雨模様の3連休の中日、工事は当然していませんが、今週から開始された鯉喉櫓の工事状況を見てきました。
先週はなかった鯉喉櫓前の見学所ができていました。足場正面だと少々見にくいですが、ないよりはあったほうが断然見やすいですね。
石積み工事は今週は雨の日も多かったので進んでいないと思っていましたが、見ると、番号が書かれた石が櫓台にかなりの数移動されていました。
梅雨が明ければ工事は目に見えて進むことと思います。
足場を横から写真に撮ると、垂直に組まれた足場との対比で、石積みの勾配を示した木組みの傾きがよくわかると思います。
投稿者: Tadashi
鳥越一向一揆歴史館友の会バスツアー IN 郡上・高山
今日は毎年恒例のバスツアーです。開通して一年経った東海北陸道を使って郡上市に向かいます。
行く途中反対車線は長い渋滞でした。夏休みおよび3連休の初日は悪天候とは言え、皆さんマイカーで出かけられているようですね。
バスは狭い郡上八幡の路地を進み、安養寺へ着きました。ここは近江源氏の佐々木高綱が開基であり、当時は「安要寺」といっていたようです。昭和11年再建時に八幡城三の丸跡に移築してきました。郡上御坊とも言われる境内は未だにかなり広いです。
安養寺は、織田信長包囲網の本願寺末寺として美濃一向宗を率いた中心寺院であり、郡上御坊と言われている。
お昼は市内のドライブインでしたが、引き出しに小皿を収納したしゃれた感じです。
思いのほか量も多く満腹になりました。
放映当時は行っていなかったので知りませんでしたが、郡上八幡は山内一豊の内室千代の誕生した城(他説あり)として、当時は盛り上がっていたようで、八幡城への途上にも銅像が建てられたようです。
安養寺は八幡城のすぐ麓にあるのですが、今回は八幡城はおあずけです。
行きにみた高速の渋滞を避けるように下道を走りましたが、運悪くこの日は旧名宝村でジャズの一大イベントがあるということで、渋滞に会い、結局高山に到着したのは出発予定時間でした。
高山別院照蓮寺の宝物館は残念ながら見学できませんでしたが、本堂と立派な山門を見て、早々に移動しました。照蓮寺は高山城跡にあるのですが、ここでも今日はおあずけです。
最後に、飛騨物産館に寄りました。広い物産館で、入口は陣屋風で良いですね。脇には天領桜と名づけられた桜が立っています。藩政期金森家移封ののちは天領であったことによるものです。
行程をすべて消化できなかったことは残念でしたが、有意義な旅行でした。東海北陸道ができて近くなった高山までは1時間半ぐらいですので、見所多い秋頃にまた訪れることにしましょう。
有力者の屋敷跡か 宮保館跡 40メートルの堀確認
石川県埋蔵文化財センターは16日、白山市宮保町の北陸新幹線建設事業用地内にある宮保館跡・宮保B遺跡(鎌倉・室町時代)で、15世紀前半ごろに掘られたとみられるコの字状の堀を確認したと発表した。規模は一辺約40メートルと推定され、有力者が屋敷を構えていた可能性があるという。
これまで建物や堀の一部は確認していたが、今回の調査で新たに構造や規模が明らかとなった。現段階で、文献などからも屋敷の所有者は推定できないという。(北國新聞2009年7月17日付記事より)
Vistaに4GBのメモリは・・・
メモリも随分安くなった。春先は2GBで2千円程度にまで暴落していたメモリだが、現在はボーナス商戦の時期でもあるのか3千円弱まで上がってきた。
Windows 7を冬に控えて、そろそろVistaにも慣れなければいけないと思いながらも、現在のXP資産は捨てられないので、仮想化するためにも、現在のVista機のメモリを2GBから4GBにバージョンアップしようと考えて、メモリを購入した、
ところが、
ところがである。32ビット版Vistaは3GBまでしか認識しないことを忘れていた。というより、換装して起動すると、Vistaそのものが起動しなくなってしまいました。
ガーーーーーーーーーーーーーン!!!!
結局元に戻して、チェックディスクやデフラグでなんとか元に戻ったから良かったものの、今日の3時間はくたびれ儲けでした。
それに、
購入した2枚の2GBメモリはすっかり無駄になってしまった。Win7発売したらもう1機作るか?しかし、Win7は4GB認識するだろうか?
