名古屋城検定の表彰は・・・

表彰は高得点の方と特別賞(最年少・最高齢)の方だけだと分かりました。ちなみにG賞は記念品として、「本丸御殿のメモパット」がもらえるそうです。
初級合格者には皆何か記念品がもらえるようで、勘違いした自分が悪いのか?勘違いさせる案内文が悪いのか?お近くの人は大人800円の入場券が、8日は無料となりますから、出かけてみても良いでしょう。
自分は表彰されないことがわかってほっとしましたが、イベントとしては「天守閣夜間公開」と「本丸御殿3Dシアター」に興味がありますので、ここは財布の中身と相談することにしましょう。
名古屋城宵まつりホームページ

金沢城跡 国史跡に決定

文部科学省は17日付の官報で、金沢城跡を文化審議会の答申通り、国史跡に指定すると告示した。告示をもって史跡指定が正式に決まった。国史跡指定の範囲は金沢城公園内の国・県・市有地を合わせた約27.5ヘクタールとなる。(北國新聞2008年6月18日付記事)

福井市を歩く 銅像・石像編

福井市には銅像・石像が少なくありません。それだけで観光コースになっています。
松平春嶽像
福井市立郷土歴史博物館前に新しい松平春嶽像があります。幕末16代福井藩主として非常に有名な殿様です。
横井小楠・由利公正像
福井城跡前、内堀公園内にある横井小楠・由利公正像です。横井小楠は春嶽に招かれて熊本から来て、由利公正らを指導しました。
松平春嶽像
こちらも松平春嶽像です。福井城跡の隣にある福井神社の境内にあります。つい先日のNHK大河ドラマ「篤姫」のエピローグで紹介されていました。訪れた次の日の放送だったのでとても驚きました。
熊谷太三郎像
中央公園内にある熊谷太三郎像です。元福井市長のようです。
岡田啓介像
ここも福井城跡の隣、中央公園の入口に立つ岡田啓介像です。日本が戦争に向かって突き進んだ時代に福井県出身で始めて総理大臣となりました。
岡倉天心像
同じ中央公園に岡倉天心像があります。明治から大正にかけて活躍した美術研究家です。
結城秀康像
福井城本丸跡、県庁前に結城秀康像があります。福井藩初代藩主であり、徳川家康の次男であった秀康は、結城家に養子にいったために将軍になれなかったある意味悲劇の殿様です。
お市の方像
柴田公園にお市の方像が柴田勝家像のそばに立っています。
柴田勝家像
柴田勝家像は槍を右手に衝き立て、勇猛な形相です。
グリフィス・日下部太郎像
幸橋の袂にグリフィス・日下部太郎像があります。日下部太郎は福井の留学生第一号で、アメリカのラトガース大学で学び、先輩のグリフィスを福井に招きました。グリフィスは化学の教師として多くの若者を指導しました。
中根雪江像
神明公園の中に中根雪江像があります。幕末の福井藩士で、初めは春嶽の教育者として、のちに春嶽の御用人として藩を支えました。
禿すみ像
最後は禿すみ像です。仁愛女子高校の正面入口前に立っていて、創設者?でしょうか。女子高前で写真を撮っていると変に思われそうなので早々に退散しました。今日はここまでです。

