連休中日である今日は、先週に引き続き七尾で開催されるシンポジウムに行きました。
今年は能登畠山家創立600年事業として様々なイベントが開催されています。先週は冷泉家に関する一般向けシンポジウムで、非常に大勢の参加者が来ていましたが、今日は中世の都市に関する学術シンポジムということで、部屋も小規模になり、参加人数も・・・・少ない。予想以上に少ない。
全国の中世都市の状況を国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の小野正敏氏より発表があり、続けて七尾、堺、豊後府内、博多と最新の発掘調査の状況について発表がありました。最後は再び小野氏によって総括されました。
各地の発掘調査によると15世紀半ばまでに成立していた都市や城下町では職人(商人)はまばらに存在し、固まって○○町などを形成することはなかったようです。また、職人は自分で作った物を自分で売っていたので商品でもあったという、職域が未分化な世界でありました。話の中では、中世の物価の話があり、とても興味深く聞きました。たとえば、発掘調査では大量に発見される「かわらけ」ですが、当時の物価で1文、大工の日当が100文といいますから、あまり高くないですね。発掘調査では「こんなに大量に見つかりました!」って物珍しそうに発表されますが、今度から見方が変わりそうです。
ちなみに、茶を飲む天目茶碗は8000文、茶の湯釜が2000文といいますから、高いものは高いですね。
シンポジウム終了後、七尾美術館で開催中の「能登畠山氏と能登の美術」展を見てきました。
投稿者: Tadashi
記念講演・シンポジウム 「能登畠山氏と文芸の世界」
今日は能登畠山家創立600年事業の記念講演・シンポジウムとして「能登畠山氏と文芸の世界」が七尾市サンライフプラザで開催されました。
講演会は午後からだったので、その前に連動して開催中の特別展「能登畠山氏と文芸の世界」を見に七尾城史資料館へ行きました。関係展示はほんの数点でしたが、ここ数年の城下町遺跡の遺物展示が増えていました。
講演会は、「冷泉家の歴史の文化」と題して、冷泉家25代当主の冷泉為人氏による、冷泉家の歴史と現状に関する内容でした。
シンポジウムは和歌、連歌、猿楽という文化の視点から能登における畠山氏の役割に関するものでした。
今まであまり公家には関心がなかったので知らないことばかりでしたが、冷泉家は私が住む津幡町と非常に関係が深いのです。津幡には、能登畠山氏と関係が深く七尾を3回も訪れた6代為広の顕彰碑が津幡小学校にあり、その孫の娘が嫁に来た鳥越弘願寺も津幡川沿いにあります。知らない世界はなかなか興味深い世界でした。
月見光路
金沢城に隣接する広坂緑地などでは、今日から金沢工大生が竹や紙で作った明かりのオブジェが夜を彩る「月見光路」イベントが始まりました。
明るいうちに撮った写真と暗くなってからのライトアップ写真を比べてご覧ください。明かりのオブジェの向こうにライトアップされた本丸高石垣が幻想的です。
他に、四高記念館や21世紀美術館の前も明かりのオブジェで飾られ、建物のライトアップとともに非常にきれいでした。木曜日の今日は初日ということもあってか、人もまばらでした。週末の明日は大勢の人出でしょうね。
金沢城のライトアップは通常のライトアップと変わりませんでしたが、橋爪門前の堀は日中に清掃したおかげで水面にきれいに映り込んでいました。
金沢城河北門復元のいま
秋晴れのなか、今日の夜からライトアップイベントが始まるということで、朝その準備の様子と河北門復元の現状を確認するために、金沢城へ赴きました。
金沢城二の門の囲いにはかなり屋根が掛けられてきました。
二の門入口の木工事は少し進んだようですが・・・
今のメイン工事は一の門横のニラミ台櫓石垣ですね。急ピッチで石垣が積まれ、行く度に段数が高くなります。
また、石川門二の門はすっかりと足場に囲まれていました。
今日は城内で珍しい光景を見ることができました。これから始まる本格的な行楽シーズンに向けて、城内の堀の清掃作業と石垣の除草作業を見ることができました。ロープ1本で石垣を下りながら草を取る作業は見ていても大変そうでした。滑るので数日晴れた日でないとできないのでしょうね。
