高岡市 二上山山頂に城郭跡

高岡市の二上山山頂に南北朝時代から戦国時代にかけて城郭が存在した可能性があることが、17日までの高岡市教育委員会の調査で分かった。山頂につながる尾根筋に、山城特有の防御施設の遺構などが見つかった。二上山では山頂より標高の低い場所に守山城が築かれたが、遺構の発見で山頂にも一時期、城が存在したと推定される。守山城は1585年、佐々成政が豊臣秀吉に降伏後、前田利長の居城となった。同市教育委員会は前田家関連史跡として、守山城の変遷を含めて築城の全容解明を進める。
古来、信仰の対象だった二上山の山頂は聖域とされてきた。山頂より140メートル低い支峰「城山」に城の遺構が見つかったことで、守山城は南北朝時代から近世初頭までの約250年間、一貫して城山にあったと考えられてきた。しかし、今回の発見で、ある時期に城が二上山の山頂から支峰に移された可能性が出てきた。(北國新聞2007年9月18日号)

彦根城築城四百年祭・佐和山一夜城復元イベント

昨日、イベントを見に彦根へ出かけました。天気予報は台風のため不安定なようですが、到着したときは良い天気でした。
彦根城築城四百年祭
イメージキャラクターのひこにゃんは彦根城博物館に一日三回登場するようで、子供たちに大人気でした。中の人はさぞかし暑いと思いますが、ちょこまか動く様子は確かに微笑ましいものです。
彦根城築城四百年祭
四百年祭では普段未公開の天秤櫓と西ノ丸三重櫓の内部を公開していますが、西ノ丸三重櫓は人形を展示していて内部構造はよくわからなかったですが・・・
彦根城築城四百年祭
彦根城築城四百年祭
彦根城築城四百年祭
天守に着く頃には天候がかなり怪しくなっていましたが、天守に上るのに入城制限がかかっており、20分待ちの看板と長い行列が・・・、今回は諦めました。
彦根城築城四百年祭
彦根城築城四百年祭
昼からは佐和山一夜城復元イベントが行われる東山運動公園に行きました。会場の入口では紙製のにこにゃんが出迎えてくれました。佐和山城を背にした天守イラストパネルは結構大きいものです。一夜城復元イベントは9月1日に除幕式を行い、本日16日に落城式を行って閉幕します。
佐和山一夜城復元イベント
佐和山一夜城復元イベント
期間中の3回の日曜日には麓の清涼寺坐禅堂で佐和山歴史講座が行われます。1回目は小和田哲男氏による「戦国の城 佐和山城の魅力」、2回目は中井均氏による「信長の佐和山城攻め」、そして本日3回目の谷口徹氏による「佐和山城から彦根城へ」が開催されました。会場にはこの種のイベントにしては珍しく若者の姿も多く、多くは地元民のようですが、石田三成は人気もあるようです。
佐和山一夜城復元イベント
歴史講座の後、夕方から落城式のイベントが始まりました。ここでもひこにゃんが登場し大人気でした。さらに、しまさこにゃんも登場しともに人気でした。
佐和山一夜城復元イベント
あたりも暗くなり、ライトアップが始まり、イベントが始まると、会場も徐々に盛り上がっていきましたが、落城をどう表現するのかと思っていたら、花火でした。今にも頭上に降り注いできそうな打ち上げ花火には皆歓声を上げるというよりも悲鳴でした。
佐和山一夜城復元イベント
佐和山一夜城復元イベント
佐和山一夜城復元イベント
佐和山一夜城復元イベント
最後は主催した彦根商工会議所青年部のメンバーが舞台に上がり、皆で一斉に「だいいちだいまんだいきちー」(石田三成の旗印)と掛け声をかけて終了しました。

日本100名城スタンプラリー 彦根城

彦根城築城400年祭が開催中の彦根城へ行ってきました。連休の中日ということでたくさんの人が来ています。ひこにゃんは大人気です。
彦根城
表門入口の券売所に用意されたスタンプは出しっ放しでインク切れの状態でした。インク補充して欲しい。と思いながら、仕方がないので力いっぱい押してきました。スタンプの輪郭まで写ってしまいました。
絵柄はずばり彦根城の天守ですね。左右の木々?が必要ないと思うのは私だけ・・・
日本100名城スタンプ 彦根城

JR東日本 風林火山キャンペーン当たった!

