今日は巡行の日だったのですが、朝からあいにくの雨、12時には中止が決まりました。巡行の中止は25年ぶりだったそうです。
来年の楽しみにしておきます。
投稿者: Tadashi
高岡御車山祭 宵祭
高岡御車山は、天正16年(1588年)豊臣秀吉が、後陽成天皇と正親町上皇を聚楽第に迎え奉る時に使用したもので、加賀藩初代藩主前田利家公が秀吉より拝領し、二代藩主前田利長公が慶長14年(1609年)に高岡城を築くに当り町民に与えられたのが始まりと伝えられています。
祭礼の山車の巡行は明日ですが、前日の今日は臨時山倉で、木舟町、守山町、御馬出町の3つの山車がライトアップされました。写真は胡蝶の鉾留がきれいな木舟町の山車のライトアップ前とライトアップ後の写真です。
山車を出す8つの町と関野神社をめぐるスタンプラリーもあって、それほど広い地域ではないので、6時頃から廻り始め、明るいときの山車と暗くなってからの山車を両方楽しんできました。中には、振る舞い(配布物)をしているところもあり、一番町と小馬出町で曳山せんべい(瓦せんべい)をいただきました。
正味2時間ぐらいですが、とても楽しかったです。明日は天候が少し心配ですが、なんとか巡行みたいですね。雨天だと臨時山倉の展示のみで巡行なくなるんですよ。
ハードディスクが故障する時
日経エレクトロニクス4月23日号でも紹介されているが、先頃Google社は記憶装置関連の学会でハードディスクの故障に関する論文「Failure Trends in a Large Disk Drive Population」を発表した。同社が運用する世界最大規模のサーバーシステムで使用した10万台以上のハードディスクから取得したデータである。この膨大な実証結果から見えてきたのは今までの常識(予測)とは少し違うものであった。
従来ハードディスクが故障する原因としては以下のように考えられてきた。
1.使用頻度が高い(負荷が高い)
2.使用期間が長い(劣化している)
3.動作温度が高い(劣化が早い)
ところが、結果から見えてきたのは、
1.3ヶ月に限っては使用頻度が高いものが群を抜いて故障する確率は高いが、それ以外は使用頻度に相関関係を見ることはできない。
2.期間が3年を超えると故障率があがってくるが、1年や6ヶ月に比べて3ヶ月以内に故障する確率は高lい。
3.温度が45度以上になると故障率が上がるが、むしろ25度以下の低温のほうが故障率が高い。
というものである。
そのほかにも、
・スキャンエラーが見つかったものは見つからなかったものより故障率が10倍高い。
・今のハードディスクに標準搭載されているS.M.A.R.T.の警告なしに故障するものが4割弱あった。
ということも発表された。
これらの結果は従来の常識をくつがえすものでしょう。実感として、半年以内に調子の悪くなるハードディスクが多々あった事実は品質の低さではなかったようです。私は故障率は人の死亡率に似ているように思います。「生まれてすぐ」と「年老いてから」が注意で、「運動してない」人も注意、「年老いてからの急激な運動」も注意というところでしょうか。
興味あるからはリンクからPDFファイルがダウンロードできます。英文ですがグラフは読めるでしょう。皆さんはそこから何を思うでしょうか。
Access 2007のランタイムは何処に?
