本日は、「大名庭園と兼六園と武家の庭園都市金沢」というテーマで、有限会社龍居庭園研究所所長の龍居竹之介氏の講演でした。
氏によると兼六園の面白さは、「藩の基礎を築いた初代から三代までが庭園に全く関与していない」「本格的な造営が12代・13代と遅かったにもかかわらず幕府が許している」という点だそうです。また、兼六園を含む金沢の魅力としては、城を中心に、大名家の庭(兼六園、成巽閣)、重臣家の庭(松風閣)、家臣家の庭(脇田氏の玉泉園)が一画に密集していることで、さらにそれらが同じ辰巳用水でつながっていることだそうです。この点は世界遺産に向けてアピールできますね。
また、最後に面白い話を聞きました。東京は雪が積もらないのに雪吊りするのはなぜか、ということですが、あれは「化粧の雪吊り」と呼ばれるもので、料亭などが殺風景な玄関に雪の風情を演出するための飾りで、実際に雪が積もれば役に立たないそうです。
投稿者: Tadashi
キーホルダーの解説用紙の草案できる
グッズ作りを放置してというより、関わる余裕が自分になくなってからすでに1年以上が経ってしまった。前のブログの日付は・・・・なんと一年半前ではないか。
ようやく昨年の年末ぐらいから「城郭さんぽ」のリニューアルサイトのページが具体的に進みだして、あと少しでショップページはアップできるところまできた。ここまで来ると、今度はショップに入れる商品を準備しなければ、という必然性からの作業ではあるが、構想にあったキーホルダーに入れる解説用紙の草案を作成する。作成日数2日間、自分としてはコンパクトな良い解説文になったと自負しているが、明日読み返してみて「なんじゃーこれは!!」ということにならなければ、これで良しとしよう。
現在の計画では、オリジナルキーホルダーの一律価格は諦めている。あまりに人工大理石の模様の出方が取り出した位置によってマチマチなので、模様の出方にレベルを設けて、それに合わせた価格帯の設定を考えている。つまり現品限りで並べるという手法だが、これまた商品の登録に時間がかかりそうだ、と途方に暮れている。
加賀藩・歴史文化護持協力会 設立総会
加賀八家や重臣の子孫の手元に残る古文書や絵図を自分たちで研究調査する「加賀藩・歴史文化護持協力会」の設立総会が金沢歌劇座別館で27日開かれた。旧大名家の遺産を受け継ぐ団体は少なくないが、旧家臣団の子孫が協力して組織は全国的にも非常に珍しい。
当日は、前田家18代当主前田利祐氏も出席され、会長の横山家、副会長の村井家、他に前田土佐守家、本多家、長家のご当主が参加されていた。残念ながら、奥村本家、奥村支家、前田対馬家は所用のため参加されていなかったが、一堂に会する様子は昔なら庶民は拝めもしまい。
座談会でもここで初めて聞く話も多く、披露したいところではあるが、調査途中や私的なことでもあるのでここで書くのは控えたい。しかし、非常に興味深い話がたくさん聞けた。
今年のテーマは不破家菩提寺から出てきた古文書研究のようだ。利家の府中時代に関するもので、少し内容には触れていたが、調査が終了し発表になるまで楽しみに待っていてほしい。これは今までの通説を覆す発見になるでしょう。
座談会に続く講演会は金沢城調査研究所の木越隆三氏による「複合城下町金沢」というテーマ。加賀藩は100万石という大藩だけあって、本多家の5万石を筆頭に、八家はすべて1万石以上、他にも1万石を越える藩士が常時10家以上あったというから驚く。1万石といえば大名クラスである。初代利家の五男であった前田利孝が封じられた七日市藩も1万石である。
そういう大録の家臣が多かったので、各家臣が小城下町を金沢城周辺に形成して、それの集合体としての金沢城の城下町を形成していたから、その複雑さは江戸に匹敵するそうだ。このポイントが今回再提案された世界遺産の押しでもある。
10分前に着いたにもかかわらず資料は切れており、椅子も補充された。あれだけ新聞報道されれば関心ある人は来るでしょう、と思ったけれどそれは主催者の読み間違い以外の何者でもない。一般市民の協賛会員の募集に郵便振替用紙も配られていたけど、初年度15,000円(入会金10,000円、年会費5,000円)は予想の範囲内だけど安くはない。後日資料を送付で入手できることになったのでそれから考えたい。
Warande Der Dieren 動物庭園
金沢市の前田土佐守家資料館の平成19年度第4期特別展が昨日より始まった。今日は学芸員の方による解説講座があったので、午後からの用事の前に予約して参加してきた。今日は昨日からの雪で屋根にもかなりの雪が残っている。
今回は「Warande Der Dieren 動物庭園」という題で、同家史料のなかの動物がテーマだ。題のアルファベットはオランダ語だそうだ。学芸員の方は何と読むのかわからないとのこと。ちなみに、この方英語もからっきりダメなそうで、外国の方の質問にも堂々と日本語で答え、それでもダメなら電子辞書で翻訳して見せているとか・・・それでも勤まるのね?
