(トンネル)と並行して走る水路の一部を発見した。これまで絵図や文献では存在が分からなかった「謎の水路」で、専門家からは、辰巳用水の隧道が崩れた際に緊急的に水を通した「バイパス」の可能性があるとの見方も出ているが、現時点でははっきりしない。辰巳用水の知られざる歴史を示す発見の可能性もあり、市埋蔵文化財センターは全容解明を急ぐ。
辰巳用水は犀川上流で取水し、小立野台地を通過して分水しながら兼六園など城下町を潤す全長10キロの用水。寛永大火をきっかけに三代藩主前田利家が、小松の町人板屋兵四郎に命じて築城したとされる。(北國新聞2007年8月25日付記事)
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金沢城 いもり堀解明へ 南側で発掘調査
金沢城公園の宮守(いもり)堀の水堀化に向け、石川県は27日から、金沢市中央消防署広坂出張所跡地で埋蔵文化財調査に着手する。出張所跡地は堀の南側にあたる。南側は昨年度の調査で部分的に位置を確認した程度で、石川県は今回の調査で堀の全体像解明を目指す。
宮守堀はこれまでの調査で北側の位置や形状、規模などが判明しているが、南側は不明な点が多い。
昨年度の調査では、市道広坂長町線の県庁跡地側の歩道周辺を2カ所掘削し、堀の幅が約40メートルだったことを確認している。今回の調査は、7月に広坂出張所が移転したことを受け、出張所跡地を幅約4メートル、延長約12メートルの範囲で約3メートル掘り下げ、遺構の有無を見極める。
宮守堀は今年度から実施設計に取り掛かる。埋蔵文化財調査は1ヶ月程度を予定しており、県は堀の遺構を確認した上で、11月に開く予定の河北門等復元整備専門委員会で水堀化に向けた工法や整備範囲の検討に入る。(北國新聞2007年8月17日付記事)
金沢城の東内惣構堀 初の見学所
金沢市は9月下旬、金沢城の東内惣構堀で初めてとなる見学所の整備に着手する。11月末に完成する予定である。金沢城を中心に城下町に張り巡らされた惣構堀の歴史を伝える空間として、市民や観光客に開放する。将来の史跡指定も視野に惣構堀の保存、継承に取り組み、「城下町金沢の文化遺産群と文化的景観」の世界遺産登録運動に弾みをつける。
見学所が整備されるのは、金沢市尾張町2丁目の橋場交差点付近の東内惣構堀で、昨年度に発掘調査が進められた。市は文化庁などと協議し、復元整備の概要をこのほど決定した。
金沢城石川門 平成の大修理
平成18年度から「平成の大修理」に入った国重要文化財、金沢城石川門で、左右に延びる太鼓塀を補強する控柱が、平成20年度から江戸中期の形状そのままに復元される。石川県教育委員会の金沢城調査研究所は、これまでの解体・発掘調査で藩政期に控柱を立てた跡、横の柱の貫を通す上下二カ所の貫穴を確認した。現状の控柱はつっかえ棒のように斜めに渡した”無粋”な鉄筋コンクリート製だが、県教育委員会は柱跡などから本来の木造構造の確証を得たとして、来月、文化庁に形状変更を申請する。
控柱は、旧陸軍が管理していた明治後期から昭和初期に改造された。今回の調査で、木の板で囲んだコンクリート製の控柱の両端は上部の貫穴、江戸期の控柱の跡の位置とほぼ重なっていたことも判明した。塀内部の軸組には、古い部材と新しい部材が混在しており、1959年の改修で部材の一部が取り替えられていたことも裏付けられた。県教育委員会によると、能登半島地震の際、今回明らかになった藩政期の控柱の構造と同じ造りの塀や門では、倒壊を免れた例が多かった。接続部分の多い組み方が揺れの衝撃を分散させるとの見方ができ、太鼓塀は文化財の耐震研究でも貴重な史料に位置づけられそうだ。(北國新聞 2007年8月5日付記事)
二条城本丸 公開中止へ
京都市中京区の二条城で国の重要文化財に指定されている本丸御殿4棟のうち2棟が、震度6強以上の地震で倒壊する恐れがあることが市の調査でわかった。市は春と秋に実施している特別公開を今秋から中止し、本格的な調査に入る。再開には5年以上かかる見込み。本丸御殿以外は通常通り見学できる。
調査は国の補助事業で、市が京都工芸繊維大に委託して昨夏から今春まで実施。本丸御殿の玄関(重文)と御書院(同)のほか、二の丸御殿大広間(国宝)と東大手門(重文)の計4棟を調べた。
この結果、本丸御殿玄関の瓦屋根の重量が1平方メートル当たり約120キロと推定され、耐震性が不足していることが判明。御書院も同様に瓦屋根が重過ぎることがわかった。いずれも江戸末期に建てられ、明治初期に改修、移築された。
また、震度6強以上で二の丸御殿大広間は損傷する危険性があるとされ、東大手門は土塀倒壊の恐れがあるとされた。
平成21年NHK大河は直江兼続の「天地人」
今年で82回目となる新潟県上越市の「謙信公祭り」が8月25日に行われます。今年は風林火山により大変盛り上がっているのか、謙信公には大河でも謙信を演じているGacktが扮する模様!!こんな人気のある人をゲストに迎えて大丈夫なのか?
