所属会の用事で市内へ行くのに合わせ、早めに出発して気になっていたところに行ってきました。
ずっと気になっていたのは、先日も訪れた金沢五社のひとつ、神明宮の「あぶりもち神事」です。「あぶりもち」とは、悪事災難厄除け伝統特殊神事として300年以上続いているものです。金沢検定の問題で知ってから一度行きたいと思っていました。
春祭は5月15日・16日・17日、秋祭は10月15日・16日・17日となりますが、今年は最終日である本日が土曜日であり、さらに天候にも恵まれて良い機会でした。
あぶりもちは初めてでよく分からないので、受付でいろいろと尋ねました。
あぶりもちは、「食べて身体の災難除け」をする食べる用と、「家に飾って身代わり家守」となる飾り用の2種類があります。ともに、お祓いに使用する御幣の形に串刺しにし(この形が独特で一度実物を見てみたかったのです)、食べる用にはタレが塗ってあります。
こちらが飾る用です。
そして、こちらが食べる用です。
投稿者: Tadashi
金沢城・兼六園研究会 総会&5月例会
今週末は良い天候に恵まれそうです。本日は金沢城・兼六園研究会の総会日でした。
会場は石川県立生涯学習センターでした。前の旧石川県庁では先日の新聞報道にもあったとおり、発掘調査が始まっていました。堂形にあった倉庫跡など出てきたらまた見に行きます。
金沢城・兼六園研究会は本日第18期の13人を迎え160名となりました。私は第17期ですが、昨年より人数が減っているのが気になります。特に、昨年入った我が第17期が継続者が少なかったのは残念です。金沢城大学出身者のため、兼六園が活動に相当入っていることがイメージと違ったのでしょうか。
それにしても、金沢城跡が国史跡に答申され、後に野田山墓地や戸室山石垣丁場跡など同等の史跡が多数控える中で、ガイドの素地となる本会会員層が薄くなるのは残念なことです。
総会の後、5月例会として、金沢城調査研究所の正見氏による「金沢城の建物の魅力」というテーマの講演がありました。正見氏は地元金沢の出身で研究所では建物の担当です。
何度か正見氏の講演や解説を聞いたことはありますが、今日はいつもとは切り口の違う講演でいろいろと発見がありました。
突然ですが、皆さんは「城郭建築物」って何を指すか分かりますか?
天守は?門は?櫓は?塀は??御殿は???倉庫は???
城郭建築物の定義は江戸時代の武家諸法度らしいです。社会の授業で習いましたね。その中では「城郭建築物とは戦闘に関係する建築物」ということらしく、天守、門、櫓、塀などが該当します。生活に供する御殿は該当せず、倉庫は・・・?よく分かりません。
城内にあったその他建築物といえば、神社や東照宮です。金沢城の東照宮と言えば、尾崎神社ですが、今日帰りにたまたま寄ってみると、なんと本殿瓦の修復に合わせて、拝殿の雪囲いが外されていました。最近は鮮やかな彩色を保護するために年中囲いがされていましたが、今日は思わず「アッ!」って叫んでしまいました。おそらく期間限定ですので、昔ながらの囲いの無い写真を撮るのは今ですよ!
