金沢市は30日までに、尾張町二丁目の橋場交差点・枯木橋付近で進めている惣構堀の発掘調査で、江戸中期から後期に築造された複数の石垣を確認した。城下町を二重に囲む惣構堀で藩政期の石垣が確認されたのは初めて。惣構堀は藩政期以来、宅地造成などの影響で徐々に規模が縮小しており、現在見られる惣構堀の石垣は近代以降の築造と考えられていた。(北國新聞 2006.10.31付記事より)
投稿者: Tadashi
金沢城大学公開講座 大名庭園シンポジウム
金沢城大学は歴史・文化コースのほかに、「城と庭の魅力コース」があります。こちらは今年は3回開催され、すべて公開講座となります。
第1回は大名庭園民間交流事業金沢大会として開催される「大名庭園シンポジウム」が公開講座となりました。東京農業大学の進士五十八教授の「大名庭園から学ぶもの」というテーマで講演があり、その後、各大名庭園の代表による庭園の紹介(というより自慢大会?)がありました。
全国の大名庭園、民間で交流協議会を設立
兼六園や岡山の後楽園など全国5ヵ所の大名庭園で、学習会やボランティアガイドに取り組む民間団体が、「大名庭園民間交流協議会」を結成することで合意し、26日に金沢で設立総会を開くことになった。当初は兼六園の一般向け講座などに取り組む金沢城・兼六園研究会が事務所を務める。協議会では毎年まちづくりに関するテーマを決めて活動や情報交換を行い、加盟団体が相互交流するなどして観光面でも協力していく。
加盟団体は以下のとおり。
兼六園(金沢市) 金沢城・兼六園研究会
偕楽園公園(水戸市) 偕楽園公園を愛する市民の会
小石川後楽園(東京文京区) 小石川後楽園庭園保存会
岡山後楽園(岡山市) 岡山藩郡代・津田永忠顕彰会
栗林公園(高松市) 栗林公園ボランティアガイドグラブ
(北國新聞 2006年10月24日付記事)
河北門復元 来月に専門委員会初会合
石川県は、金沢城の河北門の復元整備に向け、11月下旬に学識経験者6人で構成する専門委員会の初会合を開く。専門委員会では、同門の整備だけでなく、宮守堀の水堀化も取り上げる予定。県は設計段階に加え、工事着手から完成までの作業の節目ごとに、専門委員会を開いて助言を受けたいとしている。
県では、菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓を復元する際にも、各分野の学識経験者を集めた「金沢城址の石垣、櫓に関する修築・復元専門委員会」を設置している。今回の委員は次の各氏。
北浦勝(金沢大学自然科学研究科教授)
北垣總一郎(元東大阪短大教授)
北野博司(東北芸術工科大助教授)
中村利則(京都造形芸術大教授)
新谷洋二(東大名誉教授)
平井聖(昭和女子大学長)
(北國新聞 2006年10月24日付記事)
金沢城跡玉泉院丸南西石垣現地説明会
玉泉院丸南西石垣の解体修築に伴う現地説明会に行ってきました。当日は晴天にもめぐまれ、多くの見学者が集まったため、2班に分かれての説明となりました。工事を担当する方から石垣の積み直しをどのように行なっているのかなどの説明を聞きました。40年前まではここにも石川門の周りにあるような土塀があったという話もありました。今回の工事部分の裏側から絵図にない石積みも発見され、特徴から初期のものだそうです。
後半は、玉泉院丸を外側から説明を受け、鼠多門のあった部分の石垣の説明を受けました。この石垣はいままで草に覆われていて様相がはっきりと判別できない状況にありましたが、今回すっきりと石垣が見えるようになり、橋のかかる部分の石垣が力に耐えるように加工されている様子などを確認できるようになりました。
金沢城 藩政期の石積み技法 明治期にも
金沢城公園の玉泉院丸南西石垣が明治期に補修された際、藩政期の石積み技法が用いられていたことが20日までの石川県の調査で確認された。県関係者は明治時代の石工が藩政期の石積み技術を継承していたことを示す貴重な史料になるとしている。県は修復のために7月から解体工事を進めており、今回は石垣内部から出土した石の加工跡などから、石垣が江戸後期から明治期にかけて4回、部分修理されていることが分かった。
石垣の背後から江戸前期の盛り土で埋め立てられ、絵図に描かれていなかった金沢城初期の石垣も見つかった。(北國新聞 2006年10月21日付記事)
「知識の泉」が紹介されました
ハンドルネーム「ひづめ」さんの運営する「藪ログ」に私の運営する「知識の泉」が紹介されました。こうして反応がいただけるということは非常にありがたいことです。感謝!!感謝!!
ひづめさんは今夏に発売された「図説 茨城の城郭」の執筆にも関わったそうです。一緒に城館をめぐるお仲間もたくさんいるようでうらやましいです。
中世城館を駆けめぐる 藪ログ
金沢城河北門工事現場
09年度完成に向けて発掘調査の進む金沢城河北門の現場に行ってきました。本日は先週に続く金沢城大学の帰りです。河北門周辺は発掘調査とともに配管工事がされていました。すでに埋設させている配管が縦横に走り、位置をずらさなければ土台の整備をできないほどでした。このペースで行くと、石垣の修築は来年度後半でしょうか?
河北門復元後の河北門越しの菱櫓と五十間長屋の景観はよいことでしょう。
日本100名城選定記念 七尾城フォーラム
七尾城サンライフプラザで日本100名城選定を記念して「七尾城フォーラム」が開催されました。表に案内がなかったため受付で場所を確認しましたが、会場は50名ほどが参加していました。ほとんどが関係者ではなかったでしょうか?私は新聞で見てチェックしていたのですが、出たのが少し前だったこともあり、人集めが難しかったのでしょう。
まずは、「七尾城の歴史的価値について」と題して、金沢学院大学の東四柳教授の講演でした。先に刊行された七尾城に関する書籍(本人の名誉のため具体名は避けます)の内容について、学者は事実に基づいた説を唱えるべきという主論でした。
後半は、「七尾城をシンボルとするには」という題でパネラーが議論を交わしましたが、七尾城を中心として能登の歴史を発信するための企画や博物館を勧めるべきだという論調で話が進みました。東四柳教授は穴水の出身ということで、石川県の施策が金沢周辺に集中する姿勢にひとつ注文をつけたというところでしょうか?七尾城は整備が進めば、お隣の朝倉氏遺跡にも匹敵するようほどの中世遺跡になる可能性を秘めており、そこは石川県と七尾市、中能登町、氷見市とも連携をとりながら七尾城址群の全容解明に努めてほしいと思います。
井上の荘10周年記念講演会
私の住んでいる住宅地が分譲を始めてから10周年を迎えて、本日記念講演会を開催しました。住宅地造成に至る経緯や井上地区の歴史に関して、石川県住宅公社や津幡町都市建設課の担当者の方にお話を聞きました。ここに住んで日の浅い私にはとても興味ある話でした。