平成19年度金沢城大学 鳥取城からみた金沢城

年明け初めての講義です。早いもので10回講義も残り3回となりました。
講義の初めに予告どおり「第1回 金沢城検定」が行われました。予習忘れていました。全30問でしたが、なかなかに手応えのある難問も多数ありました。結果は24点、なかなかの出来です。この結果が来年度の金沢城大学の講義内容に活かされることでしょう。
平成19年度金沢城大学 鳥取城からみた金沢城
さて、今日は今年度から金沢城調査研究所に参加されたという細田隆博氏による「鳥取城からみた金沢城」でした。
なぜ、「金沢城」との比較が「鳥取城」なのか?その謎はすぐに解けました、細田氏は鳥取県の出身だからだそうです。しかし、ただそれだけというわけでは当然なく、鳥取県は「鳥取池田藩」(多くの場合「岡山池田藩」との差別化としてそう称するようです)32万石の大藩であり、江戸幕府における家格も第一級でした。
そうしたことから前田家とのつながりもあり、3代池田吉泰の正室は、5代綱吉の娘「敬姫」、13代池田慶栄は13代前田斉成泰の息子であるが、池田家に養氏として入っている。東京には大藩ならではの残りものがあり、前田家は加賀藩上屋敷の御守殿門、東大の赤門として知られる。池田家は江戸屋敷の表門、上野の黒門と呼ばれ、私は始めて知ったが立派な門が残っている。
鳥取市は県庁所在地でありながら、金沢市同様、空襲による被害がなかったので、城下町の町割りが非常によく残っているそうだ。以前一度鳥取城に訪れたことがあるが、こじんまりした風情ある町でした。時間をあまり取っていなかったため、城へは登ったが城下町はほとんど見れず、また、鳥取城攻めのとき豊臣秀吉が陣取った「太閤ヶ平」(鳥取城と一体で国指定史跡)は当時知る由もありませんでした。
鳥取城でも現在整備計画が進行中であり、平成30年頃までには大手登城路が幕末の姿に復元されるようだ。楽しみである。

「週刊 新説戦乱の日本史」が出ますよ!

1月22日に小学館からいよいよ「週刊 新説戦乱の日本史」という雑誌が刊行されます。
全50巻。全巻予約申込者には特製天下布武万年筆だそうです。あまり魅力ないな。それでも買うんだよな。戦国を特集しているものには弱いです。
「週刊 新説戦乱の日本史」 小学館公式サイト
しかし、このサイトの定期購読申込はよくない。折角特製バインダーが一緒にでるのに、本誌のみの予約で特製バインダーとのセット販売がないようだ。他のサイトも一長一短だし、これは1号でるまで待つしかないかな。

高岡城 石の切り出し跡調査

高岡市教育委員会は8日までに、雨晴海岸の景勝地として知られる義経岩で、高岡城の築城に使われたとみられる石の切り出し跡の調査に乗り出した。同市は新年度以降、高岡城跡の本格調査を実施する方針で、富山考古学会と二上山総合調査研究会と協力し、義経岩の歴史遺産としての価値に光を当てる考えだ。
義経岩は、海側の岩盤と背後の石積みで囲んだ土盛りからなるが、崩落の危険性が指摘されていた。県は今年度から2ヵ年間で修復工事を実施する予定だが、市教育委員会の調査を受けて切り出し跡を保全する形での工事を検討している。義経岩の石切り跡については、富山考古学会などが存在を確認していたが、本格的な調査は初めてとなる。これまでに、石を切り出した「矢穴」を新たに2ヵ所確認したほか、周辺にある石切り跡の実測図の作成も進めている。(北國新聞2008年1月9日付記事)

平成20年度 金沢市消防出初式

時々太陽も覗く薄曇りの天候の中、金沢城公園で金沢市の消防出初式が行われました。
金沢市消防出初式
まずは式典です。ズラッと並んだ消防車と消防団員は壮観です。
金沢市消防出初式
金沢市消防出初式
式典の後、加賀とびが行われました。訓練の一環として藩政期より行われていた「加賀とび」は、百万石まつりでも実演されますが、一直線に並んで演じられるため、新丸で1箇所にまとまって演じられるのはこれまた壮観です。隣との演技のスピードの違いが際立ってしまうのはご愛嬌ということで。
金沢市消防出初式
金沢市消防出初式
加賀とび演技の後は一斉放水です。次第に強く高くなっていく放水に前にいた人たちはどんどん後退し、今日は晴天だというのに、あっという間に土砂降りの中に・・・・
金沢市消防出初式
金沢市消防出初式
金沢市消防出初式
こんなはずじゃなかったのですが・・・、かなりの迫力です。次回はもっと外から見守ることにしましょう。
金沢市消防出初式
すべて終了して、消防車が数珠繋ぎに帰っていきました。といっても出口は1箇所、結局詰まっていました。近くに住んでいながらニュースで見ることはあっても、現場へ来たのは初めてでした。今回で撮影のポイントも分かりましたので、今度は雪の中で・・・それは寒いですね。

奥医王に山城遺構

石川考古学研究会幹事の宮元哲郎さんは3日までに、医王山主峰である奥医王の山頂付近で、山城跡とみられる防御施設の遺構を確認した。金沢市埋蔵文化財センターによると、医王山一帯では15世紀、当時加賀守護だった冨樫政親との戦いに敗れて井波に逃れた一向宗と、政親から一向宗討伐の要請を受けた天台宗惣海寺勢との戦いがあったとされ、山城跡は当時の戦いで使われた可能性があるという。
遺構は石川、富山両県にまたがるように位置する。同センターによると、奥医王の石川県側で山城跡とみられる遺構が確認されたのは初めてで、医王山を舞台に繰り広げられた戦闘の様相を知る貴重な手がかりになるとしている。
宮本さんが確認したのは、敵の侵入を防ぐ「堀切」と呼ばれる溝で、奥医王山頂の北東側に計四カ所あることが分かった。このうち一カ所は1990年からの旧福光町による調査で確認されていた。宮本さんが荒田に三カ所を確認したことで、四つの堀切が山頂近くの平坦面を囲むように存在し、山城を構成していた可能性があることが分かった。(北國新聞2008年1月4日付記事)

