東京出張するにあたり、ちょうど昨日の地元新聞で東京大学創立130周年記念事業として、懐徳館庭園の無料開放があることを知りました。東京大学本郷キャンパスは元加賀藩江戸上屋敷のあった場所で、赤門は将軍家の溶姫が13代前田斉泰に嫁ぐときに建立されたものです。
今回は、赤門に附属する番所内部公開と懐徳館庭園の無料公開が目的です。
番所は赤門の左右にありますが、内部公開されていたのは外から見て左側のものです。ここは門の見張りが待機したところで、特に中に何かあるというわけではありませんが、普段は非公開であり貴重な場所です。
懐徳門の脇には旧前田公爵家西洋館(懐徳館)の基礎の石積みが残っています。
懐徳館はもともと天皇の行幸を目的に明治時代末に建築されたものだが、東京大空襲で灰燼に帰し、戦後復旧されたものが現在の和館である。普段は立入禁止の庭園は川や池こそないものの紅葉してすばらしいものでした。和館の正面側に入れなかったのが少々残念でした。
投稿者: Tadashi
金沢城 来年度塩硝蔵を追加調査
金沢市は来年度、藩政期に黒色火薬を製造、貯蔵していた「土清水塩硝蔵」の追加調査を実施する。全国的に見ても珍しい歴史遺産であり、価値付けにつなげる。
今年度の発掘調査では、涌波町の休耕果樹園内で硝石土蔵と堀の痕跡が確認された。これらの遺構は幕末から明治初期にかけての「土清水製薬所絵図」に記されている建物の配置と合致していた。来年度は同じ休耕果樹園内の複数の地点で発掘調査を実施する方向である。絵図に記されたもう一つの土蔵の存在を確認するとともに、堀の規模などに関するデータをさらに収集する。
今年度は涌波一丁目の涌波堤公園でも調査を実施し、塩硝を硫黄、木炭とともに粉末化する施設である「三品搗蔵」を確認しようとしたが、遺構は発見できなかった。市は、絵図に記されている辰巳用水沿いの「搗蔵」などの存在を裏付ける調査実施も検討する。(北國新聞2007年11月27日付記事)
秋の金沢城祭2007
三連休中日の本日、秋晴れの中、「秋の金沢城祭2007」が金沢城で開催され、一日中いろいろなイベントが行なわれました。
起工式は朝の埋蔵文化財発掘調査説明会が長引いてみることはできませんでしたが、続く小立野御山まつり保存会による大石曳きは見ることができました。石川門管理事務所前から数10メートルの緩やかな坂道を威勢の良い掛け声とともに約3トンの戸室石が、修羅と呼ばれる乗り物に載せられて移動しました。
その後は、和太鼓「藍(らん)」による太鼓演奏やクラリネット奏者原裕子さんのミニコンサートなどが開かれました。
午後からは三十間長屋コース開通記念「金沢城石垣めぐり」ツアーが行なわれ、告知不足か9人の参加でしたが、城内の石垣を見て回りました。午後から予報どおりの雲行きとなり、途中雨が降ってくるところもありましたが、何とか1時間半の工程を終了しました。今回、開通した「三十間長屋コース」は、昨年開通した薪の丸コースの途中から三十間長屋の脇に出るコースで、もともとあった道です(今までは通行禁止でした)。すぐ西側を通るいもり坂は軍隊によって付けられた新道であり、近世にはなかった道であって、今回のコースは薪の丸コースの正道でもあるのですが、途中の石垣が一部軍隊によって改変されていて残念です。
各イベントの合間には、「金沢城クイズラリー」や「オリジナルペーパーウェイトを作ろう!」「紅葉しおり作り教室」などを楽しみました。クイズラリーの粗品は飴玉3個、戸室石の破片(ちなみに赤戸室)で作るペーパーウェイトは2回、紅葉しおり作りは1回参加しました。
ペーパーウェイトはなかなか難しく、最初は鎌をクロスしたような模様で、金箔部分を多くしたので納得いかないものとなりました。細かい模様は輪郭にうまく金箔がのらず、また金箔が多いと戸室石の良い模様が鑑賞できません。
そこで、2回目は丸3つの単純な模様と、丸内部に金箔を貼って挑戦しました。
参加者には、戸室石の破片と型となるシール、金箔が渡されます。型は模様または輪郭のうち、金箔を貼らないほうを戸室石に貼り付けます。
接着剤となる糊を塗って5分間乾くのを待ちます。乾いたことを確認して金箔を貼ります。
うまく金箔がのったところで、慎重にシールを剥がして出来上がりです。かなり満足するものができました。
最後は雨が降りましたが、今日は一日楽しめました。告知不足か人出が少なかったように思います。大勢押しかけても困るイベントもありますが、石垣ツアーや先着1000名花苗配布などはもっと人数いても良かったのではないかと思いました。
金沢城 埋蔵文化財発掘調査説明会
秋晴れの本日、金沢城河北門で埋蔵文化財発掘調査説明会があり、市民80名ほどが説明を聞きました。秋の金沢城祭2007の一事業として開催されたためか、いつもより早めの9時開始で少し遅刻してしまいました。
全体説明の後、2班に分かれて説明を聞きました。河北門修復にあたっては一の門、二の門よりもむしろ枡形を構成する土塀の構成が問題となっているわけですが、南側からは今回土留め石列が発見され、西側はゆるやかな土塁とすると、絵図にある黒い線が石列を表すのだろうという説明がありました。
