春に一報をお伝えしていた「七尾城検定」であるが、主催の七尾市の広報はいまいち熱が入っていない。
本日わかった正式名は「ふるさと七尾学検定」である。第一回となる今年のテーマが「能登畠山氏・七尾城編」ということのようで、つまり今年1回きりということなのだ。
概要をお伝えしましょう!
検定日時 10月19日(日) 10:00~
検定場所 七尾市役所
検定方式 4択マークシートで50問中40問正解で合格
受験料 無料
申込受付期間 9月8日(月)~9月30日(火)
申込方法 往復ハガキで、七尾城検定申込と明記し、郵便番号、住所、氏名、連絡先を記入の上、郵送または持参(電話不可)
宛先 能登畠山家創立六〇〇年事業実行委員会事務局(七尾市教育委員会文化財課)
〒926-8611 石川県七尾市袖ヶ江町イ部25番地
TEL.0767-53-8437
さて、今回の七尾城検定は能登畠山家創立600年を祝う記念行事のひとつです。こちらも今月、来月といろいろと予定しているので紹介しましょう。
能登の史跡展
10月31日まで 能登国分寺展示館
「七尾城写真展」
9月30日まで パトリア
七尾市の発掘速報展
11月30日まで 七尾市文化財資料展示館(旧七商武道館)
第67回七尾城まつり
9月13日 17:00から 前夜祭
9月14日 10:00から 本祭 七尾城跡周辺
第13回全国詩吟大会
9月14日 9:30から 七尾サンライフプラザ
親子名城見学会
9月14日 10:00から 七尾城跡(本丸周辺)
能登畠山氏慰霊法要
9月14日 10:00から 霊泉寺
「源氏物語千年紀」特別公演
9月19日 14:30から 能登演劇堂
畠山サミット
9月19日 18:00から 和倉温泉「加賀屋」
能登畠山氏と能登の美術
9月20日から10月26日 七尾美術館
能登畠山氏と文芸の世界展
9月20日から10月26日 七尾城史資料館
「能登畠山氏と文芸の世界展」記念講演・シンポジウム
10月5日 14:00から 七尾サンライフプラザ
「中世都市と職人」シンポジウム
10月12日 10:00から 七尾サンライフプラザ
「能登畠山展」見学バスツアー
10月13日
七尾城検定
10月19日 10:00から 七尾市役所
市民劇団「N」「しんしゃく源氏物語」公演
10月18日 18:30から
10月19日 13:30から 能登演劇堂
投稿者: Tadashi
第2回名古屋城検定 今度はチームで挑戦できる?
今年の5月に初めて開催された日本初の城郭検定 「名古屋城検定」 の第2回検定日が決定した。
12月7日(日)の午後2時からで、前回の土曜日午前中という明らかに遠方からの受験者には厳しい時間帯から、日曜日の午後という遠方からの受験にも配慮された時間帯で開催される。
今回も初級のみの開催であるが、「チーム参加」という区分が増えている。3人で問題をやるのか?と思ったら、どうもチームの熱狂度やユニーク度を競うコンテストをやるようだ。ということは3人は別々に問題を解くことになるのだろう。しかし、チーム参加の場合は3人で9,000円、さらにテキスト付!ということで試験中に勉強できる!?・・・・テキストを持っている人は安くなるのかな?少々の疑問はあるが、個人参加とは別の参加賞をもらえるかもしれない。
10月、11月と検定に向けて公開講座も開催される。遠方の方には無理であるが、近郊の興味ある方は名古屋城について一層の理解が深まる機会である。
公開講座案内(Wordファイル)
名古屋城本丸御殿の復興募金はすでに多額の募金額となっていると聞く。完成に向けて興味はますます大きくなるであろうから、今から地道に勉強して本丸御殿完成を迎えることができれば、見学するにしても何か違う見方ができようものである。
春の検定は時間が合わなかった皆様、名古屋観光を兼ねて、名古屋城検定受験はいかがですか?
