金沢城の建築物に関する公開講座を受けてきました。土曜日の午後ということで早めに入りましたが、予想に反して少なかったですね。去年も同じような講義をしたようで、その辺りが人数に影響したのかもしれません。
講義内容ですが、建築物をどう見るかというポイントに関してでしたが、ポイントが絞られているようでそうでない部分もあり残念でした。金沢城は宝暦と文化に2回大火に見舞われ都度再建されているのですが、それぞれの残っている絵図について、石川櫓、河北櫓の意匠に関して似ているという説明があり、興味深いものでした。
ちなみに金沢城の明治以前の遺構は以下4件です。
○尾崎神社(金沢東照宮) 寛永20年(1643)
○石川門 天明8年(1788)
○鶴丸倉庫 弘化5年(1848)
○三十間長屋 安政5年(1858)
投稿者: Tadashi
金沢城 三十間長屋・石川門内部公開
金沢城では本日から石垣回廊の新しい散策路として「薪の丸コース」が通れるようになり、記念して開催されたガイドツアーに参加してきました。これにより、城内コース、いもり堀コース、玉泉院丸コースをあわせ、玉泉院の外側をめぐる外周コースを残すのみとなりました。実際の解説を聞くと石垣の見方が変わります。今後、自分のサイトでも石垣の魅力を伝えるコンテンツを用意していきたいですね。
その後、1日限りの三十間長屋と石川門の無料特別公開を見てきました。それぞれ内部を公開しており、以前それぞれ一度見たことはあったのですが、あらためて入ってみると、特に展示物はないのですが天井の木組みの複雑さに圧倒されます。
歴史・文化コース第4回 兼六園史の新しい見方
「金沢城研究 第4号」に「兼六園とはどこのことか」という論文を投稿された長山直治氏の講演です。
現在、岡山「後楽園」、水戸「偕楽園」とともに日本3名園に数えられる兼六園ですが、明治までは今とまったく違った姿だったことを知りました。現在の後楽園には田んぼがありますが、兼六園にも一時期は田んぼや畑があったことがあり、地元の人間でもこの事実をどれだけの人が知っているでしょうか。
明治四年(1870)年に一般公開されたときは「与楽園」と名付けられ、一月ほどで「兼六園」と改称されているそうです。ちなみに与楽園とは、「ともに園(苑)を楽しむ」という意味で偕楽園と同義だそうです。トリビアですよコレ!!
Wii(ウィー)予約できた
ソニーのPS3、任天堂のWiiで盛り上がる年末のゲーム市場ですが、ニュースで報道されたとおり、初期出荷の台数不足で必要以上に過熱しています。インパクトとしてはやはり任天堂のWiiに軍配があがるでしょうね。PS3はブルーレイの再生機を兼ねているとはいえ、ソフト不足の感は否めず、画像は格段に良くなっているものの操作性は変わりません。純粋にゲーム機としては、新しい操作性を提案しているWiiは大きく化けるか、全く振るわないのか、任天堂以外のサードパーティのソフトにかかっているのでしょう。とはいえ、任天堂もゼルダ、ポケットモンスターという2大ブランドを年内に揃え、マリオこそないものの一気にブレークする可能性は大いにあります。ソニーが予定通り本体を供給できなければ、第3の刺客、マイクロソフトの目論見通りとなる可能性もあるのでは・・・。
さて、Wiiの予約は量販店店頭では見送られるようで、PS3同様に長い行列、もしくは抽選販売となりそうですが、インターネットの予約販売もページが表示できないほどの盛況振りです。私も半ばあきらめていたのですが、本日地元のアルプラザのおもちゃ売場で予約を受け付けていたので、予約してきました。穴場として目をつけていたのですが、台数からして任天堂はWiiの初期出荷を100万台くらい用意してくるのでしょうか。意外と発売当日の入手は簡単??なのか、その事実は当日、神のみぞ知るというところでしょうか。
いたずらが過ぎて
暑い夏を越えて活動しやすくなったのか、部屋を散歩中に何でもかじるので目が離せません。あまりにいたずらが過ぎるので、しばらく1部屋出入り禁止になりました。