日本100名城スタンプラリー 名古屋城
15個目のスタンプは名古屋城です。イベント参加のために週末名古屋市へ来ましたが、春の名古屋城検定のときは、時間が足りなかったこともあって閉園したあとにスタンプのことに気づきもらえませんでした。
前回正門ではよくわからなかったこともあり、今回は東門で探します。少々分かりにくい掲示ではありましたが、切符切場(改札)に案内が貼ってありましたので、入場の前にスタンプを押しました。
スタンプの図柄は小天守を左にして見たときの大天守です。ちょうど本丸に入って天守内に入る方向からの絵ですが、実際は大天守の右下にはエレベータ施設が設置されています。図柄ではその部分には木々が書かれて、あたかも隠れているようになっています。
特別展 「失われた国宝 本丸御殿」
今日はイベント「『金城温古録』の歩き方」の2日目です。明日から天候が崩れるという予報なので、曇りがちでしたが、外を歩き回るにはちょうどよかったです。
イベントは10時からだったので、朝早く出かけて、名古屋城周辺で前回いけなかった白壁地区を歩きました。観光地図では近代遺物が中心で、空襲を受けた市内では無理もないかなと思っていましたが、現地まで行くと、長屋門の案内があり、市内に唯一残るという長屋門を見ることができました。名古屋城の近くにあるのに、同時代の遺物を紹介しないとは勿体ないですね。(話によると、現在観光資源を見直しをしている最中らしいです)
10時前に現地に到着すると昨日よりも多くの人が集まっています。講演より、今日のような案内のほうが人気あるようですね。
城内10か所ぐらい立ち止まって説明を受けました。やはりこうした説明を受けながら見ると理解が深まります。
特別展 「失われた国宝 本丸御殿」の展示も古写真や地図を中心に非常に楽しめる展示でした。今回は展示物の図録も売っていたので、迷わず購入してきました。
本丸跡は囲いをおおわれていて復元の準備が着々と進んでいましたが、まだ何も建っていませんでした。おみあげに、春に購入した本丸御殿復元グッズのキャラメルを買おうと思ったのですが、どこにも販売されていませんでした。人気なかったのかな?おいしかったのに・・・
名古屋城を記録せよ!名古屋城百科「金城温古録」の誕生
今日と明日は名古屋のイベント「『金城温古録』の歩き方」に参加します。今日は名古屋市博物館の企画展「名古屋城を記録せよ!名古屋城百科『金城温古録』の誕生」の解説講座、明日は名古屋城の散策と特別展「失われた国宝 名古屋城本丸御殿」に参加します。2010年の名古屋開府400年に向けて、名古屋城本丸御殿復元や名古屋城検定など、城好きには嬉しい企画が満載の名古屋ですね。
午後からということで少し早めに着いたので、常設展とちょうど開催中であった古書市を見ました。博物館の一角で開催されていた古書市はスペースも狭く、蔵書も少なめでしたが、歴史ものや古地図、和書などを中心に販売されており、思いがけない掘り出し物が見つかりました。
解説講座は展示室ではなく、展示説明室で行われました。解説を聞いた後に展示を見学しましたが、着目点がはっきりしたあとでとても楽しめました。
注目は何と言っても5メートル四方もある「元禄10年御城絵図」です。最近名古屋城関係の書籍にはよく掲載される古絵図なんですが、大きすぎてA4程度に縮小された写真では何が書いてあるのかわかりません。現物は逢左文庫の所蔵ですが、大きすぎて今まで一般公開されたことがありません。門外不出の大絵図を見る最後のチャンス!?かもしれませんよ。
女性には「御城御庭絵図」がおすすめです。二の丸庭園の四季の花木がすべて描かれているのですが、これも現物はかなりの大きさで、何とも華やかな絵図です。
他にもたくさんの絵図や指図の展示があり、さらに、「名古屋城から富士山が見えるのか?」という検証コーナーもあり、まさに名古屋城尽くしの楽しい企画展です。入場料が300円、図録が700円、図録を買っても1000円で楽しめますので、お近くの方も、遠方の方も興味ある方はぜひ10月5日までにぜひご自身の目で確認してください。
それで名古屋城から富士山は見えるの?ってことですが、これも会場で確かめてくださいね!