検定申込期間:平成20年10月11日から11月28日まで
お問い合せ先:名古屋城検定実行委員会事務局 TEL.052-961-7580
城下町金沢の文化的遺産群と文化的景観セミナー 見えてきた「塩硝の道」をたどる
北國総合研究所が主催する3回シリーズ「城下町金沢の文化的遺産群と文化的景観セミナー」の第3回に参加してきました。天候の悪い日が続く中、今日も天候が非常に心配でしたが、なんとか夕方まで持ちました。募集人数40人のところ、大幅に増員して80名で2台の観光バスで目的地に向かいました。
こういうセミナーの良いところは普段見れないものが見れたり、団体向けに解説がつくところですね。参加費も昼食、拝観料込みで3,000円という値頃感があります。
本日最初の目的地は、昨年発掘調査で話題になった土清水塩硝蔵跡です。「土清水」なんて読むのかな?と思っていましたが、「つっしょうず」と読むようです。しかし、塩硝蔵跡がある土地は現在涌波と一部大桑です。おそらく出入口が土清水にあったから、というのが名の由来のようです。
発掘担当であった金沢市埋蔵文化財センターの担当者から脇の辰巳用水沿いを歩きながら説明を聞きました。意外にまだまだ藩政期の跡が残っているのですね。土清水から入ってくる道跡、道跡から辰巳用水を渡る橋のあった場所の石垣、外周の外堀跡など、草が枯れてきた頃にもう一度確認しに行きたいです。
本年度も発掘調査が来月行われるということで、場所は昨年の発掘場所の隣です。楽しみです。
バスは塩硝蔵跡をあとにして高速で五箇山に向かいました。到着したのは、国重要文化財岩瀬家です。
中で当主に岩瀬家の由来と塩硝の道についての説明を聞きました。
岩瀬家の裏に小屋があったので何だろうか?と思い当主にお聞きしたところ、発電所だということでした。自家発電用に建てられたものだそうですが、水力発電所は山奥に造られることから、平野部よりも早く電気が通るようになり、大正時代には使われなくなったそうです。なかなか貴重なものですが、中は公開していないようです。
昼食をとったあと、合掌造り集落のひとつ、菅沼集落に行きました。集落内の田んぼが稲穂を垂れ、良い景観でした。
合掌造りの屋根は三重構造になっていて、外側から萱(かや)、麻(前回分)、麻(今回分)となります。村近くの山には今でも専用の萱畑があり、毎年育てて屋根葺き替えの準備をするそうです。萱の内側に麻を敷くのは、萱のボロボロと落ちてくる端を防ぐ役割だそうです。
集落内の塩硝の館では、塩硝の作り方を学ぶことができます。右のパネルにあるように囲炉裏の下を掘って、干し草と蚕糞を入れ、囲炉裏の熱で一冬発酵させるそうです。五年目から塩硝の材料として使えるという気の長い作業です。
最後に、合掌造りの集落、相倉集落に行きました。ここまで時折日も差す暑い日となりましたが、一気に天候も下り坂で小雨が降ってきました。集落内の民族館で説明を聞いていたら、集落内をゆっくりと巡る時間がありませんでした。
今日は塩硝の道について勉強になりました。この企画は毎年大盛況のようですが、世界遺産になれなくても郷土の歴史を知るために続けてほしいです。
直江兼続の兜 金沢にあった
来年のNHK大河ドラマ「天地人(てんちじん)」の主人公で上杉家に仕えた名臣、直江兼続ゆかりの兜が加賀八家の1つ本多家の初代、政重が兼続に請われて婿入りした際に、結納の使者に返礼として贈ったものとみられ、19日から金沢市の藩老本多蔵品館で初公開される。(北國新聞2008年9月4日付記事)
藩老本多蔵品館
シンポジウム 鮫ヶ尾城跡と直江兼続の生きた時代
夏休み最終日の日曜日、シンポジウムに参加するために新潟県妙高市にやってきました。太平洋側や東方地方は悪天候だったみたいけど、北陸地方は青空の広がる最高の最終日でした。
シンポジウムは午後なので、その前に舞台となった鮫ヶ尾城へ登りました。斐太史跡公園として整備されている麓から徒歩20分ほどで本丸跡に到着しましたが、前日の雨のため滑りやすくなっていました。この経路は最も利用されるものですが、尾根沿いを行かないため見どころは本丸付近に絞られ、二の郭と米蔵跡と間の堀切、切岸が見どころでしょうか。晴天に恵まれ、本丸からの頚城平野の眺望は最高でした。
シンポジウム当日ということもあり、帰り道では数組の方とすれ違いました。山城では珍しいことです。
予定通り1時間ほどで戻ってこれたので、次に鳥坂(とっさか)城跡へ向かいました。新潟県には下越地方にも同名の城跡があり、新潟県の城跡紹介ではほとんどそちらが紹介されています。この鳥坂城は春日山城の支城のひとつです。
こちらは高床山森林公園のキャンプ場から登ることができ、本丸まで20分ほどです。こちらは鮫ヶ尾城以上にビューポイントがたくさんあり、特に本丸からの眺望は鮫ヶ尾城以上です。本来は頚城平野側を護衛するものではなく、反対側の南側を監視する城なのですが、そちら側への眺望はほとんどありませんでした。
眺望もさることながら、それ以上にワクワクしたのは本丸に連なる郭を遮断する堀切のすばらしさです。梯子をかけないと登れない深い堀切は、これぞ山城というすばらしさで、この城のほうが鮫ヶ尾城よりも国史跡にふさわしい?とさえ思ってしまいました。写真ではうまく伝わらないのが残念ですが、ぜひ自分の目で確かめてください。