福井藩を歩く 2

今日は福井藩の頃にあった町名を紹介しましょう。
浜町
「浜町」は、足羽川沿いの町で、年中朝市がたっていたり、芝居小屋が開かれたり、にぎやかな場所でした。今は住宅街に小さなお店がちらほら見られます。
浜町
本町
「本町」は、福井城の正面玄関であった桜門の前にできた町で、現在は福井駅前から続く幹線道路沿いにあります。
本町
一乗町
「一乗町」は、一乗谷の朝倉氏が滅亡した後に、柴田勝家がそこに住んでいた人たちを北ノ庄城の城下に移してできた町です。
一乗町
長者町
「長者町」は一乗町に隣接して北ノ庄時代からあったと考えられ、他の町に比べ敷地が広かったことから有力な町人が住んでいたと考えられています。
長者町
京町
「京町」は、京都から運ばれた小間物を扱う店が並んでいたところで、九十九橋の北詰にあたり、北国街道の城下への入口でした。
京町
塩町
「塩町」は、塩問屋や塩商が集まっていた商人町でした。
塩町
山町
「山町」は、一乗町と同じく柴田勝家が一乗谷の人たちを移住させた町です。案内碑のある場所は、幕末に坂本龍馬が由利公正と語り合った莨屋(たばこや)旅館があった場所です。
山町
呉服町
「呉服町」は、現在も呉服町商店街となっていますが、九十九橋からまっすぐに町を北国街道が通っていて、呉服屋が多かった商人町でした。
呉服町
柳町
「柳町」は、福井城の柳門という門前にあった町です。
柳町
福井は空襲にあっているので、藩政期の面影はすでにありませんが、こうして町名を訪ねながら散策してみるのはいかがですか?

国盗りカウンタ 成長しましたよ!

レベル1 レベル2
国盗りカウンターを設置してから10日、毎日楽しみにしていました。
そして今日「知識の泉」ブログのほうがレベル2に成長しました。平の足軽から旗持の足軽?になりました。このブログはまだレベル1です。都道府県別に見るとまだまだ偏りがありますね。二つのブログでは傾向がやはり違います。しばらくは興味が尽きません。

福井藩を歩く 1

昨日は福井城に関係する名所を紹介しましたが、今日は福井藩に関係する名所を紹介します。
ここは「加賀口御門址」です。城下を通る北国街道は九十九橋を渡って、福井城の西側から北側を通って、この御門を抜けて加賀へと向かいます。
加賀口御門址
加賀口御門址
現在は案内板が道脇に立っているだけですが、当時の様子は絵葉書から窺い知ることができます。
加賀口御門跡
それでは、足羽川を渡って城下に入る入口である「九十九橋」です。現在はコンクリート製の橋ですが、当時は石と木でできた珍しい橋でした。往時の様子は郷土歴史博物館で見ることができます。
九十九橋
九十九橋
次は繁華街の中にひっそりと設置されている「狛屋敷跡」です。福井藩家老を代々務めた狛氏の屋敷があった場所です。
狛屋敷跡
狛屋敷跡
今日の最後は「笠原白翁・除痘館跡」です。裁判所近くに案内板が設置されています。笠原白翁は幕末の医師で、福井に種痘をもたらした偉人です。ここに福井藩が設置した天然痘の予防接種を行うための施設「除痘館」がありました。
笠原白翁・除痘館跡
笠原白翁・除痘館跡
明日は城下町の町名探訪です。

福井城を歩く

今日は福井城に関係するところを紹介しましょう。
目的の福井市立郷土歴史博物館に隣接して復元された福井城の「舎人門」です。赤瓦が印象的な福井城の北にあった門のひとつです。堀ではカモが気持ちよさそうに泳いでいました。
福井城 舎人門
舎人門堀にて
郷土歴史博物館の隣にある「養浩館庭園」です。ここは福井藩松平家の別邸で御泉水屋敷と呼ばれた場所です。現在建造物の屋根の一部を修復中でした。
養浩館庭園
養浩館庭園
次は国際交流会館前の「芝原上水」です。光明寺用水と呼ばれた福井城の水路です。国際交流会館前で曲がって、郷土歴史博物館のほうへ流れていきます。近年用水の石垣の発掘調査が行われていました。
芝原上水
現在福井県庁や警察本部のある場所が福井城本丸です。奥には天守台があり、「福居」の名の由来となった「福の井」があります。
福井城天守台
昨年訪れたときは先の舎人門を初めて見たのだが、今日は「御廊下橋」を初めて見た。聞けば今年3月に落成したばかりだとか。天守台に至る部分に架けられた屋根付きの屋形舟のような形の橋である。その形はとても珍しい。さすがにまだまだピカピカな状態だ。
福井城御廊下橋
福井城御廊下橋
近くに福井市役所があるが、その土台には福井城の石垣が数多く利用されたとのことで、入口の石積みには大きな刻印のある石がたくさんあった。
福井城堀の石
福井城堀の石
福井駅前は再開発に伴い、中央大通りには地下駐車場が整備されましたが、そのとき出てきた「百間堀」の石垣です。ガラス張りで地下の石垣を見ることができます。
百間堀石垣
百間堀石垣
近くのアーケードの中には百間堀の案内板があります。
百間堀
最後に、城の橋通りに面する「北の庄城址・柴田公園」です。ここは柴田勝家を祀る柴田神社がありますが、数年前から整備を続けていてようやく完成しました。入口には京方面から城下に入る唯一の橋であった九十九橋の一部も復元され、隣接して北の庄城址資料館が新しく建てられていました。ちなみに入館は無料ですよ。北の庄城址と銘打っていますが、北の庄城の上に福井城が建てられたため、発掘でも遺物の多くは福井城のもので、北の庄のものはわずかに石垣の石が数個見つかっているのみです。柴田公園でも復元されている石垣は福井城のものが多くを占めます。
北の庄城址
北の庄城址
公園の中央付近に鎮座する柴田勝家公ですが、整備の中で南が正面となりました。初めて見たときは東向き、前回見たときは西向き、これでようやく落ち着けましたでしょうか。
北の庄城址