さて、江戸時代どのような動物がいたかというと、よく登場するのは、上級武士なら馬や鷹や鯉などであるが、鷹は鷹狩りにはかかせないステータスシンボルでもあったので非常に大切にされ、羽の1枚1枚に付けられた名前を記した古文書があった。さらに鷹が打ち身をつくったときの薬の調合方法などを書いたものも。
産業振興のために、当時九州や紀州でさかんに行われていた鯨漁の調査も能登で行っている。しかし、太平洋に比べると日本海近海では迷い鯨を湊に誘導して捕える具合で、産業としては断念したようだ。
ちらしのカラー表面に載っているライオンの図、70歳ぐらいの絵師によるものです。アルファベットも絵の一部としてすべて写本しています。展示は全5ページ。他にカメレオンが描かれたものもあります。
展示スペースは小さいながらなかなか楽しめました。講座では、最初に資料館が展示の度に発行してきた資料館たよりが有料になったアナウンスと、20号までの合冊を作成した案内がありました。あと5年経てば第二号を作りたいと言っていましたが、予算が許すかどうか。私はカラーでもっていない号のみ補充してようやくカラーで揃いました。
終了後、次の用事までは少し時間があったので、今年初の雪の金沢城を散策する。残念ながら菱櫓・五十間長屋はすでに屋根雪は落ちていたが、三十間長屋や鶴丸倉庫、石川門一の門は屋根雪の写真をばっちり撮ることができた。金沢城は白壁なので雪がとても似合う。また薄っすらと雪をかぶる石垣の趣もなんとも言えない。
平成19年度金沢城大学 「安土城と城下町」
本日は雪の中、遠路わざわざ安土から近藤滋氏がいらっしゃいました。近藤氏は平成17年度から安土城郭調査研究所の所長をやっています。テーマは昨年度安土城発掘調査に一区切りをつけ、来年度整備計画報告をまとめるにあたり、19年の調査成果からみる「安土城と城下町」です。
安土城に関しては、調査が公的な安土城郭調査研究所が行っているものの、土地は信長の創建した摠見寺の私有地であるため、いろいろと悩みもあるようです。その最たるものが郭の名称。大手道の両脇に羽柴秀吉邸、前田利家邸などの家臣邸が現在は立て看板にも説明されています。
信長逝去百年を祝って江戸時代に作られた「安土古城図」には、羽柴秀吉邸と大手道を挟んで書かれているのが徳川家康邸、家臣でもない同盟国の国主の居館が安土にあるのはいかにもおかしく、その後、羽柴秀吉邸の前は仲の良い前田利家邸だろうということになったそうですが、前田利家邸が書かれた文書・古図は実はないそうです。また大手入口の江藤邸跡、江藤という姓の部将はいまだに信長の家臣に発見されていないそうで、一体誰なんでしょうか。
まだいろいろな話がありましたが、そのあたりはどこまで整備報告書に盛られるのか楽しみですね。安土城の姿はここ10年で大幅に変わりました。それでも以前の発掘調査説明会では安土山の一割も調査が終了したわけではなく、生きている間には全容解明されなさそうです。
最近の講演会の中では、織豊期は中世か近世か、ということがよく話題になります。何をもって中世とするか、近世とするかというのは難しいですが、混在した過度期であったことは確かなようです。
金沢城 惣構堀復元工事ずれ込み
金沢市が同市尾張町二丁目で進める東内惣構堀の復元整備を請け負っていた業者が事業を停止し、完成が大幅にずれ込む見通しとなった。市は二月に工事を発注し直す方針であり、当初に予定していた今年度末の完成は困難になった。
市によると、工事は山村組(同市)が単独で請け負っていた。しかし、同社は昨年11月に事業を停止し、工事を継続できなくなった。現在も工事がストップしたままになっており、市は二月上旬に入札を実施し、同下旬の発注を目指す。
今回の復元整備では、橋場交差点と枯木橋に近い約160平方メートルで江戸後期の石垣を保全、修復する。ベンチなどを配した見学所を設け、市民が歴史に触れる空間とする計画としており、現在の工事進捗率は二割程度という。(北國新聞2008年1月18日付記事)
同地に訪れたのは昨年11月中旬でした。一人で作業していましたが、その月以降作業が進んでいないものとは思っていませんでした。建設不況がこんな歴史的復元工事にまで影響を及ぼす事態になっているのですね。
復元イメージ
昨年11月の見学所現場
昨年11月の石垣整備現場