祭りを調べていて上越市のホームページを見ると別の興味ある情報が・・・
8月29日からは上越市埋蔵文化財センターで「上杉謙信公企画展」が開催されるとこと。展示物も充実していそうだが、山梨県の武田検定に負けまいとしてか、こちらは上杉謙信公検定を同時に行うようです。でも楽しそう。
そしてもう一つ、平成21年のNHK大河は上杉謙信の寵臣、直江兼続を主人公にした「天地人」に決定したという情報が。1年置いてまたまた地元には暑い1年になりそうですね。
上越市観光ホームページ
ところで来年の大河は何だったろうと思ったら、「篤姫」でしたね。徳川幕府13代家定の奥方で薩摩藩島津家より嫁いだ、後の天璋院です。ということは来年の大河景気は鹿児島なのか?東京なのか?
松任城 歴史学び城名復活
白山市(石川県)は、加賀藩二代藩主前田利長も城主を務めた松任城の歴史に光を当て、文化遺産としてのその名を後世に伝える取り組みを本格化させる。
1968年に整備された公園の名称は、城跡に若宮八幡宮の「御仮屋」が建てられたことに由来する。市などの調査で「御仮屋」は現在の公園内ではなく、隣接する市松任文化会館付近にあったことが分かり、旧松任市時代から史実にふさわしい公園名への変更を検討していた。
一方で、憩いの場として長く親しんだ「おかりや公園」の名称存続を求める声も根強い。さらに松任城の往時の姿を偲ばせる遺構は内堀跡の石垣の一部、櫓土盛りなどがあるだけで、都市基盤の整備に伴い、城のあった事実が見えにくくなっている。
市はフォーラム開催や広報への歴史紹介文掲載を通じて、同公園が由緒ある松任城の本丸跡であることを周知し、市民が後世に松任城を語り継げるように情報を提供していく考え。8月上旬に開くフォーラムは「歴史に学ぶ松任城」と題し、郷土史研究家の蒔田達雄氏の基調講演やパネル討論などを予定している。(北國新聞2007年6月3日付記事)
金沢城 宮守堀の水堀化
県庁跡地に接する宮守堀は今年度から実施設計に取り掛かる。これまでに堀の北側の位置や形状、規模などは判明しているが、南側は現在、大部分が歩道になっており、昨年度の調査で部分的に位置を確認した程度となっている。今夏に移転を予定する広坂出張所付近では、まとまった範囲で南側の調査が可能となるため、県は当時の堀の形状を確認した上で、水堀化に向けた工法や整備範囲、湛水計画の検討に入る。
一方、河北門の復元では、「二の門」は石垣の最下部を支える根石を生かしながら、石垣を積む工法を採用する。ただ、在来工法では地盤の強度に課題が残るため、石垣内部に杭を設置して石垣上の櫓を支えることとした。杭は外側からは見えず、石垣内部も在来工法に近いものになる。櫓の構造については、県側は建築基準法の条件を満たすため、床と天井の梁をつなぐ中柱を六本設置する案を示したが、観光客が櫓下をくぐる際、中柱が見える可能性もあることから、柱を隠すため本数を追加するなどの検討を加えることとした。
このほか、「一の門」の門の高さは、現存する石川門や一部復元した橋爪門を参考に約四メートルとする。県は今秋から復元工事に着手し、今年度は「二の門」の石垣積み上げ作業を進め、2009年度末の完成を目指す。
富山城 平成期の石垣築造へ
富山市の富山城址公園に移築、整備されている千歳御門の横に、新たに石垣が築造されることになった。城址公園での石垣築造は1953(昭和28)年以来54年ぶり。市は9月にも平成の石垣の築造に着手し、富山城唯一の遺構とされる千歳御門の移築と併せて風格あるたたずまいを演出、城址公園の魅力向上につなげる。
