盆休みの本日(と言っても自分は休みはないですが・・・)、毎年恒例となった「かなざわまち博」の一般イベントとして1日限りの鶴丸倉庫一般公開です。
今年、金沢城公園は国史跡に、鶴丸倉庫は国重要文化財になりました。鶴丸倉庫として長年市民には親しまれてきましたが、登録名は「金沢城土蔵」です。藩政期の土蔵としては唯一の2階建て土蔵の登録文化財となりました。
中に入ると何も物がなくなりました。重要文化財登録以前は、物置として使われていたので、昨年案内していただいたときもまだ宣伝物が残っていましたが、何もなくなるとさすがに広い部屋ですね。
藩政期のものか幕末以後のものか不明な二階との昇降口を支える木組は、ここだけ他とは異なります。
始まって間もない時間だったこともあったのか、意外に関心ある人が少ないのか、思っていたよりも人はまばらでした。中を見学できるチャンスは数少ないのになあ。同じく国重要文化財の石川門櫓と三十間長屋は春と秋のイベント時に1日公開されているので、金沢城土蔵もこれから追加されると期待していますよ。
中は見れないけど、外はいつでも見ることができますよ。壁をよく見ると菱形の金具跡がくっきりと残る場所が多数あります。創建当時はあったのだろうけど、腐食して落ちたのか、戦時中の金属供給で取られたのかわかりませんが、これからの研究成果に期待です!
その後、河北門復元整備現場を見てきました。二の門石垣はすでに8段まで積み終わり、木工事を待つばかりです。
一の門も石垣の積みなおしが始まり、木工事の開始が楽しみなことです。
投稿者: Tadashi
七尾城跡の石垣修復 畠山家600年事業に間に合う
能登半島地震で崩壊した七尾市の国指定史跡・七尾城跡の石垣が11日までに修復され、約一年五カ月ぶりに姿を現した。地震後には豪雨で土砂崩れが発生するなど、一時は修復のめどが立たない状況まで追い込まれていたが、市が設立した同城跡石垣修復検討委員会などの努力により、予定通りに修復が終わった。
現在、石垣の修復が終わり、土砂崩れが発生した場所についても、植物の種子を吹き付けるなど最終的な修復作業が進められており、8月末には城跡全体の復旧が終わる見通し。(北國新聞2008年8月12日付記事)
七尾城まつりは9月13日(土)・14日(日)
金沢城 藩政末期の西内惣構
金沢市が主計町の緑水苑内で進めている西内惣構の発掘調査で4日までに、藩政末期の堀幅が現在の水路の2倍に相当する約4メートルだったことが分かった。明治初めに埋められたとみられる堀の内側の遺構が見つかり、堀幅が確かめられた。
金沢市は来年度以降の惣構の復元整備に向けて今年度から調査しており、苑内を流れ、堀の一部とされる母衣町川の水路の内側4ヵ所と外側1ヵ所で試堀を進めている。発掘場所は先月28日の水害で土砂が流れ込み、現在は土砂を除きながら調査している。(北國新聞2008年8月5日付記事)
日本100名城スタンプラリー 伊賀上野城
今回の旅行の最後は伊賀上野城です。14城目のスタンプです。
以前1度だけ訪れたことがありますが、今回も車で津市から上野市に入りました。上野市に通じる道は狭いところが多いのでやはり不便さは感じずにはおれませんが、前回城のみだったので、今回はたっぷりと城下を散策してきました。
スタンプの図柄は内堀越しに東側から高石垣と天守を望むものですが、実際の場所では高石垣沿いに松が生えており、こんなにきれいに天守を望むことはできません。飛べれば別でしょうけど。
スタンプはきれいに押せました。2年目にあたり、インクを補充したスタンプが配布されたと聞きますが、岡崎城のようにすでに擦れたスタンプもありますので、これはやはり来場者や告知ポスターの場所の問題なのでしょうね。
金沢城 惣構の升形復元へ
金沢市は来年度から、金沢城の西外惣構の防御施設だった「升形」の復元事業に乗り出す。同市本町一丁目で進める発掘調査で、升形の堀、石垣などを3日までに確認しており、城下町の歴史を伝える貴重な歴史遺産として後世に継承する。(北國新聞2008年8月4日付記事)
日本100名城スタンプラリー 松阪城
さて、今回の旅行では3城制覇が目標です。今日は松阪城です。
何かが残っている印象はあまりなかったので、期待せずに行ったのですが、行ってみてビックリしました。こんな立派な石垣が残っているとは!