Accessアプリケーションはランタイムと同時に配布すれば、個別にパッケージを購入してもらう必要はありません。
2002バージョン(XP)まではOfficeのDeveloperパッケージに収録されていましたが、2003になって.Net Frameworkと開発ツールが統合され、VSTO(Microsoft Visual Studio Tools for Office)とともに収録されるようになりました。
Visual Studio 2003(2002)のときはMicrosoft Visual Studio Tools for Office 2003でした。
Visual Studioが2005にバージョンアップされるとどうじにMicrosoft Visual Studio 2005 Tools for Officeとなりましたが、Officeのバージョンが2003のままでした。
Office System 2007が販売され、VSTOもバージョンアップされました。
Microsoft Visual Studio 2005 Tools for the 2007 Microsoft Office System
が、しかしです。Accessのランタイムだけはどうもまだ2007に対応するものがないようです。1時間以上いろいろとCDの中を探したり、マイクロソフトに問い合わせてみたりしたのですが、
Introducing the Access 2007 Developer Extensions and Runtime
英語サイトではまだリリースされていないというページが・・・。開発者のブログには6月頃という情報もあるようですが、正式発表はまだのようです。
今回はついに無償で配布されるようなのですが、リリースから4ヶ月経過してこの状況はいかがなものでしょうか。やはりマイクロソフト内でのAccessの重みは低いようです。
風林火山への道 パート5
今回の取材最終日です。晴れて暖かくなりました。
最終日のイベントは笛吹市の「桃の花まつり 川中島合戦戦国絵巻」です。笛吹市役所前の河川敷で繰り広げられる第4回川中島合戦の大チャンバラです。
詳しい予定がわからなかったこともあって、10時前に会場に入ったので、場所を確保して予行演習などを眺めていました。11時半から「神楽」が演じられ、13時半頃に先頭の武田軍行列が会場に入場しました。「風」「林」「火」「山」の順に隊が入り、勝頼、由衣姫、勘助、信玄と入場します。続けて、招待された米沢藩古式鉄砲隊、上杉軍が入場します。信玄軍は武将旗に個性がありましたが、ここは甲斐の国、上杉軍の武将旗はみな同じでした。そして、鉄砲隊演武やチャンバラが始まりました。
さすがに500人を越える人が繰り広げるチャンバラは面白いです。個々が進む方向を決められているものの細かい動きは個人に任せられているので、結構好き勝手やっていて、足軽は公募で有償で参加しているのですが、参加してみたくなる気持ちが分ります。甲冑着て、走り回り、刀や槍を振りまわし、中には川の中で濡れながら格闘しています。
今年は大河「風林火山」の放映や天候に恵まれたこともあり、大勢の人が見に来ていました。この祭りは近くの駅の構内にポスターがあるほかは大々的に宣伝されていませんが、大名行列などとは違って見ていて空きが来ません。毎年ハプニングがありそうでまた来たくなります。宣伝が少ないのは、今日以上の人出があっても観客席や駐車場の関係で、主催者が困るのかなとも思いました。
締めくくりにICへ向かう途中で小山城跡に寄りました。ここは穴山梅雪の館跡と言われているところです。桃畑に囲まれた一角に小山城跡がありました。深い堀が居館の大きさを物語っていました。見張台のあった場所からは笛吹市役所の方角が一望できました。
晴れた日が多く、良い取材ができました。
風林火山への道 パート4
夜分には雨が降っていましたが、朝出発するまでにはあがりました。快晴です。
今日は移動が長いので高速道路を使います。甲府南ICから降りてすぐの山梨県考古博物館に行きました。山梨県埋蔵文化財センターに隣接するこの施設は、土器を中心とする考古学資料が展示されています。展示数は他の考古学博物館に比べても非常に充実していました。目的は別にあったのですが、埋蔵文化財センターがまとめた発掘調査資料をここで購入できるのです。城館関係は、これまで甲府城跡、躑躅ヶ崎館跡、勝沼氏館跡の調査があるようですが、資料は甲府城跡しかありませんでした。
