室生犀星記念館では犀星生誕120周年記念企画展として「最愛の妻 とみ子ものがたり」が開催されています。
記念館の前にはここが犀星生誕の地であるという石碑が立てられています。
企画展では犀星の妻の一生を紹介していますが、奥さんも詩など文学に才のあった人だったようです。
金沢市役所前には3週後にせまった百万石まつりに向け、大きな看板が立てられていました。今年の百万石まつりは、高岡開町400年を記念して、高岡市からミスが前田利家の三女麻阿、四女豪がパレードに参加するようです。晴れればいいな。
投稿者: Tadashi
金沢城玉泉院丸 発掘調査は今夏から
金沢城 玉泉院丸は加賀藩二代藩主前田利長の正室永(玉泉院)の御殿があった郭です。そこには兼六園以前に金沢城にあった庭園のあった場所でもあります。
昨年までここには石川県立体育館がありましたが、現在はすべて撤去され平地となっています。「発掘調査中」の看板が立てられていますが、まだ日付は入っていません。
現在のいもり口から二の丸に至る通路は、明治以降に軍隊が作った通路ですので藩政期はありませんでしたので、玉泉院丸からみると、石垣は庭園の借景として山を表していました。
さすがにどこの石垣も立派で、庭園が整備されると金沢城随一の石垣スポットになりそうな予感です。
今から発掘調査が行われますが、石垣も長年の放置で石垣が外れてしまっている部分や、隅石のずれた部分がありますので、整備されて公開されるまでは数年かかりそうですね。
金沢城河北門 二ノ門の屋根普請
久しぶりの金沢城河北門は急ピッチで作業が進んでいました。
屋根には丸瓦用の木材が葺かれ、先になる前田家の剣梅鉢紋のついた丸瓦の木材も一部葺かれていました。
足場には今後の作業で葺かれる剣梅鉢紋付きの木材が積まれていました。
特に南側の妻は丸瓦の作業が進んでいました。
石落としの屋根もかなり進んできました。
現在の作業を見ると、左官工事は「ムラ直し」とあります。よく見ると、二ノ門の壁も以前はヒビ割れていたのが、随分きれいな部分が増えています。
1段下の足場には屋根に葺く杮葺き材が準備されていました。
金沢城いもり堀 鯉喉櫓がいよいよ
金沢城いもり堀工事も、鯉喉櫓前まで来ました。ここは櫓台石垣が埋もれているので慎重を期すために最後になったようです。
もともと芝生の上に出ていた50センチほど、掘り起こされた部分が50センチほど、まだ下に2、3メートル掘り下げられる予定です。今日は、ショベルカーが大きな音を立てて、押し固められた土を掘っていました。
そして、薪の丸下に展示保管されている前回発掘の際に外された石たちが戻される日も近い!?です。
来年春までにはこの工事も完了し、金沢城に新しい魅力が加わります。
新丸ではこのいもり堀工事で出た土を使って、起伏ある広場を建造中。他に使い道がなかったのか?
金沢城・兼六園研究会総会
今日は金沢城・兼六園研究会の総会でした。もう3年目になるのですね。ご年配の方に囲まれて、若い者はただ1人ですが・・・、平日の学習会を修了した者のみが参加を許可される仕組みなので自然そうなります(今の境遇では自分でも参加資格は取れないです)。
総会の後の記念講演は金沢城調査研究所の石野友康氏による「よみがえる二の丸御殿」というテーマで文献・絵図にみる二の丸御殿の話でした。
二の丸御殿の調査は史料の乏しさもあって、平成13年7月の金沢城研究調査所(現在の金沢城調査研究所)発足後にようやく調査も途に就いたばかりということです。
今年19期生を迎えた同会ですが、今年は約20名会員が減りました。会員の年齢による要因が大きいとのことでしたが、自分と同期の17期生の減り方がさびしい限りです。兼六園の学習会が発足母体であった同会にとって、金沢城の学習会が中心の最近の入会者は、活動内容のギャップも原因のひとつだと思いますが、金沢城と兼六園はともに地元の宝ですから、工夫して会が盛り上がることを期待しています。自分は環境が変わってあまり参加できなくなったので、自由に参加できる時(あと30年・・・長いなあ)までぜひとも残っていて欲しい。
総会は生涯学習センターで開催されたので、窓からは整備中の旧石川県庁舎の様子が見えます。
石野氏の話のなかにも出てきた学習センター隣りの建物も撤去され(いつの間にか平地になっていて言われて気がついた)、金沢市役所方向からみると、金沢城の石垣が見通せるようになりました。
石垣と本丸の森、欲を言えばここに櫓が1つ欲しい。
白いタイヤキの新作発見!