今年1月の拝殿
今日の拝殿
話を戻しまして、明治以降城外に移築された建築物には以下のようなものがあります。
・金沢東照宮社殿
・・・尾崎神社本殿・拝弊殿
・・・長田菅原神社拝殿(旧本地堂もしくは護摩堂)
・二ノ丸唐門
・・・尾山神社東神門
・二ノ丸能舞台
・・・中村神社拝殿
・玉泉院丸二重塀
・・・旧江戸村(現在の所在は不明)
長田菅原神社と中村神社については後日行く予定です。
金沢城跡国史跡に
本日は金沢城関連で2件。
文化審議会は16日、金沢城跡を国史跡に指定するよう、渡海文部科学省に答申した。答申通り近く指定、登録される。指定範囲は金沢城公園内の国・県・市有地を合わせた約27.5ヘクタールで、ビルが建つ西側の私有地、北陸電力の変電施設がある北側の敷地は含まれない。(北國新聞2008年5月17日付記事)
財団法人北國総合研究所の「金沢城辰巳櫓復元調査検討委員会」は16日、金沢市の北國新聞会館で会合を開き、今年度から製作に乗り出す辰巳櫓の立体模型について、1759(宝暦9)年の大火で焼失する前のタイプで取り組みことを決めた。製作期間は2年間で、辰巳櫓の復元に向けて気運を盛り上げていく。今年度は50分の1の縮尺で模型を試作し、来年度に20分の1の大きさで立体模型を製作する。(北國新聞2008年5月17日付記事)
名古屋城本丸御殿復元
10日に行われた名古屋城検定は、名古屋城本丸御殿の復元の啓蒙活動と一部募金を含んでいます。いよいよ今年度から復元工事に着手するということですが、現在はまだ現場は何も始まっていませんでした。
名古屋城天守閣の展示室には、名古屋城全体の復元模型と本丸御殿の大型復元模型が展示されています。その本丸御殿を見ながら、上の写真の場所に本丸御殿が復元される日を想像してみました。
検定の行われた5月10日は御殿(ごてん)の日ということだったのですが、それに合わせて城内の売店では本丸御殿復元記念の商品が数点販売されていました。この商品も一部は募金だそうですが、私は記念にキャラメルを買ってきました。
名古屋城 その1
土曜日の日記の続きです・・・
名古屋城に着く頃にはだいぶ雨も強くなっていました。せっかく来たので来年の名古屋城検定に向けて実地学習です。
三の丸の名城公園では加藤清正公がお出迎えです。雨で写真が暗くなったのが残念です。
正門入口には片隅にひっそりと離宮時代の碑が立っていました。ほとんどの人は素通りです。
天守閣をめぐる内堀の中では雨にもかかわらず鹿が夢中になってお食事していました。城に鹿、珍しい光景です。
二の丸庭園の入口には「那古屋城跡」の碑が立っていました。「那」の文字以外はすでに見えにくい状態になっていましたが、ここが織田信長が家督を継いで出発した地だと思うと感じるものがあります。が、今は徳川御三家の名古屋城となり、往時の面影はありません。
二の丸では石曳きを先導する加藤清正公に出会えます。
有料ゾーンを出たから城の堀のまわりを巡っているときに、堀の一角で葦を集めてうずくまる白鳥を見つけました。そこから動こうとしないので、きっと卵を抱いているのでしょう。無事に子供を連れて堀を泳ぐ姿を見せてほしいものです。
名古屋市内散策
土曜日の日記の続き・・・
名古屋城検定を終えた私は少し歩いて国道に出て、真っすぐに名古屋城へと続く道を歩きました。距離はありましたが、歩いたことでいろいろな名所に寄ることができました。
最初に寄り道したのは、真宗大谷派名古屋別院である東別院です。立派な門や建物が立ち並ぶ広大な土地の片隅にひっそりと「古渡城跡」の碑がありました。そうここは織田信長の父信秀が那古屋城から移るために築城した地なのです。
古渡城跡の碑の後には「明治天皇名古屋大本営」の碑がありました。
東別院をあとにして歩いていると、日置神社がありました。立て看板を読むと平安時代初期から続く由緒ある神社のようです。織田信長が桶狭間に出陣する際に戦勝祈願し、後に戦勝のお礼に松を千本植えたと伝えられているそうです。
さらに進むと大須にある大須観音に着きました。流石にアーケードの繁華街に隣接するだけあって人通りもあって賑やかでした。
名古屋城に近づくにつれて足元にも注目すべきものが・・・
名古屋城と金鯱の描かれた消火栓と2匹の鯱が描かれた消火栓です。兼六園のことじ灯篭が金沢を象徴するように、鯱が名古屋を象徴するものなのですね。
世界最大の翼竜展 IN 名古屋
雨の名古屋、名古屋市科学館で開催中の「世界最大の翼竜展」を見てきました。土曜日ということもあり、大勢の親子連れがやってきていました。
恐竜展というのは多いですが、翼竜のみの展覧会は珍しいです。会場にはたくさんの翼竜の化石が展示されていて、その大きさを実感することができました。中でも天井の翼竜ケツァルコアトルスの復元化石と復元模型は非常に大きく迫力がありました。
