明日の城郭研究会に参加するために久しぶりの江戸行きです。そして、これまた久しぶりの日本100名城スタンプです。33個目になりました。
東京駅に昼前に着き、そのまま江戸城に向かいました。和田倉門から入ります。
スタンプラリーのスタンプは3か所で提供されていますが、和田倉休憩所で押すことにしました。
図柄は有名な二重橋越しに見る伏見櫓ですね。
実際にはこのアングルです。平日にもかかわらず多くの人がいるなあと思っていたら、海外からの旅行客のようでした。
手前に巽櫓、奥に桔梗門です。
こちらは坂下門です。
こちらは西の丸大手門、別名は皇居正門です。以前訪れたときは正面までは来ることができませんでしたが、今日は観光客が大勢門をバックに写真を撮っていました。
今回は予定にはなかったのですが、思わぬ散策を楽しんでしまいました。
投稿者: Tadashi
宮保館跡
今日は定刻に仕事が終わりましたので、先日別の用事があって行けなかった発掘調査現場を探しに寄り道してきました。
その発掘現場は北陸新幹線工事に伴う事前調査場所ですが、現在のJR北陸線の線路を挟んで、北側に「宮保B遺跡」、南側を「宮保館跡」と呼んでいます。
まずは宮保B遺跡から
こちらからは掘立柱建物の柱跡が見つかっていると思いますが、このところの悪天候がすっぽりとブルーシートが被されており、
被っていない発掘場所の境付近に溝跡?と思われるような跡が見えるだけでした。ちなみに、今日はカメラを持っていっていないので、携帯カメラで撮影しましたので少し変則的サイズです。
結構頻繁に電車の通る踏切を渡ります。
こちらの宮保館跡のほうが調査範囲が広いようです。
堀跡でしょうか?石交じりの壁状の土盛りを残して掘られています。
こちらの堀跡はちょうどカーブする部分のようです。
今日はちょっと寄っただけなので、もう少し進んでからまた見に来ることにします。
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スーパーで見つけた久しぶりの新作「三色ソフト」です。自分はイチゴソフトが一番のおすすめ!
本与板城 IN 天地人
土曜日は最後に、本与板城とその城下を訪れました。ちょうど2組の老夫婦が後ろからやってきました。
臨時駐車場からしばらく舗装された車道を歩き、看板の場所から実城を目指します。
階段を登ると、道は整備されているものの、両脇に土塁が囲む山城らしい道を行きます。
南郭が途中にありますが、老夫婦たちは通り過ぎました。なんにもないところですから、城好きでもなければ立ち止まることも写真を撮ることもないですね。
3つの郭がある本与板城ですが、道から最も近い郭が一の郭になります。二の郭との間には深い堀切(空堀)があります。
そのまま一の郭に登れますが、奥に進むと井戸跡がありました。草が茂っていて場所が特定できませんが、案内の左下辺りでしょうか?それにしても道がぬかるんでいます。
一の郭に登ると、まず横の本与板城がありました。
奥に進むと、本与板城跡の石碑があります。石碑の奥に見えるのが、一の郭に残る土塁です。
一の郭にも与板城にあったと同じ直江兼続の軍旗があります。老夫婦たちはここからの眺めを楽しみ、石碑の前で写真を撮って満足して帰っていきました。
ここからの時間は自分が独り占めですよ。
天候が悪くなってきましたが、奥の二の郭に向かいます。二の郭と三の郭はともに間の堀切から登れるようです。
一の郭は与板城と同じくらいの広さでしたが、二の郭はこちらのほうが狭いようです。
三の郭にも奥に少し土塁が残っています。
三の郭の二の郭とは反対側の堀切は狭く深いものでしたが、誰も来ないのでしょうか?倒木もそのままでした。
登った階段まで戻ってくると、対面に城下へ下りる道がありました。来たときは全く気付きませんでした。
昨日までの雨で道はかなりぬかるんでいました。完全に足が沈んでしまうので、両側の壁に足をついてトレーニングのように進み、ようやく城山・城下・白山社の三又に辿りつきました。
けもの道のような道を草をかき分けかき分け進むと、山頂に白山神社の社がありました。ここは本与板城の先端部にあたり、冬場に使用することを想定した冬城であったと言われています。
三又まで戻り、城下へ進むと直江屋敷跡に出ました。現在は駐車場として整備され、敷地には天地人の作者火坂氏による「お船の方生誕御館跡」と書かれた石碑が立てられています。
城下をしばし散策しながら観光スポットを巡りましたが、ここが一番の撮影ポイントですね。「御代官屋敷跡」と呼ばれる代官が住んだ館のあった場所ですが、背後の山の右側中腹、白いものが見えるでしょうか?