まあ構造はすごくても歴史的価値は当然鮫ヶ尾城に及びませんよ。
さて、本日の目的はシンポジウムだったわけですが、講演内容は鮫ヶ尾城が歴史舞台に登場する「御館の乱」に関係する武田氏の動向、北条氏の動向、そして新潟県の城館における鮫ヶ尾城の評価という点に関するものでした。中でも、笹本氏による「ふるさと学習がふるさと愛を育てる」という主張はとても共鳴を感じました。(本題とはずれてますが・・・)
伊藤氏によると新潟県は、大分県や徳島県と同様に城郭があまり発達しなかった地域にあたるようですが、それは新潟では上杉謙信が、大分では大友宗麟が、徳島では三好長慶が、自国では戦争を行わず、他国で戦争と略奪をおこなったことに起因するそうです。城館の分布からその地方の中世の生活を推測するという視点は斬新でとても興味深いものでした。
北国街道 津幡町指定文化財に
加賀藩の参勤交代にも使われた「北国街道」の津幡町倶利伽羅峠付近が来月に町の文化財指定を受ける。石川県教育委員会によると、同街道の文化財指定は県内初。街道の大部分は明治以降、路面の舗装や拡幅で形状が変わり果てており、同町教育委員会は往時の面影を残す一帯が学術的価値が極めて高いと判断、町指定で保存を図る。開発を免れた「道路遺産」とも言え、将来的に県指定へ格上げされる可能性もある。(北國新聞2008年8月30日付記事)
金沢城河北門復元 一の門石垣復元
ひさしぶりに金沢に出たので金沢城の様子を見てきました。
旧石川県警察本部のあった緑地では、いもり堀の復元整備の範囲確認をかねて発掘調査が行われていました。ブルーシートが被っていてどの程度の成果が出ているのかわからなかったが、何か成果があると良いですね。
さて、二の門石垣がすべて積み終わった河北門復元現場では、最上段に水をかけていましたが、木工事の準備が着々と進められているようです。よく見ると、石垣最上段隅石には金属の部品が取り付けられているのが見えます。
積み直しのため一度解体された一の門石垣では積み直しが進められていました。二の門に隣接する東側石垣はすでに積み直しが終了し、ニラミ櫓台側の石垣の復元の真っ最中でした。
ちょうど最後の石垣の石をはめるところだったので、しばし見学していましたが、どうも最後のピースはうまくはまらなかったようで、再度外されてちょうど昼食時となって休憩となりました。石垣を積むのも簡単ではないですね。
京都宇治川右岸 太閤堤から庭園跡
京都府宇治市の宇治川右岸に16世紀末、豊臣秀吉が前田利家らに造らせた「太閤堤」で炉や池などの庭園跡が見つかり、市歴史資料館が21日発表した。太閤堤は伏見城築城に伴う宇治川の護岸工事とされていたが、秀吉が治水目的以外にも、趣味の茶の湯で使った可能性がある。資料館の吉水利明館長は「宇治川から山河の風景を眺めながら、茶の湯を楽しんだのかもしれない」と話している。(北國新聞2008年8月22日付記事)
福井恐竜博物館特別展 絶滅期の恐竜と新時代の生き物たち
盆休みの週末日曜日、晴天の中、福井恐竜博物館にやってきた。盆休み最終日と家族の日で通常展が無料ということもあってか、家族連れで一杯の博物館。最近こんな盛況なときに来たことはなかったので少しびっくり!!
目的は、毎年恒例の夏の特別展。今年のテーマは「絶滅期の恐竜と新時代の生き物たち」ということで、隕石墜落による恐竜絶滅の地層「K/T層」をまたぐ生物化石に関する展示である。職員による解説イベントに参加したのであるが、7月と8月と9月に1回ずつ、7月は別の会のバス旅行日に重なるため参加できず、以前9月に参加したときは終盤でガイドブックが売り切れ寸前だったため、今年は余裕をもって8月の回に参加してみた。
K/T層を境にして恐竜や翼竜、首長竜(これらは恐竜とは別種らしいです)は絶滅したのだが、一部は鳥として存続し、哺乳類の天下にはまだまだ年月が必要であったという説明を聞きました。
そういえばK/T層直前の白亜紀後期の化石を博物館で見ることはほとんどないと思いませんか?
理由は、K/T層前後の化石は展示品としての価値よりも、研究対象としての価値が勝るから、らしいです。
近年NHKなどでも哺乳類受難の世紀として、飛べない大型の鳥の化石も展示されており、迫力ありましたね。興味ある方はぜひ自分の目で確かめてください。
イベントの前に通常展を見ましたが、開館当時は1地点からの固定撮りしか許されていなかった館内は、どこでもフラッシュ、三脚なしであれば撮影可能となりました。
今日の買い物は、復元モデルシリーズ第2弾「フクイサウルス」です。今年発売になったものですが、値上げラッシュの中、本モデルも第1弾「フクイラプトル」ともに1体1,200円となりました。材料費の高騰よりも近年の中国の人件費向上のほうが影響あるのかもしれません。そのうち、安く精巧なモデルを入手するのは難しい世の中になるのかもしれません。
金沢最古の大野庄用水 護岸を石積みに
金沢市は10月から大野庄用水の芳斉地区で護岸整備に着手する。コンクリート護岸を石積み護岸に改修し、一部に残る旧来の石積み護岸の部分と川底の補修工事を行う。用水に架かる三社橋の高欄もコンクリート製から木製に付け替え、金沢最古の用水にふさわしい情景をつくり出す。来年3月の整備完了を目指す。(北國新聞2008年8月16日付記事)
大野庄用水は、天正年間に完成した延長約10.2キロの金沢最古の用水。