移築中の千歳御門は、富山藩十代藩主前田利保が隠居後に過ごした千歳御殿の正門で、1849(嘉永2)年ごろに建築された。明治初期に富山市米田町二丁目の個人宅に移築されたが、寄贈を受けた市が昨年度から再度城址公園への移築を進めており、年内には完了する。移築場所の南側には老朽化した公衆トイレがあるほか、樹木が植えられているなど景観が良くないことから、市はトイレを撤去したうえで新たに石垣を築造することにした。(北國新聞2007年5月23日付記事より)
風林火山への道 パート2
2日目、今日は良い天気です。思ったより公共機関の便が良くなかったので、ホテルから武田神社までタクシーで向かいました。すでに何台も観光バスが到着しています。境内に上がると準備が始まっていました。
まずは鉄砲隊演技から始まり、神輿が階段を降り、その後に騎馬行列が続きました。最後尾に山本勘助と武田信玄が続きます。
出発を見届けてから信玄正室の三条夫人の菩提寺であり、甲斐五山の1つである「円光院」に行きました。境内の桜がきれいでした。
本堂前の庭に石像がいつくかありました。キティちゃん?そういえば武田神社宝物館の前にもキティちゃんの石像が・・・甲府では流行っているのか?
次に武田信虎の菩提寺である「大泉寺」に行く途中で、武田信玄公墓所を詣りました。
大泉寺は五山になっていないこともあるのか、閑散としており、周辺整備も円光院とは比べるまでもない状態でした。京都の万福寺と同じ黄檗式の建物が多く、中華系の細かい部分で違和感のある建物があります。
昼ご飯を食べた後、帰りの行列を待っていましたが、行き違いにならないかなと思いつつ、甲府城に向かったところ、ちょうど休憩中だったので、くつろいでいる様子を撮りながら出発を待ち、念願の正面から行列の最初から最後を見ることができました。武田神社の出発のときは人出もなかなかでしたが、甲府城は人もまばらで平日だなあと思いましたが、先日の信玄公まつりに比べても、非常に楽しめるものでした。行列がテキパキしすぎて通過するとき10分もかからないというのが逆に寂しいくらいです。
甲府城の本丸に登る途中で石垣の上から下を通る行列を再度楽しみました。一車線で進む行列は車も止めずに行なわれており、命日の行列は粛々と進められていました。12日が土日になるような年はもっと人が出て盛り上がるでしょうね。
甲府城をひととおり見て回り、先月公開されたばかりの「山手御門」を見ました。現在の甲府城とは線路を挟んで南北に分断されてはいるが、もとは続いている敷地の一部であり、内枡形の門を復元しています。史実に忠実なのかどうか疑問な部分もあるものの、甲府駅周辺から建物の復元がされているようです。甲府城では特に天守台の石垣に落書きが目立った。黒っぽい色の大きな石が多いことも影響しているのだろうが、地元若者のモラルが問われる出来事である。完全開放の都市公園という性格上仕方がないとも言えるのかしれないが、何でも甲府城でイベントを行なうことの影響もあるのではないか。もったいない次第である。
NHK大河の「風林火山博」を見てきました。モンタージュボイスによる登場人物の声の復元が楽しかったが、武田検定簡易版が10問中8問だったのが残念だった。全問正解して粗品狙っていたのに、意外と難しい問題が含まれていた。本日武田検定問題集を入手したので、秋の検定に向けて、甲斐侵攻を再度計画中です。
最後に躑躅ヶ崎館と甲府城に日本城郭協会の日本百名城に選ばれたときの賞状があったので写真に撮ってきました。スタンプラリーはゴールデンウィーク明けでしょうか。待ち遠しいです。