場内隅々まわっていると2時間はゆうにかかりました。藤堂高虎の関係した城郭はやはり高石垣が魅力ですね。城下も雰囲気たっぷりですし、三重県は津城が有名ではありますが、見所は松阪城のほうが多いですね。100名城に選定されている理由が来てみてよくわかりました。松阪市はアピールが足りないですね、勿体ない。
スタンプの図柄は写真の場所です。木々を省略していますが・・・。ここは松阪城の表門入口です。石碑に向かって右側に歴史民俗資料館があり、松阪城の古写真などを見ることができます。
初の三河攻め
今年初めて中世城郭者研究セミナーに参加することにしたので、開催地である三重県津市に向かう前に、愛知県旧三河地域に初めて行きました。
最初の地は豊田市です。豊田市郷土資料館で城郭関係の発掘調査報告書を購入し、資料館を見学しました。
資料館入口には挙母城(桜城)の木造模型が飾られていました。豊田には挙母城と呼ばれた城が3つあったようです。ややこしい限りです。
そのひとつ桜城が近くにあるというので寄ってきました。NHKの裏の桜城址公園に隅櫓の櫓台石垣が残っていました。表通りからは見えないのが残念ですが、市街地にあって残っているのはすばらしいことです。公園になっているのですが、昼休みの公園には人は居ず、周辺を歩く人も素通りで、暑い日で仕方はないのかもしれませんが、憩いの場、とまではなっていないようです。
豊田をあとにして、岡崎に向かいます。距離はそれほどではなかったのですが、信号と渋滞で思ったより時間がかかりました。
公園駐車場から先に内堀沿いに石垣を見ていたら、堀にかかる赤い橋のところで、結婚式を迎える新郎新婦に出会いました。堀にかかる赤橋、絵になりますね。でも暑い日に大変です。お幸せに・・・
岡崎城は徳川家康の出世城ということであちこちに家康公のモニュメントが立っていました。
公園内には大手門も復元されています。元の場所とは違うものの、大通り沿いに建てられた門は岡崎城のまさにシンボル的存在です。
三河武士のやかた家康館前のからくり時計は30分ごとに家康公がおでましです。
さらにもう一城と、西尾へ向かいました。少々道に迷ってしまいましたが、なんとか資料館の閉館前に到着しました。迷ってしまったのは案内看板が少なかったからで、西尾城は重点観光地ではないようですね。
城内には、門と丑寅櫓が再建されていました。残念ながら丑寅櫓の入場時間は過ぎていましたが、西尾市資料館のなかで西尾城の遺物を見たあと、関係資料を購入し、本丸跡や周辺をしばし散策しました。
今日は暑い日でした。明日のセミナーは楽しみです。
日本100名城スタンプラリー 岡崎城
随分と間が空いてしまいましたが、12城目のスタンプです。100名城スタンプラリーも2年目に入って継続が決まったものの、城によって対応がまちまちで、春に名古屋城に行ったときはスタンプの場所が結局わかりませんでした。
今回は明日の中世城郭研究者セミナーが三重県津市で開催されるために、少しだけ遠回りして愛知県のほうにやってきました。
初めて来ました岡崎城ですが、天守を復した博物館の前には大きな松が生えており、いいアングルで写真が撮れません・・・
岡崎城の紹介写真はこの天守写真がほとんどなので、それ以外は何もないのかと思っていましたが、最近大手門も復元され、城内のあちこちには石垣も残っており、意外に楽しめます。
このスタンプのアングルは正面入り口ではないですね。どの向きでしょうか?
金沢城の遺構 尾崎神社・二の丸御殿御門
昨日はぐるりと金沢城外をまわって来ました。先日訪れた長田神社のところで触れました尾崎神社に行きました。
尾崎神社は金沢城内にあった東照宮の本殿・拝殿を移築したものです。現在本殿は修理中で見えません。といっても、普段も入れないので同じです。最近は風雨から守るため、拝殿も外囲いがかけられていましたが、春に外されてそのままです。
先日の長田神社では色鮮やかな懸魚や蛙股を見ましたが、さすがに長年風雨にさらされた尾崎神社の懸魚や蛙股の色は落ちてしまっています。建物は国重要文化財なので、簡単に塗り直すわけにはいかないでしょうけど。
次は、尾崎神社の裏門です。この門は二の丸御殿の門のひとつだといわれていて、同種の門としては唯一の遺構です。
これら2つは金沢城に近いので、金沢城に来たときは忘れずにどうぞ。
旧石川県庁北側発掘現場 金沢城堂形跡
今日は週間天気予報ではずっと雨だったのに、今年一番の暑さとなりました。まちしるべの件で金沢市役所に寄ったついでに、発掘現場を覗いてみました。ここは市役所の向かい、旧石川県庁で元は金沢城の堂形(最初のころは的場、のちに米蔵があった場所)です。
週末は作業をしておらず、雨避けシートがかけられていて作業の様子をみることができませんでしたが、今日は良い天気で作業もしていました。遠目には何か出ているかどうかわかりませんね。
着いたのはちょうど昼前で、作業員の方は昼食に出かけていきましたが、しばらく見ていると、数人残っていた方で空中写真を撮るようでした。
初めて間近で撮影する様子を見ました。
先程とは反対側にまわってきました。こちらは何か石組み列が見えますが、いつの時代のものかわかりません。今のところ現場説明会の案内などはないので、特に目覚しい発掘成果があったというわけではないのかもしれません。