山口県岩国市の岩国城です。といってもメインは手前の錦帯橋ですが・・・。19個目になります。
図柄は錦帯橋の向こうの前に見える頂上の岩国城です。
橋と城の比率がスタンプと実物では随分違います。下の2枚の写真を合わせたような配置でしょうか?小さな写真ではどこに城があるのかも分からないほどです。城山の左のほうにわずかに突き出ているように見えるのが岩国城です。
私の高望遠で撮影した頂上の岩国城ですが、それでも手前に描かれた土塀は確認できません。一昔に比べると土塀手前の木々が生長してきているのでしょうね。
錦帯橋越しの岩国城は、岩国城の紹介写真としては頻繁にみる構図なのですが、私の実際見てみたい城風景のトップ3とも言えるものでした。実際に見ることができて感動しました。
投稿者: Tadashi
日本100名城スタンプラリー 広島城
広島城、18個目のスタンプになります。
図柄の方向は下の写真の方角でほぼ間違いなさそうです。下の写真は内堀西側から撮影したものですが、天守のみというのは、立派な二ノ丸建物群(門や櫓)が復元されているだけに少し残念ではありますね。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in岩国
錦帯橋の向こうの頂上に見える岩国城、来たかった城のある風景のひとつでした。念願かなって駐車場となっている河原からまずは1枚。左の頂上に岩国城があるのですが、小さな写真にすると・・・
望遠で撮影した天守です。これが頂上にあるんですが、わかりますか?
そのまま河原を歩いて、近くから錦帯橋を何枚も撮りました。橋脚の石組みと橋桁の裏はこんな感じです。
頂上までは徒歩でも行けるようですが(行く人いるのかな?)、普通はロープウェーで近くまで登ります。
同じく頂上に天守のある岐阜城は実際に攻められた城ですから、攻めている気分で実際に登る人もいるでしょうが、ここは実戦なかったのでは。
天守のある本丸には旧天守の石垣が残っています。
博物館になっている天守に入り、最上階の展望台から見える風景はやはり絶景です。眼下の錦帯橋も小さいですね。
望遠で撮るとこんな感じです。
山麓には元々普段生活の営まれた館や武家屋敷があったものと思われますが、現在その一角にここを納めた吉川氏一族の墓地があります。一族の墓地というと、歴代藩主、正室、ここまではよくありますが、ここでは、側室、夭折した子供たちなど予想を超える墓が所狭しと立ち並んでいます。
一番高いところに初代吉川広家公の墓があります。歩き回ったあとに訪れるには少々体力的に厳しい場所にあります。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in大竹
広島市から岩国市へ向かう途中に、地図を見ると福島正則の築城した亀居城が書かれていて、麓から20分ぐらいということでちょっと寄りました。しかし、ちょっと寄ったつもりが、見どころ盛りだくさんな城跡でした。
麓の大型ショッピングセンター駐車場から見える正面の山が亀居城跡のある亀居公園です。右前方の交差点が入口です。
交差点には亀居城跡入口の石碑とともに、由来を書いた石碑と公園までの案内板です。由来によると、亀居城は福島正則が慶長八年(1603)から五年をかけて築城し、慶長十六年(1611)に幕府の命により破却されたようです。実質3年ほどしか機能しなかった城ということになりますか。
とてもとても急な上り坂を上って行くと、立派な石垣が迎えてくれます。城内には石垣が豊富に残り、予想以上の満足感を味わえました。
天守台には上れませんが、そこからの眺めはとても良かったです。瀬戸内海と向こうに大竹市の工場群が見えますが、すっきりとは見えず残念でした。
天守台を下から見ると、かなりの高さであることがわかります。ここまでの石垣が残っているのにあまり注目されていないのは残念です。
帰りも石垣を見ていると、刻印を見つけました。公園内にも豊富に残る刻印を案内する看板がありましたが、刻印のサイズはあまり大きなものではありませんでした。
迫力ある石垣が迎えてくれる亀居城はおすすめです。ぜひ天気のよいときにいきましょう。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in広島
今日は快晴です。市内に泊っていたので広島城まではあっという間に着きました(ちょっと行き過ぎたぐらい)が、広島城博物館(天守)のオープンまで一時間あるので、まずは内堀の外周を廻りながら、写真を撮ります。
駐車場から出て、まず迎えてくれたのは二の丸に復元された太鼓櫓です。広島城は学生時代に一度来たことがありますが、10年以上も前になるので、そういえばその頃は工事中だった・・・。