応募したこともすっかり忘れていましたが、JR東日本の「風林火山 甲斐・信濃紀行プレゼントキャンペーン」に当選し、賞品が送られてきました。このキャンペーンはキャンペーンスタンプの設置された駅でスタンプを2個集めて応募するというものですが、改札内にスタンプの設置された駅もあり、集めるのに苦労しました。
「風賞」「林賞」「火賞」「山賞」と「JR東日本賞」でしたが、今回は「林賞」の風林火山オルゴールと「山賞」の風林火山図書カードが当選しました。オルゴールは10cmほどの大きさで思っていたよりも大きいです。ボタン電池を内蔵し、七色に発光します。曲は、山梨県で何度も聞いた武田信玄の曲、正式な曲名はなんていうのでしょうか?
風林火山オルゴール 風林火山図書カード
光は台座から上に向けて発光します。ガラス玉の中央には信玄の兜が透かし彫りされ、そこに光があたりとてもきれいです。しかし、この光の止め方がわかりません。一度絶縁シートを抜いてしまうと消耗するまで光るようです。
風林火山オルゴール
風林火山オルゴール
風林火山オルゴール

金沢城 三十間長屋の鉛瓦の変色は再生品が原因

調査したのは、「城と庭のボランティアガイド」を務める郷土史家の安井史郎さん。三十間長屋の屋根瓦は灰白色の「鉛瓦」と呼ばれ、木材の上に鉛板を張り付ける構造となっている。現在、屋根の中心付近を境に、くっきりと南側半分が大部分変色している状況にある。
数年間からボランティアガイドを務める安井さんは、観光客から屋根の色の違いについて何度か指摘を受けたことをきっかけに、自身が通う県民大学校大学院の研究テーマに選び、半年前から調査を進めてきた。
三十間長屋は1966年から69年にかけて大規模修復され、その当時に瓦もすべて葺き替えられた。安井さんが金沢城・兼六園管理事務所を通じて施工業者に問い合わせたところ、修復の際に半分は旧来のものと同質に近い成分になるよう検討された新品、もう半分は古い鉛を鋳直した再生品が使われたことが分かった。
安井さんは再生品の成分が変色につながったとみて、鉛材メーカー二社に見解を尋ね、鉛中に含まれる鉄や銅などの不純物の影響で変色したとの結論に至った。(北國新聞2007年9月14日付記事)
金沢城三十間長屋
先々月撮影した三十間長屋の写真(右側が北向)

日本100名城スタンプラリー 春日山城

先月の謙信公祭以来の春日山です。今回は観光客もほとんどいませんので、ゆっくりと見学できました。
8個目となったスタンプですが、春日山城跡ものがたり館で押すことができます。入館は無料なので、中でビデオをみました。上映されていたビデオは上越市埋蔵文化財センターで開催されていた上杉謙信公企画展で上映されていたビデオと同じでした。
日本100名城スタンプラリー 春日山城
スタンプの絵柄は、春日山城の山ではなく、ものがたり館前の春日山城跡史跡公園を描いたものです。わかりやすくていいのではないでしょうか。
春日山城跡ものがたり館
春日山城跡史跡公園

飯山城と春日山城

小雨がぱらつく天候の中、天気予報を信じ、北信濃の飯山と上越の春日山へ行ってきました。
飯山駅
駅のホームに鐘楼があるという珍しい光景を見てのち、町内の散策に出かけました。目的は飯山城でしたが、駅前の観光案内所でもらった地図は「寺の町いいやま」ということで、市内21ある寺院のうち16箇所を見てきました。
真宗寺 西来寺
蓮証寺 大聖寺
妙専寺 本光寺
伊勢神社 西念寺
常福寺 光蓮寺
妙専寺 忠恩寺
明昌寺 正受庵
正受庵に向かう途中では数種類のハスが咲く蓮田があり、時期も過ぎていましたが、偶然にも一輪だけきれいに咲いているハスを見つけました。
蓮田
英岩寺 飯笠山神社
さて、目的の飯山城ですが、思ったより大きな城跡ではありませんでした。小雨のなか朝訪れたあと、帰りに天候が回復したので、再度訪れました。石垣は見たところ古いものではないようです。建造物は場所の分からない門が唯一の遺構として残っていました。
飯山城二の丸からの眺望
飯山城二の丸から本丸へ至る石垣
飯山城城門
飯山城二の丸からの眺望
飯山城二の丸から本丸へ至る石垣
飯山城城門
春日山城では今日も上杉謙信像が迎えてくれました。山を登る前に、春日山ものがたり館と上越市埋蔵文化財センターの展示を見てきました。
春日山城
春日山城
春日山城
今回もあまり時間がなかったので、中腹の春日山神社から本丸をまわってきました。次は麓から登ってみたいです。中腹からだと日本五大山城という実感が少ないのです。