うらめしそうに隙間から眺める「うさ」がまたかわいい
金沢検定申し込み4208人
今月19日に実施される第2回「金沢検定試験」の受験申し込み数が、昨年より401人増え4208人であったようだ。県外からの申し込みは北は秋田から、南は広島までの16都府県から308人。昨年から大幅に増えた。
昨年の合格率は初級が5.6%、中級が2.2%。今年初実施となる上級試験は、中級の合格者15人全員が挑戦するようだ。この国家試験並みの合格率もう少しなんとかならんものかの?まずは初級から挑戦しましょうか。
功名が辻 長浜探訪
初めて賤ヶ岳に登りました。と言っても、麓からリフトで5分(1.5キロ)、残り300メートルを頂上まで登っただけです。天気の良い日でしたが、もや(霧?)が出ていて、遠くまではっきりとは見えませんでした。頂上からは山本山城や中川清秀陣跡も行けるようですので、次回はぜひ挑戦したいです。
長浜市に行く途中で功名が辻にちなんだモニュメントを見つけたので寄りました。
長浜市では長浜城ほか2箇所で博覧会をやっていました。11月いっぱいの開催ということもあって今回はやってきたのですが、長浜城と曳山博物館はよいとして、大通寺は寺そのものが見所満載で展示物は必要ないほどでした。長浜市を出発して、浅井町姉川付近に向かいました。浅井歴史民俗資料館で下調べをしてから姉川に向かいました。姉川は水が少ないときは非常に蛇行している川なんですね。
地元の名士で浅井家の有力家臣であった三田村氏の住居があった場所とされています。住宅地の中、狭い道路を通って入らないといけないので分かりにくいですが、伝正寺敷地に入ると3方向に明らかに土塁が残っており、保存状態は良好です。三田村氏は姉川合戦のとき、横山城の城主としていたとされています。
三田村城跡から姉川を挟んで対岸に、上坂城跡がありました。現在、屋敷跡が児童公園になっており、この日もたくさんの子供たちが遊んでいました。普段地元の方しか通らないのでしょうね。県外ナンバーが走っているだけで何事かという目で見られてしまいました。場所はわかりにくいです。
予定どおりとはいきませんでしたが、充実した1日でした。
日本の名城 2006 七尾城山展
「七尾城山を愛する会」が主催する「日本の名城 2006 七尾城山展」を見てきました。文化の日に1日限りということですが、展示は七尾城の発掘状況を伝える新聞記事や日本100名城認定書、文献紹介、七尾城まつりの紹介など盛り沢山の内容でした。
まだ1度も参加したことがないのですが、七尾城まつりに関する歴史やポスターの展示もあり、ポスターを並べてあるだけでもなかなか壮観なものです。
古本屋の遊び心
立派な古本を購入して郵送してもらうと、時々昔からの古本屋の中には、古い切手をごっそり貼って送ってくるところがある。一見してびっくりする枚数なのだが、本だけでなく購入者に対しての気遣いを感じられておもしろい。ちなみに今回の封筒は、長野県の「ほその書店」様です。これだけ貼ってありますが650円分でしかありません。
金沢城大学 第3回「宝暦・文化の大火と城の再建」
金沢城は大火によって、政務の中核だった二の丸御殿を何度か再建しています。宝暦の大火(1759年)と文化の大火(1808年)の2回ですが、その後の再建段階を追っていくと加賀藩の財政の状態や城下町の様子がよく分かるそうです。そして、天守閣を失った本丸の機能はこの頃には完全に停止していて、二の丸に至る三御門、つまり、石川門、河北門、橋爪門が関としての重要な意味を持ってくるのです。
石川県では、現在河北門の復元を進めています。将来的には橋爪門も復元して、最終的な目標である二の丸御殿の復元につなげたいのですが、三御門と言っても、石川門・河北門と橋爪門とでは格に違いがあります。石川門と河北門は三ノ丸に入る門、ここで従者は半分になり、橋爪門から二の丸に入るという具合です。将来的にはぜひこの辺りが分かるように復元してほしいものです。