次の写真では非常に見にくいですが、一番手前の立派な石の溝は近代に軍隊が作ったもので、その右端の上に数メートルの石列が残っています。近代の石溝がこの土留め石列を横切っているため、ほとんどの場所は壊されていました。しかし、石溝に使用されている石は立派なものもあります。河北門の破却の際に出た石を利用したものもあるのでしょうか。
石といえば、河北門復元に当たっては地元の戸室石を利用することが決まっていますが、午後の石垣ツアーの際に、今回の復元ではグレー(青に若干赤みがかかるような)の戸室石が多くなりそうだと言っていました。築城当時に産出した戸室石は青戸室が圧力に強かったと言われ、門の隅石や巨石は青と室が多いのですが、現在の産出する石では青戸室よりもグレーの戸室石のほうが圧力に強いそうです。
現場説明を聞いたあと、プレハブに展示された発掘された遺物の説明を聞きました。瓦は今回数点出ていますが、今日金沢城を特徴づける鉛瓦は出ていません。
16世紀初めの遺物がいくつも発見され、城内に家臣の屋敷跡があったのではないかと裏づけられたという、先日新聞報道された遺物も展示されていました。
午後からは天候も崩れてきたので、発掘現場には手際よくビニールシートがかけられました。
金沢城内 初期の重臣屋敷裏付け
十六世紀末の初期の金沢城内に、後に加賀八家を形成する重臣らの屋敷が並んでいたことが21日、石川県金沢城調査研究所によって初めて確認された。城内の家臣団屋敷は次第に城内に出て城下町金沢の核となっていくことになり、同研究所は「金沢城の発展過程を知るとともに、城下町金沢の形成過程を探る上でも重要な確認だ」としている。
24日に起工する金沢城河北門復元工事へ向けて実施された埋蔵文化財調査の過程で、石川門に向かう河北門の二の門周辺から1600年前後のものとみられる中国の陶磁器や唐津焼、素焼きの皿の破片が数十点見つかった。(北國新聞2007年11月22日付記事)
金沢城復元画展
地元新聞にも何回も掲載されていた「金沢城復元画展」を見てきました。金沢美術工芸大学の末松智氏による鉛筆の線画が3点(三階櫓、菱櫓、玉泉院丸の石垣上の長屋櫓)と昭和44年の金沢大学による本丸跡発掘調査の様子の写真が4点展示されていました。残念ながら写真撮影禁止だったので写真はありません。
金沢城大学 よみがえる金沢城4
今年は秋が短かったような気がしますが、紅葉と雪のコントラストも良いですね。
本日はテキスト「よみがえる金沢城」を使用した講義の4回目。講師は石川県立歴史博物館の濱岡伸也氏です。濱岡氏の軽快なトークで、文化の大火後の二の丸御殿の再建前後の話を聞きました。
江戸後期になると幕府や藩など士階級はどこも財政難だったわけですが、商人はいろいろな投資ビジネスを行なって大変裕福であり、農民にしてもある程度の余裕はあったようです。文化の大火が1808年、1780年に東本願寺焼失、この30年ほど前の出来事が古文献に残っており、北陸からは村や寺単位で寄付を京へ持参しているそうです。中には修理が終わるまで10年間帰らずに労役を提供した者までいるということで、この話、前にどこかで聞きましたが、農民にもある程度の余裕が生まれていたことの証明です。
名古屋城本丸復元、文化庁が許可 着工へ道筋
名古屋市は19日、市が進めている名古屋城本丸御殿の復元を進めるうえで前提となる「特別史跡の現状変更許可」を文化庁が出したと発表した。復元場所の名古屋城跡が国の特別史跡のために必要な手続きだった。許可されたことで市は、08年度から工事を始めるため、新年度予算案に工事費を計上することを検討する。
本丸御殿は1945年5月に空襲で焼失。市は「文化力を世界に発信し、ものづくりの技と心を伝えるシンボル」として昭和60年代から復元を目指し、昨年度に基本設計を立て、今年度はより詳しい設計をしている。市は特別史跡の現状変更許可を9月に申請。文化庁は今月16日に許可した。
現在残っている、柱の基礎である礎石は、貴重な文化財であることから、市は礎石や現状の地盤面を現場で保存するため、砂や砂利で盛り土をして保護したうえで基礎を造り、御殿を復元する。2010年に玄関の一部を公開し、22年度に完成させる予定。 (asahi.com2007年11月19日21時30分記事)
名古屋城は天守をコンクリート製で復元しており、今回の本丸御殿が史実に忠実なものとするのか、そうでないのか気になるところである。
名古屋城本丸御殿復元事業ホームページ
金沢検定受験率
今朝の地元新聞には一面と社会面に金沢検定の記事が載りました。一面には受験した講義室の写真が・・・逆サイドからのアングルなので、奥のほうに写っていました。
さて、100名限定の当日受付には85名が申込みし、初級受験者は2015人。ということは・・・2800人近くの申込者がいて2000人を切ったことになろう。3割未受験というのは諦めたというよりも、最近はやりの風邪であろうか?
ちなみに、中級は366人、上級は47人が受験。今年は何名の上級合格者が出るだろう。
12月中旬には合否が分かるということだが、3回目にして初の10代と80代以上の合格者がでることになるか注目です。
初雪
今年一番の寒さとなった昨晩、石川県の平野部で初雪が降りました。今週は天候が悪いという週間天気予報でしたが、本日は予想に反して晴れています。外はさすがに肌寒いですが、雲は雪雲ではありませんので、本格的な積雪はもう少し先でしょうか?