広島城の石碑は駐車場のある二ノ丸口とは違い、広島護国神社のある本丸口にあります。が、石碑と一緒には石垣しか写らず、建物が写らないのが残念です。今日は護国神社の何か行事だったようで、大勢の人が押しかけ、城内に車を無造作に停めるので、石垣のショットを撮るのに非常に邪魔でした。せめて、車は近くの駐車場に停めてほしいものです。
内堀に移る石垣や天守はきれいです。
広島城は金沢城と同じように、戦前は陸軍の駐屯地のひとつであったので周辺には陸軍時代の遺構が残っています。
内堀を少し外れて、太田川を歩きました。ここは基町堤防といい、広島城の惣構の一部を構成していた太田川の氾濫を防ぐために、広島藩主福島正則が築いた堤防が始まりだそうです。
博物館となっている天守前には、再建の際に発掘で出土した天守礎石を見ることができます。
広島城の日本100名城の認定証です。
駆け足でしたが、二ノ丸が再建されて魅力の増した広島城を堪能しました。次は岩国に向かいます。
日本100名城スタンプラリー 郡山城
広島県の吉田高田市、毛利元就で有名な郡山城です。先の津山城16個目に続き、17個目です。
図柄は背景に郡山城跡の遠景を配して、手前に「百万一心」碑を描いています。
毛利元就の墓の近くにあります。百万一心碑です。毛利元就は郡山城拡張の際に、それまでの風習であった人柱に替えて「百万一心」と彫らせた巨石を埋めたと伝えられており、一つ描く碑としては「三矢の訓」碑ではなく、「百万一心」碑が相応しかったのでしょうか。
日本100名城スタンプラリー 津山城
今回は100名城の旅です。一週間で10箇所以上訪問します。
スタンプの図柄は天守台と復元された備中櫓を空中より俯瞰したものですが、当然ながら同じ角度では見ることできません。
実際には備中櫓、土塀に続く天守台を囲む回りの郭には転落防止用の柵紐が設置されているのですが、そこまでは・・・さすがに省略してありますね。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 安芸高田
最初の津山からかなり予定をオーバーしてしまい、急いで安芸高田市へ移動しました。さらに、まだ平成の合併前に一度訪れたことがありましたが、道路標識が変わっていて道に迷ってしまいました。
なんとか資料館の閉館には間に合いました。資料館には毛利氏に関する資料や付近の城跡に関する遺物が豊富に展示されており、次回はもっとゆっくり鑑賞したいものです。
すでにあたりは薄暗くなってきていましたが、石碑や一族の墓を見てきました。今回は残念ながら本丸などは見学できませんでした。
前回訪れた際に整備中であった公園はまだ整備途中でしたが、新設された駐車場には「日本百名城 郡山城」の記念碑が設置され、石碑越しに郡山城の山を入れて写真を撮ることができます。
もともとある上に紹介している「史蹟郡山城址」の石碑は入口に立っているものの、城跡とは向かい合って立っている関係で、石碑と城跡を両方入れて写真に撮ることができなかったので、今後は上記写真のほうがよく使われるかもしれませんね。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 津山
本日より九州方面へ長期旅行です。早朝に出発して順調に車をとばして来たものの、最初の目的地津山に到着したのは、もう昼近くでした。今回の旅は悪天候の予報がないので良い旅になりそうですが、今日は予想外に暑いです。
まずは城下町を見学です。津山城の東に位置する「上之町」「中之町」「西新町」には昔ながらの町並みが残っているのですが、城下町の道というのはまっすぐでなく、また狭いのです。
「作州城東屋敷」にやってきました。ここは町屋施設が残されているのですが、石碑の向こうに見えるのはだんじり展示館です。
街道沿いにしめ縄が貼られていたので何かと思いましたが、今日の午後から秋祭りで、ちょうどだんじりが各町会に出されていました。ということで、だんじり展示館の中は当然空です。
こちらが町屋施設ですが、映画寅さんシリーズ最終作はこの付近で撮影がされたそうなので、その時の写真と、建物横に記念碑が建てられていました。
城下出雲街道の町並みです。雰囲気がありますが、自動車が頻繁に走ります。
津山城です。最初の写真は鶴山館越しに見る備中櫓です。鶴山館は津山藩の文学校の建物で、裏にはちょっとした動物園があります。
最近復元された備中櫓です。前回は工事の真っ最中で、復元後初めてやってきました。津山城には城郭建築が残っていないので、一つでも復元されるとやはり見ていてもいいです。
城郭の櫓は板張りが多いのですが、ここは畳敷きが基本のようです。史実では確認していませんが、実際はどうだったのでしょうか?