次に、大月市に移動し、岩殿城跡に登りました。ものすごい絶壁の上にある本丸までは昨日の要害以上に急な坂でした。中腹には「ふるさとの館」という施設が無料で開放されており、ビデオで岩殿山と大月市の歴史を知ることができます。
岩山のため、門も石垣を積むまでもなく、巨石を両側に配し(というよりもともとあったのか)、圧倒されるものがありました。本丸(主郭)にはテレビ局のアンテナが建設されていました。本丸は周りの木が伐採されておらず景観は残念ながらそれほどよくありません。
が、快晴の今日は城跡のみならず富士山の眺望も楽しめて2倍楽しかった。ほんの少し霞がかかっていましたが、雲もほとんどなくこれ以上を望むのは贅沢でしょう。というのも私自身、富士山は初めて実際に見たのです。
勝沼に取って返し、塩山へ向かう途中で勝沼氏館跡に寄りました。案内板もなく少し迷いましたが、ここを紹介した記事は草むらの写真がよく使用されていますが、着いてみて驚きました。福井県の朝倉氏館跡と同様に、建物跡をわかりやすくするように整備され、遺構の規模も躑躅ヶ崎館跡に劣らないほど広かった。さすがに信虎の弟が治めていた館跡です。
塩山では信玄の墓のある恵林寺に行きました。さすがに大きな伽藍でした。
風林火山への道 パート3
本日も天候は良いです。相当疲れていたのか朝目覚めたら予定より大幅に過ぎていました。今日は甲府五山の続きです。
まずは、泊まったホテルから程近い「法泉寺」に向かいます。ここは信玄から9代前の武田信武の菩提寺であるとととに、息子勝頼の菩提寺となっています。墓地には信武と勝頼の墓がありました。
次に武田神社の北へ向かいます。「積翠寺」、ここは要害山の麓にあり、武田信玄生誕の地となった寺です。寺内には信玄生誕の碑があります。生誕の碑の背後には躑躅ヶ崎館の詰城である要害山城が控えます。生誕の碑は要害山主郭部にもありますが、甲陽軍鑑では今川軍に攻められ、要害山に退却した信虎は、臨月の大井夫人を伴っていたが、登山の途中で間に合わず引き返して同寺で信玄を生んだと伝えています。積翠寺への道は途中非常に狭くなっていますが、迷わず「要害」(積翠寺温泉)に向かいましょう。
積翠寺をもう少し上ると積翠寺温泉に着きます。ここは2軒の宿があるのみですが、要害山への入り口があります。この時期はつつじがとてもきれいでした。
入り口から急な坂が続きますが、頂上の主郭部まで約30分ずっと続きます。しかし、途中には城門であった場所に石垣や平坦部、竪堀、土塁など山城の醍醐味を十分感じることができます。登り始めてすぐに眼下に積翠寺を望むことができますが、主郭部は周りの樹木のために見通しが悪く、何も見えませんでした。主郭部の逆の城門の先に大規模な石垣が残る堀切が残っていました。
昼を「かいてらす」でとった後、近くの「甲斐善光寺」に行きました。信濃善光寺ほどではないにしろ、平日に関わらず観光バスがひっきりなしに乗り付けていました。本堂の奥には「戒壇めぐり」という地下の真っ暗闇の中を進んで冥途から現世によみがえる体験をするというものを体験しました。「光」というものがどれだけ人に安心を与えているのか感じることができました。
少し道に迷いながら「東光寺」に到着しました。ここは信玄の嫡男義信の菩提寺です。義信の手前には諏訪頼重の墓もありました。池泉鑑賞式と枯山水の2種類の庭園を見ることができます。ちなみに前者は有料です。
五山の1つ「能生寺」は武田信守が開祖の寺です。五山の中ではもっともこじんまりとしており、特徴のないところかもしれません。
五山最後となる「長禅寺」は車で行くには大変不便な場所でしたが、到着して驚きました。他の五山に比べて伽藍が大きく、塔も2つ(三重塔と五重塔)もあるのです。信玄の母大井夫人の菩提寺ですが、五山筆頭となっているだけのことはあります。
風林火山への道 パート2
2日目、今日は良い天気です。思ったより公共機関の便が良くなかったので、ホテルから武田神社までタクシーで向かいました。すでに何台も観光バスが到着しています。境内に上がると準備が始まっていました。
まずは鉄砲隊演技から始まり、神輿が階段を降り、その後に騎馬行列が続きました。最後尾に山本勘助と武田信玄が続きます。
出発を見届けてから信玄正室の三条夫人の菩提寺であり、甲斐五山の1つである「円光院」に行きました。境内の桜がきれいでした。
本堂前の庭に石像がいつくかありました。キティちゃん?そういえば武田神社宝物館の前にもキティちゃんの石像が・・・甲府では流行っているのか?