名古屋駅に着いたときに観光案内所で市内の地図ももらってきました。最近は地図を手にするとまず城跡を探します。観光マップであれば1つぐらい城跡がかいてあることが多いですからね。名古屋城が大きく紹介されているので、他にないかなと思いましたが、東山周辺地図に「城山公園末森城跡」と書かれています。
展示会のあと、早速現地(城山八幡宮)に向かいました。市街地にこんもりとした森の入口に鳥居が見えます。ここが入口かと思い入りましたが、あとで違う事がわかりました。
さて、上り坂をのぼっていくと、道の左右がともに大きく窪み、明らかな空堀の跡だとわかります。ここですでにすごい城跡の予感がひしひしと・・・
本殿の建つ平地は本丸跡かと思いましたが・・・
本殿のまわりにも深い空堀がめぐります。
戻り道で境内の地図を発見。どうもここの平地が本丸跡のようです。近くに石碑もあります。空堀は二重にめぐっています。最初に見た両側の堀は内堀と外堀だったのです!すばらしいです。
石碑も向こうに見えるのは二の丸跡です。
二の丸跡には現在昭和塾堂が建っており、愛知学院大学に貸与されているそうです。
本丸跡から階段を下りて赤い橋を渡ります。鳥居の高さを見るとかなりの高位差があることがわかります。
この赤い橋も実は空堀にかかっているのです。
実に見どころいっぱいの末森城でしたが、一の鳥居の前に教育委員会の立て札がありましたので最後に確認です。末森城は織田信長の父、信秀が古渡城(春の名古屋城検定のあと見に行きました)から移った場所で、その死後、三男信行が城主になった城です。柴田勝家も信行方で嫡子信長と争った話は有名ですが、信行が信長の病気見舞いで騙し討ちされたあと廃城になりました。
平城の名古屋城の近くで、こんな良好な平山城を見ることができるとは・・・満足な1日でした。
河北門復元整備 木工事始まる
市内の都市銀行に行くついでに・・・というより口実に、朝の金沢城散策に出かけました。
まずは今月完成した尾山神社前の開渠化された用水です。現れた石積みはかなり立派なものです。
説明板も立てられたのですが、これが今地元でちょっとした話題です。「辰巳用水の開渠化」という見出しが注文されているのですが、今までここは西内惣構堀の始点だと教えられてきたので、辰巳用水という認識があまりないのです。
歴史的な事実としては、空堀だった西内惣構堀に辰巳用水から水がひかれて水堀化された経緯があり、現在の管理区分としては辰巳用水となっているので、間違いはないのですが、市民から異論がでているそうです。近々建て替える可能性も示唆されていますから、なくならないうちに一度ご覧あれ!
金沢城公園では河北門復元整備で、17日ついに木工事が始まりました。年末から来年一月には二の門の上棟式が予定されているということで楽しみです。
雪や雨に備えて、上屋をかぶせるために、大きな足場が組まれています。今日も次々と鉄骨がクレーンに吊られていました。
17日に工事関係者が出席して行われた「立柱式」に続いて立てられたという「鏡柱」2本と梁となる「冠木」はここ数日の悪天候でブルーシートで覆われていました。この鏡柱、高さ2.29メートル、重さ約1.2トンもあるそうです。
一の門は石垣の積み直しが終了し、隣接するニラミ櫓台の石垣を積んでいました。ニラミ櫓台は一月前は根石のみでしたが、すでに高いところは3段目が積まれて、非常に急ピッチに積まれています。これはあっという間に完成してしまいそうです。
最後は戦後以来の金沢城のシンボル的存在の石川門修復の現状です。今までは北側の太鼓塀が中心でしたが、今月16日、ついに櫓門の修理に着手しました。工事期間は2010年3月までで、漆喰壁の塗り直しや鉛瓦の取り換えが行われます。現在は二の門の三の丸側全面に足場が組まれていました。
二の門の一の門側にも足場を組む準備が着々と進められていました。
会津・鶴ケ城 ふるさと納税募り幕末の「赤瓦」復元