こちらはジュラシックパーク3にも登場している、最も有名な翼竜プテラノドンの化石です。ちょっと小さいのですが、標準的なサイズだったのでしょうか。
翼竜との比較で現在の飛ぶ動物や鳥の展示もありました。
こちらはコウモリ
こちらはモモンガ
会場の最後には展示パンフレットやグッズを販売するコーナーがありましたが、興味のないお母さんは「もう終わり」って言っている人も・・・。
自分としては十分楽しめましたよ。日本初公開の化石も多かったですし、ディスカバリーチャンネルの番組を編集したDVDも良かったです。
熱田神宮にはトリがいっぱい
名古屋城検定を受けに名古屋に来ました。検定日の朝、ちょっと早めにホテルを出発して熱田神宮に行きました。朝早いこともあって人もまばらでしたが、途中から団体バスが・・・でも話し声が日本語ではありませんでした。
酒樽がたくさん並んでいるなあと見ていたら、前に鶏が止まっています。それも3羽も・・・
とても人馴れしているようで、人が近づいても逃げません。観光客の中には喜んで記念写真を撮る姿もありました。
境内の数箇所に「信長塀」が残っています。織田信長が桶狭間の戦いに臨むにあたって、ここ熱田神宮で出陣祈願をした話は有名ですが、大勝のあとお礼としてこの塀を寄贈したそうです。
本殿の前ではちょうどお勤めに出る巫女さんが大勢出てきました。
帰る途中よく見るといろいろな場所にトリがいます。
鶏は寒いのでしょうか?うずくまっているのかと思ったら、片足上げて立っていました。
珍しい白いハトも・・・
名古屋城検定 本番受検記
朝から雨の降る肌寒い日となりました。いよいよ名古屋城検定の本番日です。
ホテルは早々にチャックアウトし、テストの前に熱田神宮にお参りです。レポートは後日ということで、会場の名古屋国際会議場に到着です。会議場は修繕中のようです。
会場の掲示板には受験番号ごとに会場が掲示されています。最後の番号は884番ということで884名の申込みがあったようです。名古屋城のみの検定としては多いのか?それとも少ないのか?
私はA会場ということで300名入る大ホールです。会場前の受付では前の人が意見していて進みません。何を言っているのかと聞いていると、どうも受験費用のことのようです。今検定の受検費用は前払いでも当日現金払いでも良いことになっていますが、どちらも同じ費用です。欠席の場合、前払いの人は返金されず、当日払いの人は欠席するだけでペナルティがないということで、当日払いが前払いと同じ費用で済むのはおかしい、というような趣旨でした。確かに私もそう思う部分もありましたが、検定の趣旨が本丸御殿再建の周知と募金の意図であることからするとどちらでも良いと思います。
A会場は報道用にテレビカメラが何台も入っていました。ほとんど欠席もなく9割以上の出席率でした。男女の割合は圧倒的に男性が多いですね。やはり年配の方が多いです。隣には若い夫婦が受検していました。テキストは一冊しかないようで、旦那さんがテキストなしで受検していました。旦那さんは大変でしょうが、夫婦揃って受検するとは仲良くてうらやましいですね。
いよいよ試験問題が配布されました。
「始めてください」という合図とともに始まります。と同時に隣のおじさんがテキストをパラパラめくる音(今回の検定は検定テキスト持込できました)。しばらくすると後のおじさんが「これは難しいな」と独り言。名古屋の方はなかなか気ままなようです。
私はとりあえずテキストを見ずに半分ほど埋めました。それからテキストでチェックしながら残りを埋めます。マークシートではなく数字を書き入れる方式なので書くのは楽です。その分採点は大変でしょうが。
最終的にはテキストよりの出題は50問中40問。残りがそれ以外でしたが、合格は70%の35問ですから誰もが十分合格できるラインです。
試験時間90分の半分45分過ぎるところで退出可能でしたが、ちょうど終了しましたので退出したらA会場では一番早かったです。もっとたくさんの人が退出するものと思っていましたが・・・
受検で木曽ヒノキ製の「受検記念証」をいただきました。合格すると同じく木曽ヒノキ製の「初級認定証」をもらえるそうです。届くのが楽しみですね。その後名古屋城に行ってテキスト外から出題されたうち、2問間違ったことが分かって残念ながら満点は逃しました。
発表は6月10日頃。楽しみに待ちましょう。
名古屋城検定 いざ名古屋へ!
明日(5月10日)は「御殿の日」。名古屋市では初の城郭検定である「名古屋城検定」が開かれます。私も受検のために仕事の後、しらさぎに乗って名古屋市へやってきました。
明日は朝受検前に熱田神宮に参拝する予定です。1日雨のあいにくの予報ですが、受検後には名古屋城も行く予定です。受検用テキストを読んで名古屋城内のいろいろな場所に興味が湧きました。