2階には登ることができ、上段の間(1段高い一角)が用意されていましたが、特に窓が開放されるわけでもなく、用途はよくわかりません。
備中櫓と一緒に土塀の一部が復元されています。
今日は晴天だったので、天守台からの眺めは最高でした。天守台の回りでは今でも発掘調査が続いていました。この天守台に登ると、往時の天守の大きさが偲ばれます。
「WindowsVista」の次は「Windows7」なのはなぜか?
今週、マイクロソフトからVistaの次のOSの名称が「Windows7」に決まったと発表があった。「7」って何から数えてなのか?と疑問を持つ人も多いでしょう。
Windowsの1番目は「Windows1.0」、2番目は「Windows2.0」、3番目は「Windows3.0」となる。ここまでは私も理解していたが、次は「WindowsNT4.0」が「4」だと思っていたら、どうも「WindowsNT4.0」は「WindowsNT3.51」などとともに「3.1」となるらしい。この「3.1」とはコードバージョンと言われるもので、アプリケーションの互換性にとても影響する。
Windows7までのOSとコードバージョンの経緯は以下のとおり。
OSの名称 (コードバージョン)
Windows 1.0 (1.0)
Windows 2.0 (2.0)
Windows 3.0 (3.0)
Windows NT (3.1)
Windows 95 (4.0)
Windows 98 (4.0.1998)
Windows 98 SE (4.10.2222)
Windows Me (4.90.3000)
Windows 2000 (5.0)
Windows XP (5.1)
Windows Vista (6.0)
こう見ると、Windows3.0まではOS名とコードバージョンが一致している。その後、Windows95以降はわかりやすく発売年度を冠した「Windows95」「Windows98」「Windows2000」(発売はMeより先)が続き、最近は年度だと時間とともに古さを感じさせるということか「WindowsMe」「WindowsXP」「WindowsVista」と独自名称が多かった。
さて、WindowsVistaのコードバージョンが「6.0」であるため、次のOSは「Windows7」となったようではあるが、実際のコードバージョンは「6.1」。コードバージョンとの違いから「Windows7.0」とはならなかったようであるが、それじゃその次が本当の「Windows7」ではないか!と思ってしまう。
コードバージョンは先に書いたとおり、アプリケーションの互換性にとても影響する。「WindowsXP」発売当時、見た目は大きく変わったものの、「Windows2000」との互換性を重視して、コードバージョンは「5.1」となっていた。VistaでXPのアプリケーションが動作しないものが、2000からXPの時より多かった原因もこの辺りが影響しているのであろう。
コードバージョンを見ると、大きくWindowsのOSの世代が分かるのである。
第1世代 Windows 1.0
第2世代 Windows 2.0
第3世代 Windows 3.0、Windows NT 3.51、Windows NT 4.0
第4世代 Windows 95、Windows 98、Windows 98 SE、Windows Me
第5世代 Windows 2000、Windows XP
第6世代 Windows Vista、Windows 7