金沢城調査研究所 城郭石垣 九州と比較調査
県教育委員会が今年度に改組した「金沢城郭研究所」は、全国の新進気鋭の研究者5氏を客員研究員に委嘱し、九州と金沢の城郭石垣の比較研究に乗り出した。諸大名が石垣技術者をどのように召し抱えていたかを福岡藩、熊本藩、久留米藩などの資料から洗い出し、世界遺産「城下町金沢」再提案でも掲げた、金沢の石工技術の普遍的価値や希少性を比較研究で明確にする。新年度以降は、尾張藩、紀州藩、津藩、萩藩などにも調査範囲を広める計画だ。
客員研究員の共通テーマは、天下普請での石垣城郭技術者の編成・技術内容の比較や、各大名家独自の石垣技術の考察となる。
客員研究員は次の各氏。
白峰旬氏(別府大准教授)
長屋隆幸氏(愛知県立大非常勤講師)
宮里学氏(山梨県教育庁学術文化財課副主査文化財主事)
楠寛輝氏(松山市教育委員会文化財課主事)
市川浩文氏(佐賀県立名護屋城博物館学芸課調査研究担当主査)
研究所では今年度、前身の「金沢城研究調査室」で培ったノウハウを生かし、大坂城と名古屋城で石垣遺構の分類編年に関する調査も始めた。今後は調査対象の城郭を全国に広げ、金沢城や城下に蓄積された匠の技を世界的視野に立って解明していく。(北國新聞2008年1月16日付記事)
かなざわ冬の旅 成巽閣編
冬晴れとなった今日は、午後から金沢市内に出かけました。片手に「かなざわ冬の旅観光キャンペーン 持ってまわれば得々ガイドブック」(少々長い)を持って。これは金沢市内の観光施設が団体料金で入れる小冊子で、金沢駅や観光案内所などで配布されているものです。
金沢市の近くに住みながら、兼六園は何度も足を運んでいるけれど、隣接する成巽閣には一度も入ったことがありませんでした。成巽閣とは、加賀藩13代前田斉泰が母である真龍院のために建てた奥方御殿です。入館料が高く、なかなか気がひけていたのですが、金沢城を勉強している身としては、一度も入ったことがないのは如何ということで、団体料金で100円引きになるこの機会に行ってみました。
正月明けということで展示は2つしていたのですが、展示というより成巽閣はやはり建物そのものを見るところでした。とにかく立派です。奥方御殿であるということは私的空間なわけですが、襖絵や欄間など豪華でした。金沢城に二の丸御殿が復元されれば、これ以上のものになることは容易に想像でき、それだけでもワクワクしますね。
金沢城の周囲を市内散策しながら、前田土佐守家資料館に行き、今週で終了する秋の特別展示を見てきました。いつの間にか、特別展示を案内する「資料館だより」の前回以前の分が有料になっていました(一部50円)。今年度春発行の20号までの合冊本(一冊1500円)も発行されており、予算上いろいろとあったようですね。その代わり、配布終了でコピーを配布していた号もカラー版を入手できるようになりました(もちろん有料ですが)。
今日は15日ということで、市内の神社では左義長が行われていました。石浦神社は左義長の真っ最中でしたが、尾山神社は午前中で終了していました。
今冬初めての積雪
今朝はとても寒いと思っていたら、外は真っ白でした。年末年始は山沿いでは少し積雪があったようですが、海の近くの平野部では積雪はなし。
さすがに今回の寒冷前線は大きいようで、今週はさらに積雪がありそうです。少しぐらい積もってくれないと雪国らしくないし、今夏の気温が心配です。
金沢城・兼六園研究会一月例会 「映像などから考える兼六園の今昔」
本日は金沢城・兼六園研究会の例会でした。元兼六園管理事務所所長の下郷稔氏により「映像などから考える兼六園の今昔 -復習・兼六園のなりたち-」というテーマで講演がなされました。
歴史は日々の研究により刻々と変わるといいますが、兼六園や金沢城の歴史も変わるかもしれないと思う論説を聞かせていただきました。
例えば、前田利家が金沢城に入城した日。旧暦で4月24日、現在の暦で6月14日となり、金沢百万石まつりの利家の入城を再現した百万石行列の行われる日(現在は土曜日に固定)でもある。しかし、古文書では4月24日は北ノ庄で柴田勝家が自害した日、そんな日に金沢に利家がいたとは考えにくい。秀吉は4月28日に尾山(金沢)城に入ったとされるため、利家は前日の27日、または同日の28日であろうと考えられるのである。
歴史研究の面白さを実感した講演でした。