先日紹介した「白いタイヤキ」ですが、今日またまた買ってきました。
先日食べなかった味も含めて当日買えるものをすべて大人買い。「抹茶」「黒あん」「白あん」「カスタード」「チョコ」と注文した後・・・
「新作です!」
という店員さんの営業に乗せられて、「苺みるく」「ココア」を追加で注文。7個で1000円でおつりがきました。帰ってきて次回以降に買うお気に入りの味を品定めです。
新作の「ココア」はナッツが入っていて、いい味ですよ。しかし・・・・よく見ると、白いタイヤキでないものが3個もありますよ。
名古屋みやげ
先日の名古屋ではいくつかのみやげを買いました。名古屋城売店ではさらにおまけを・・・
今回もドニチエコきっぷを購入して、地下鉄で移動していました。観光施設では入場料を割り引きされるのでさらに得した気分でしたが、名古屋城内の売店で1000円以上購入すると、名古屋城(裏は名古屋TVタワー)を印刷したお札風メモ帳をもらいました。
金シャチ銀行の百万円札です。みやげと一緒に袋に入れて地下鉄に乗っていたら、周りの視線を感じましたが、どうもこの百万円札が気になったようです。地元民にはあまり知られていない?
今回は名古屋城クッキーと金シャチ飴を買いました。そして、正門横の売店限定と書かれていた「かやの実」で作った「殿様びな」です。このかやの実は名古屋城検定受験者にはご存知の名古屋城樹齢600年のかやの実らしいのですが、本当でしょうか?
インストールマニアックス最終日
いよいよ最終日となってしまいました。
計20時間ほどしか時間が割けなかったが、新しくなったサーバーOSやIISに触れられていい経験でした。
1.phpMyAdmin
2.tDiary
3.phpMyFAQ
4.XOOPS Cube
以上4本インストールできたが、あまり実用的ではないので、審査期間が過ぎてから別のアプリもインストールしてみる予定である。
次回もあるのかな?あればまた挑戦したい!!
からくり人形 宗春爛漫
名古屋検定後、帰り道で大須観音に寄りました。
見ると、前回訪問時には気づかなかった珍しい時計があります。
案内板をみると時計ではないようです。からくり人形ということで、上映まで30分ありますが待つことにしました。
17時になり上演が始まりました。
夕陽の照り返しが少しきついです。まずは白牛にまたがった尾張藩7代藩主徳川宗春公が登場します。
続いて、山車とともに唐子が登場しました。なんとも賑やかですね。
そして、宗春が愛した花魁(おいらん)「春日野」が登場しました。
最後には名古屋城の大屋根で踊る!?宗春公
賑やかなうちに6分の上演はあっという間に終わりました。なかなか楽しいものでしたよ。名古屋に行ったときは探してみてくださいね!
名古屋 旧東海道の旅
地下鉄名城線の伝馬町を降りると、そこは旧東海道です。
直角に折れて熱田の海に向かう角には旧東海道の道標が残っています。
案内板とともに立っているのは1本ですが・・・
実は近くにもう1本あります。個人宅の庭先に立てられた4つに割れた道標。見ていると、偶然そのお宅の方が外出されるところで話を聞くことができました。
聞けば、この1本も現在案内板とともに立つ道標とともに熱田神宮方向から東海道に入る入口にあった道標だとか。道路舗装工事の際に上3つが、地下鉄名城線工事の際に下の1つが見つかり、捨てるものだからともらったとのことで、こうした方がいるおかげで今こうして歴史を感じることができるのです。
さて、道路に分断され、斜めに伸びる道の向かい側には、
蓬莱陣屋と書かれた行列のできるお店が・・・何の店か分かりませんが、
その駐車場に「宮の宿赤本陣跡」の案内板があります。このあたりに本陣があったそうですが、名古屋は空襲で焼けているので正確な場所は不明とのことです。ここは海を渡る前の最後の宿場となります。
さらに少し進むと、白鳥消防団詰所の前に「西浜御殿跡」の案内板があります。西浜御殿は尾張藩2代藩主徳川光友が造営したもので、初代義直が東浜御殿を造営したそうです。
門が春日井市中央公民館に残っていると書かれていますが、ちと遠いですね。
湊に面して宮の渡し公園がありました。写真に見た「時の鐘」が見えます。何度か名古屋に来ましたが、これが見たかったのですよね。
「七里の渡し」の石碑もありますが、ここから桑名までは東海道は海路となります。その距離が七里ということです。短い道中ではありますが、見どころがたくさんありますね。
石碑の奥に見えるのが「熱田宮常夜灯」で、昭和30年に復元されたものです。
伝馬周辺では、他に「徳川家康幼時幽居跡」があります。徳川家康は幼少期に今川義元の人質に送られる途中で、家臣の裏切りにあい、織田信秀の人質となりました。そのとき、熱田の豪族加藤順盛(のぶもり)の屋敷に幽閉されていたそうです。
今は個人宅ですので、特に何があるというわけではないのですが、
敷地内に小さな祠が一つ見えました。