金沢城 河北門復元で寄進事業を始める

石川県は来月着工の金沢城河北門の復元事業にあわせ、壁板や平瓦の裏に県民が一口五千円で記名する寄進事業を始める。多くの県民に復元事業への理解と愛着を深めてもらう「県民参加による城づくり推進事業」の中心イベントと位置付け、第二期整備事業計画に基づき河北門に続いて復元する橋爪門でも同様の寄進事業を実施する。
今回の寄進事業の対象は2010年春の完成を目指す河北門の「二の門」の内部に使う壁板210枚と、「一の門」「ニラミ櫓台」の海鼠塀に使用する平瓦350枚。うち壁板は1枚当たり14口に分割し、計約3300口、1650万円を予定する。10日から県公園緑地課で予約を受け付け、壁板は来年5月から、平瓦は来年10月から申込み手続きを開始する。来秋以降に上棟式など工事の節目ごとに寄進者を招いて記名会や工事見学会を開く。(北國新聞2007年9月11日付記事)
石川県土木部公園緑地課 壁板・瓦の寄進について

日本100名城スタンプラリー 高岡城

スタンプラリー7個目は隣県富山県で唯一選定された「高岡城」です。本日は、城内の高岡市立博物館の常設展がリニューアルされた記念講演会に参加するために来ました。
城内はまだ暑いためか人もまばらでした。
高岡城址 本丸跡
高岡城の絵柄は複雑で最初何が描かれているのか分りませんでしたが、上下で別の絵がかかれています。上が高岡城を上空から見た俯瞰、下が本丸入口の橋に唯一残る石垣を描いています。夏は草が生えていて石垣は一部しか見えませんが・・・
日本100名城スタンプラリー 高岡城

講演会「高岡市域の中世史 -荘園と武士を中心に-」

昨日は朝から高岡市へ出かけました。目的は高岡城址内にある高岡市立博物館の常設展リニューアル講演会に参加するためですが、先日同日に伏木で現地説明会があることを知り、ついでに参加してきました。
高岡市伏木は富山湾へと注ぐ小矢部川の河口左岸の伏木台地に立地する越中国の国府のあった場所ですが、後に、中世城郭の古国府城へと変遷し、勝興寺が建てられた土地です。
越中国府関連遺跡現地説明会
現地説明会には朝から大勢の人が集まっていました。前日までの大雨で地面はぬかるみができ、水溜りもできていた影響で、説明は5人程度の単位で随時開催されました。個人住宅建設に伴う調査で、一部は建設によって破壊されてしまう可能性があるということで残念ですが、すでに周りは住宅や農地で利用され、土塁の一部もすでにない状態でした。それでも残っている一部からその大規模な中世城郭の存在を想像することはできました。
また、今回の調査で、本郭と土塁、堀からとなる単郭の遺構と考えられていた今回の遺構跡が、実は腰曲輪を持つ複郭遺構であったことが確認されました。
越中国府関連遺跡現地説明会
説明会を終え、先日講演会を聞いた前田利長墓地へ行きましたが、すでに発掘調査の後はありませんでした。
高岡市立博物館は高岡市と福岡町の合併により、常設展を今年7月にリニューアルしました。旧高岡市中心だった展示は木舟城などを含めて中世を中心に展示替えされていました。入場料は無料なので、高岡城址へ行かれたときはぜひ寄ってください。
さて、リニューアルを記念して3回の講演会が予定されていましたが、今回は最終3回目で、氷見市史など郷土史編纂に尽力されてきた久保尚文氏によって「高岡市域の中世史 -荘園と武士を中心に-」というテーマで講演がなされました。
講演会「高岡市域の中世史 -荘園と武士を中心に-」
ひとつ分かったことは、富山県には中世の歴史がほとんどないのは、今まで生活の跡がないからだと思っていましたが、実は古文書がないからだということです。県内に残る一番古い古文書は1350年頃、次は1400年代終わりということで、すっぽりと前田家が入ってくるまでの歴史が検証できない状態だそうです。
原因のひとつは足利尊氏と対立した部将桃井直常の本拠が越中であったため、敗軍のさだめとして関連文書はことごとく廃棄されたためだとか。
講演会「高岡市域の中世史 -荘園と武士を中心に-」
興味ある話としては、1585年11月29日に白川地方を震源とするマグニチュード8.1クラスの地震があったことに関連して、越中の歴史がいろいろと結びつくという事実。木舟が陥没して木舟城が廃城となった年が1985年。神通川は当時東西2本の支流があって、このときに西側がひあがったのではないか。秀吉が佐々成政の遠征を始めたのが1985年、成政の降伏が1586年だったことに影響したのではないか。ただし、どれも定説にはなっていませんが。ひとつの地震が歴史的出来事に深くかかわっている可能性を示唆する例でしょう。
古文書がないだけに正確な歴史が構成できないという事実とは裏腹に、古文書がないのでさまざまな想像ができるという事実。歴史の面白いところではないでしょうか。