名古屋城検定の合格証が届きましたよ!

今日帰ってきたら名古屋城検定実行委員会から封筒が届いていました。やけに分厚いです。楽しみに開いてみます。
名古屋城検定
受験記念証はハガキ型でしたが、認定証は手形型ですね。というより裾が広がっているから将棋駒型とでも言うべきでしょうか?今回も木曽ひのき製で手触りがいいですね。文字の焼きが薄いのが少し残念です。
同封の結果は詳しいものでした。自分の成績は50問中42問正解。まあまあです。
受験申込者数 884名(男性 654名、女性 230名)
受験者数 827名(出席率 93.6%)
合格者数 737名(89.1%)
平均点 40.16点
最高点 49問正解 2名
最高齢合格 83歳 1名
最年少合格 9歳 1名
満点が出なかったのは実行委員会としても残念でしょうね。欲を言えば、受験者の年令別受験者数や今年の問題の答えが欲しかったです。
と思いながら同封用紙を読んでいると、どうも私は名古屋城宵まつりの表彰式に選ばれたようです。これは今から計画が必要なようです。それにしても私は何をもって表彰されるのでしょう。嬉しいやら恥ずかしいやら・・・今から緊張です。
名古屋城検定
来年も5月10日(日)の御殿の日に、今度は初級に加えて中級が実施される予定です。来年は中級に挑戦ですが、大勢の人が受験してくれると良いですね。
名古屋城検定「初級」第1回試験の実施結果について

福井城跡発掘展

福井市立郷土歴史博物館
今日は思いの外、良い天候になりました。が、風が涼しく過しやすい日でした。今回は福井市立郷土歴史博物館で開催中の「福井城跡発掘展」の観覧と、連動講演会「福井城跡の発掘成果から」の聴講で福井市にやってきました。
福井城跡発掘展
福井城城下町の発掘調査で発見された遺物は、当時の「ごみ」であると位置づけ、その遺物から当時の生活の様子を探るという展示でした。現在の物と比較展示され、非常にわかりやすくなっていました。
福井城跡発掘展
午後から行われた講演会では60名の定員のところ20名ほどの参加でしたが、発掘調査結果について非常に内容の深い話を聞く事ができました。ひとつ勉強したのは、城下町絵図の見方です。城下町絵図では町割りの家に当主の名前が書かれていますが、様々な方向で書かれています。気まぐれなものだとずっと思っていましたが、名前の上方向が表口があった方向だそうです。それにしても、金沢市では歴史講演会は満員なことも多いのですが、福井市ではあまり関心ないのでしょうか?折角の地元の歴史を学ぶ貴重な機会であるのに、少し残念な気持ちです。
今日は、講演会の前と後で福井市内を散々歩きました。最近は土曜日に出かけて日曜日に休むというパターンが何故か定着しています。このレポートは明日より数回に分けて書くことにします。