戊辰戦争から140年を迎える福島県会津若松市は19日、同市のシンボルである鶴ケ城(若松城)を、現在の黒い瓦から、幕末当時の赤瓦にふき替えるなどの復元整備を行い、その財源として、ふるさと納税を募ると発表した。赤瓦の城は全国的にも珍しく、全国に散り散りになった会津ゆかりの人々に訴えるほか、歴史や城ファンの支援を広く募りたい考え。同市では「敵味方の区別なく、全国の方から応援をいただきたい」と話している。
鶴ケ城は、年間63万人が天守閣に登る同市の観光のシンボル。天守閣は戊辰戦争後にいったん取り壊されたが、1934(昭和9)年に国の史跡に指定され、第2次大戦後の1965年に同市が再建した。その後、96年度に史跡を総合的に整備する計画をたて、入場料などを基金として積み立ててきたが、3.5億円となったのを機に、大規模整備に取りかかることにした。
天守閣再建から50周年を迎える7年後を目指し、秘密の会議を行っていたとされる三層の「御三階(おさんかい)」の復元や、天守閣を本来の赤瓦にふきかえ、老朽化した壁も塗り替える。文献や発掘調査から、鶴ケ城は1648年に、黒から赤瓦にふき替えられ、敗戦前の「往時」には赤瓦だったことが分かっているという。
また、合わせて財源に、同市へのふるさと納税をあてることも決めた。調査や設計も今後のため、総事業費はまだ未定だが、一般のまちづくりとは別に「鶴ケ城整備」の項目を設け、賛同者を募る。1万円以上の寄付をした個人には、1年間、天守閣への入場(大人1回400円)がタダになる「鶴ケ城通行手形」を贈る。菅家一郎市長は「ただ寄付を集めるのではなく、『鶴ケ城に』と使途をはっきりさせて応援団を募りたい」と話した。(2008年9月20日付朝日新聞)
会津若松市記者発表 天守閣再建50周年に向けた史跡若松城跡整備について
七尾城まつり・・・・
台風の接近でコロコロと変わる天気予報でしたが、今年の七尾城まつりは晴天となりました。ウォークラリーに参加しようと七尾城へ向かいましたが、上り旗はたくさん出迎えてくれますが、駐車場などの誘導案内がまったく見当たりません。時間もギリギリだったので今年は諦めました。
でも、せっかく七尾に来たので関連イベントめぐりをすることにしました。まずは、七尾駅前のパトリア5Fで開催中の「城山の四季展」を見に行きました。廊下に写真が飾られていました。ああ、これだけかって感じなのですが、館内の本屋には今年春発刊された「城山の四季」という写真集が販売されており、連動企画だったみたいです。
七尾城の位置というポスターに描かれていた七尾城のイラストです。
七尾城へは行けなかったが、ここまで来たので近くの小丸山城に寄りました。まつりでも何でもない時に来るのは久しぶりです。人もまばらで良い写真も撮れました。
パトリアで案内を見たので七尾サンライフプラザで開催中の「日本の名城100選」を見に来ました。
ただの写真展でした。
隣接する矢田郷公民館の掲示板で今日の七尾城まつりのポスターを発見しました。ああここにスケジュールが書いてあるのね。今年は畠山家入府600年記念と重なって一大イベントであるはずなのに、インターネットでは当日のスケジュールを知るすべがなく、ポスターに書いてあるなら、せめてポスターを七尾市のホームページにでも載せてほしかった。これでは一公民館行事と変わらないです。
最後に、国分町の能登国分寺跡に行きました。何度か来ましたが、ゆっくりと散策するのは初めてです。広い立派な史跡公園です。
回廊内にある櫓跡の中央部に穴のあいた石があります。地元でエボ石と呼ばれた石は、柱跡であったのだが、溜まった水で簡単にイボがとれたという伝承から元々の場所に残り、能登国分寺跡の発掘の契機となりました。
敷地内に建っている展示室では「能登の史跡」という特別展が開催中!ということだったのですが、部屋の片隅の壁にパネルが貼られているだけ。それもほとんどが販売中の「いしかわの遺跡」のコピーとは・・・。まあパンフレットもらったから良しとしよう。常設の能登国分寺跡の展示は思いの他見ごたえありますよ。