正月 金沢城で藩政期のしめ飾り

年末年始は大雪の予報で久しぶりに雪の正月を迎えると思っていましたが、平野部は積雪がありません。3日まで待って金沢中心部に出かけました。というのは、今日までが兼六園の無料開放で、雪の兼六園を見たかったのですが、少々当てが外れました。
昨日も午前中は比較的良い天候でしたが、今日も午前中は良い天候でした。コースは金沢神社から兼六園に入り、石浦神社、金沢城公園、尾崎神社、尾山神社です。
下の写真が橋爪門一の門に飾られた藩政期のしめ飾りです。「数の子飾り」と呼ばれるもので、わら造りで長さ5.4メートルあります。
金沢城橋爪門のしめ飾り
兼六園は地面と建物の屋根に少し雪が残る程度でした。放射線状に張られて非常にきれいな雪吊りも出番がありません。
兼六園
兼六園
3日ということで神社は人もまばらでしたが、さすがに尾山神社だけは結構な人出でした。といっても元旦ほどではないでしょうが。私も数年ぶりにおみくじを引きました。今年の運勢は「吉」です。

明けましておめでとうございます

2008年の年明けは積雪はないものの非常に寒い日になりました。午前0時過ぎに毎年恒例の実家地元の住吉神社に初詣に行きました。区としての初詣行事は朝7時からなので、この時間は本当に人はまばらです。
今年1枚目の写真は実家で飼っている猫の「タマ」です。猫の名前がタマとは単純なのですが、すでに8年は経ったでしょうか。小さいときにもらわれてきた時によく私のあぐらの上で丸くなって寝ていたので、いまだに覚えていてくれます。週何度も来る近所のばあちゃんが来ても逃げるのですが、月1回行くか行かないかの私が帰っても寄ってきます。かわいいやつです(^.^) もう爺さんですが・・・
タマ
ハッピー・ニュー・イニャー!!
(Happy New Year!!)

皆様よいお年を

今年は私にとって景気の良い年ではありませんでした。ここ数年の疲れや蓄積がどっと出たような一年でしたが、唯一の安らぎはいつも元気な「うさ」でした。
ということで、今年最後の投稿は走り疲れて休んでいるかわいいうさで締めます。皆様よいお年を!!
うさぎのうさ

金沢市が歴史都市へ横断組織

金沢市は来年度、歴史都市・金沢の実現に向けて庁内横断組織を設置する。国土交通省が新設する 歴史的環境形成総合支援事業の第一号認定をにらみ、歴史資産そのものの保全、整備に加え、周辺の道路整備、景観向上といった多面的な施策を打ち出す。11月には歴史探訪の日(仮称)を荒田に設定し、市民がふるさとの豊かな歴史、文化に触れる機会も提供するなど、「城下町金沢の文化遺産群と文化的景観」の世界遺産登録に向けた環境整備を強力に推し進める。
横断組織は「歴史都市推進チーム」で、都市政策、産業、市民、都市整備の四局十六課で構成される。歴史都市の実現に向けた戦略を推進する実働組織と位置付け、課長補佐級の職員をメンバーとする方向で調整する。市は世界遺産登録に向け、構成資産周辺の環境も重要な要素になるとみており、歴史都市実現の取り組みを通じて、「城下町金沢」の世界遺産登録に向けた弾みをつけたい考えである。
一方、歴史探訪の日は11月1日からの国の文化財保護強調週間に合わせて設定する。10-11月を「かなざわ歴史探訪月間」とし、普段は内部を見ることができない文化財の一般公開や歴史的用水、塩硝蔵、三寺院群をめぐる探訪ツアー、歴史文化講座、惣構学習塾といったイベントを集中的に展開する。事業開催では「石川県に世界遺産を」推進会議など関係団体に協力を求める。ふるさとの歴史遺産に対する市民の意識を高め、世界遺産登録に向けた機運を盛り上げる。(北國新聞2007年12月30日付記事より)

音楽CD誕生から25年 岐路に立つ

1982年の発売からあっという間にアナログレコードに変わった音楽CDが岐路に立たされているという。バブル崩壊以降音楽業界全体の売上の低迷という要因はあるものの、新鋭のネット音楽配信に押されているという一面が透けて見える。
音楽CDの発売推移
ネット音楽配信はネット経由で自分の好きな曲だけを1曲数百円で買うことができる。アルバムとシングルを合わせたCDの生産額は、1998年の5878億円をピークに2006年まで8年連続で減少。2006年にはついに、ネット音楽配信の市場規模は534億円と、CDシングル生産額を超えたようだ。
音楽CDの最大の購買層である若者の動向もこの傾向を左右している。iPodや高機能化した携帯電話のおかげで、若者ほどネット音楽配信の購入額が大きい。携帯電話費に小遣いがとられているという指摘も数年前から叫ばれている。
ジャケットを含めたパッケージが欲しいという欲望は30代以上にやはり多いのか、CD売上ランキングとネットダウンロードランキングは年々乖離が進む。レコード大賞の意味が薄れるのは時間の問題かもしれない。
という私は購入額は随分と減ったが、まだまだCD信奉者である。