金沢城 河北門復元
今日は丑寅櫓台から見た河北門工事現場を紹介します。
外観がほぼできてきた河北門二の門はぱっと見て替わり映えしませんが、今日は屋根工事をやっていました。金槌の音はまだまだしていますが、見えない部分の工事が多いのか、残念ながら作業を見学できる場所は少ないですね。
1月と5月に開催された記名会イベントで記名した瓦や板は、1年前に国重文に指定された「金沢城土蔵」に保管されている話が地元新聞で紹介されていました。ということは昨年お盆に公開されたイベントは今年はないようです。
金沢城 玉泉院丸発掘調査
いもり堀に続いて玉泉院丸の様子を見に行きました。
発掘現場は昨日の大雨でかなり水が溜まっています。
2つの穴の他に、もうひとつ穴が掘られていました。ここには水が溜まっていて底は見えません。
初めの穴のひとつに、たくさんの石が見えます。泉水の敷石のようにも見えますが、体育館があった頃の土台工事の詰石かもしれません。どちらでしょう?前者であれば泉水復元の第一歩が開けたということで、楽しみです。
金沢城 いもり堀鯉喉櫓台
今日は昼から天気が良くなりました。青空の下の石垣は映えますね。
足場の組まれた石垣台の後ろの土盛りは作業が終わったようです。
今日はクレーンが動いています。石垣のところで何か相談しています。
と思ったら、1個石を外して、クレーンで吊り上げました。
少し合わなかったようで、ドリルで削り始めました。
足場を内側から良く見ると、斜めに木組みがされています。高さや傾きから予想すると、石垣の勾配を示しているようです。写真ではわかりにくいので、ぜひ現場で確認してください。思ったよりも高いですね。
辰巳櫓より眺めた作業現場です。ここが一番の特等席ですね。
本格的な石積み作業は14日からということで、11月頃には櫓台が完成するようです。積み増し部分は4.8メートル、使用する石材は800個。いまから待ち遠しいです!
7月例会 「花開いた百万石文化」
今日は石川県立美術館の嶋崎館長を迎えて、「花開いた百万石文化」というテーマで講演会が開かれました。
広坂休憩所の部屋は珍しく盛況でしたが、話の内容も加賀藩の文化が公家文化であるのか?武家文化であるのか?という点についてとても興味深い話でした。
藩政期末期には江戸、大坂に次ぐ人口を誇った加賀藩の金沢は、その半分以上が武家という町ではありますが、その文化は典型的な公家文化であり、桂離宮を筆頭とするような質素を良しとするものであったようです。
五代綱紀公から十七代までのコレクションである「尊経閣文庫」ですが、その本体はあくまで東京であり、金沢で見られるのはその一部です。私は何と言っても、物の百科辞典といえる「百工比照」のすべてを一度見てみたいのですが、戦後の一時期は金沢にあったそうです。
嶋崎館長は勤続50年、1カ所の勤続としては日本一長い館長だそうですが、9月6日に一般向けに講演を行います。
今年は石川県立美術館で初めて「加賀百万石の文化講座」が4回開催される予定で、館長は第3回が予定されています。
他にも、現在の前田家当主による「加賀前田家を語る」や、石川県立歴史博物館元学芸員の長谷川氏による「有職故実と日本文化」、地元歴史家であり著作も多い野村さんによる「溶姫の人生」など楽しみな講演があります。
古本展示即売会
ラブロ金沢でやっていた「新本バーゲンブック&古本展示即売会」へ行って来ました。以前は時々開催されていた古本市ですが、最近は不景気か、古本が売れなくなったからか、あまり行われなくなりました。
土曜日の昼過ぎの会場にはそこそこの人がいます。けど、若い人はいませんね。
古本は会場費が上乗せされて、ネットで販売されているか価格よりは若干高めですが、実際手にとって見て購入できるのはいいですね。
今日は、加賀藩の三大騒動のひとつ「北長家騒記」の翻刻と研究成果をまとめた自費出版本(非売品)を古本で、江戸時代に書かれた蓮如上人の事蹟をまとめたものを現代語訳にした本を新本バーゲンブックで購入しました。
富山城 戦国期の井戸跡
富山市の富山城址公園で進められている発掘調査で、戦国期の富山城内に造られたとみられる井戸の跡が9日までに見つかった。当時の神通川に近い本丸の北東部の一角で、深さは1.6メートル以上と推定される。
藩政期以前の富山城の遺構は数が少なく、同市埋蔵文化財センターは「謎に包まれた中世富山城の生活の一端を示す貴重な遺構」としている。(北國新聞2009年7月10日付記事より)
先月撮影した庭園整備中の発掘現場付近