次に武田信虎の菩提寺である「大泉寺」に行く途中で、武田信玄公墓所を詣りました。
大泉寺は五山になっていないこともあるのか、閑散としており、周辺整備も円光院とは比べるまでもない状態でした。京都の万福寺と同じ黄檗式の建物が多く、中華系の細かい部分で違和感のある建物があります。
昼ご飯を食べた後、帰りの行列を待っていましたが、行き違いにならないかなと思いつつ、甲府城に向かったところ、ちょうど休憩中だったので、くつろいでいる様子を撮りながら出発を待ち、念願の正面から行列の最初から最後を見ることができました。武田神社の出発のときは人出もなかなかでしたが、甲府城は人もまばらで平日だなあと思いましたが、先日の信玄公まつりに比べても、非常に楽しめるものでした。行列がテキパキしすぎて通過するとき10分もかからないというのが逆に寂しいくらいです。
甲府城の本丸に登る途中で石垣の上から下を通る行列を再度楽しみました。一車線で進む行列は車も止めずに行なわれており、命日の行列は粛々と進められていました。12日が土日になるような年はもっと人が出て盛り上がるでしょうね。
甲府城をひととおり見て回り、先月公開されたばかりの「山手御門」を見ました。現在の甲府城とは線路を挟んで南北に分断されてはいるが、もとは続いている敷地の一部であり、内枡形の門を復元しています。史実に忠実なのかどうか疑問な部分もあるものの、甲府駅周辺から建物の復元がされているようです。甲府城では特に天守台の石垣に落書きが目立った。黒っぽい色の大きな石が多いことも影響しているのだろうが、地元若者のモラルが問われる出来事である。完全開放の都市公園という性格上仕方がないとも言えるのかしれないが、何でも甲府城でイベントを行なうことの影響もあるのではないか。もったいない次第である。
NHK大河の「風林火山博」を見てきました。モンタージュボイスによる登場人物の声の復元が楽しかったが、武田検定簡易版が10問中8問だったのが残念だった。全問正解して粗品狙っていたのに、意外と難しい問題が含まれていた。本日武田検定問題集を入手したので、秋の検定に向けて、甲斐侵攻を再度計画中です。
最後に躑躅ヶ崎館と甲府城に日本城郭協会の日本百名城に選ばれたときの賞状があったので写真に撮ってきました。スタンプラリーはゴールデンウィーク明けでしょうか。待ち遠しいです。
風林火山への道 パート1
明日の武田信玄命日に行なわれる武田二十四将行列を見るために、先週に続きまたまた山梨県にやってきました。遊びに来たのではなくて、あくまで取材ですよ。
甲府市へ入る前に現在NHK大河「風林火山」の躑躅ヶ崎館のロケ地となっている北杜市に寄りました。標高1200m、山の天気は変わりやすく生憎の小雨でした。ひっきりなりに観光バスが乗り付けますが、ちょうど観光客の合い間をぬって人気の少ないときで、絶好のアングルでたくさんの写真が撮れました。
思ったよりも石垣や建物がしっかりと作られていて感心しました。なんでも建物は棟梁に宮大工を広島から呼んで建てたとか。これだけのものが撮影が終了するとともに壊されるは勿体無い話です。
折角なので、帰りに近くの風林火山ポイントを見てきました。小荒間古戦場、武田晴信が村上義清に勝利した地です。辺りには「御座石」、「遠見石」、「鞍掛石」と呼ばれる大石がごろごろしていました。
さらに、石碑脇から「上の棒道」と呼ばれる信玄の軍用道路が伸びていました。幅1mほどの道ですが、森の中の平坦な道は、迅速な移動を可能にしたことでしょう。
かなり暗くなっていましたが、最後に竜王の「信玄堤」を見学しました。釜無川の大洪水による竜王の土手決壊は、大河ドラマでも名場面の1つですが、当然当時のままということではないですが、いわゆる信玄方式が今も連綿と続く様子が見れて良かった。信玄堤のシンボル的存在である木組みですが、「聖牛」というそうです。現在のかたちに整備される(1984年)前までは、この聖牛を並べて堰をつくり、農業用の用水に水を引いていたそうです。
今日は天候が悪く、人出は少なかったですが、青空のもとでの写真というわけにはいかなかったのが残念でした。明日の行列楽しみです。予報は「晴れ」ですが、晴れてくれよ。
関東のファミマではこんなおまけが
さて、昨日まで山梨県に出かけていたわけですが、そのときファミリーマートで見つけた1品です。
NHK大河「風林火山」にあわせて以前発売されていたコミックス「風林火山」を再版したのですが、1冊に1個「風林火山手ぬぐい」がついてくる、という何ともうらやましい企画です。関東のしかもファミリーマートだけということで地元北陸では入手できません。
早速、一冊購入してきました。信玄の生い立ちに合わせて「風」「林」「火」「山」の4章があり、川中島の合戦が載っている「火の章」にしました。コミックのほうは自分にはイメージが合いません。