拡大してみると、そこには一の郭に立てられていた軍旗です。ここを訪れた人もほとんどは気付かないでしょうね。何も案内板はありませんから。
雨もポツリポツリと降り始め、歩き疲れてきたことですから帰路に着くことにします。
帰りの高速からは厚い雨雲と地平線の間に沈む夕日がなんともきれいでした。
与板城 IN 天地人
土曜日のレポートを続けます。兼続お船ミュージアムの後、与板城跡へ行きました。天候はますます怪しくなってきて、涼しいというよりも蒸し暑かったです。
臨時に設けられた駐車場の一角は、「直江兼続公館跡」となっています。どこまでがその範囲なのかわかりませんが、駐車場となっている部分でしょうか?
与板城跡には八幡神社から登ります。大手口は別方角にあるようですが、観光客はここから案内されます。本丸までの道のりは舗装された道が続きます。
その途中、おせん清水の案内板がありますが、実際は上からのぞくだけで近づけません。
前日の雨により少し水は流れていましたが、普段は水も流れていないような場所ではないでしょうか?
少し進むと門跡がありました。左側には土盛りが残っていますが、右側は全く残っていません。
本丸下段に仮設トイレが設置されていましたが、見晴らしが良さそうだったので奥に進みます。
案の定見晴台の役目もあったと思われる郭跡ですが、あいにくの天候で霞がかっていました。残念・・・
本丸には神社があります。
本丸には兼続の旗印が立ててありますが、今はどこの名所にもこの旗が立っています。
社の裏手には土塁がかなり良好に残っています。もともとは本丸の周囲をぐるりと巡っていたことでしょう。
さて、普通の観光客はここで引き返すのですが、自分は当然先に進みます。
前日までの雨で道はかなりぬかるんでおり、特に階段は滑りそうなあぶない状態です。
与板城の特徴のひとつは、郭の間の深い堀切です。本丸と二の丸の間にも堀切があります。
二の丸を通って、三の丸へ至る間にも堀切があります。
尾根を平らにした本丸、二の丸、三の丸ともに、それなりの広さがありますが、ここは山城ですから、丸というよりは、一の郭(実城)、二の郭、三の郭といったほうが適切ですね。
途中一人がやっと通れるような細い道もあり、滑って落ちないように気を使いました。手すりなどがない分、山城の雰囲気を十分に味わえますが、危険と隣り合わせですね。
一の郭からもっとも奥にある郭が千人溜です。
三の郭から千人溜に入る部分は右側を崖で大きくえぐられ、左側は高い土塁があり、みごとなつくりです。
さて、与板城の案内絵図などはここまでが描かれているのですが、実際千人溜まで来ると、「のろし台まで20分」の案内板があります。
折角なのでそのまま先を進みます。千人溜を抜けると、整備された林道に出ました。
道端に咲く百合の花がきれいです。
しばらく行くと、急な階段とともに、奥に道が続いています。ここはさらにけもの道に近い道になっています。
しばらく進むと右側に大きな盛り上がりを確認できます。そこがのこし台です。
のろし台には石造りの小さな社がひとつあるだけで、他にはなにもありません。草刈はしているようですが、観光客はほとんど来た形跡がありません。この場所は地元の方に後で聞いたところ、与板城ののろし台になるそうです。
のろし台から帰る頃には雨がまばらに降り出していました。一の郭までの帰り道、誰一人と会いませんでした。本格的な山城を感じずに帰る方が多いのは残念ですが、荒らされないで済むと考えて、城好きな人たちの楽しみとしましょう!
前田土佐守家資料館
今日の昼頃は金沢はバケツをひっくり返したような大雨でした。カメラは持っていったものの、メモリカードを差し忘れていたので今日は写真はありません。あしからず
午前中は先週から始まった企画展「加賀藩上級武士の日記」の解説講座に参加するため、前田土佐守家資料館に行きました。今回はいつもにも増して大勢の人が参加していました。
日記は当時の様子や生活を知るためには非常に貴重な史料ですが、元々は業務日誌的な要素が強く、公家や武官によって書かれ、宮中儀礼の有職故実の元になったそうです。
加賀藩では藩主や上級武士だけではなく、お抱え学者や町人による日記も残っています。日記が並ぶ展示ケースはなかなか壮観です。
その後、中村記念美術館に「香道具名品展」の後期展を見てきました。
午後は石川県立美術館に加賀百万石文化講座の第二回、北陸大学の長谷川教授による「有職故実と日本文化」の講演会に参加しました。長谷川教授は一般向けに有職故実の話をするのは初めてだったそうですが、私もこのテーマは初めてだった。
長谷川さんの話はとても興味深く、所々聴衆を笑わせるような小話も挟みながらのあっという間の1時間半でした。今回の講演会は現在同美術館で開催中の前田育徳会分館の企画展と連動したものですが、有職故実に関する知識なしに見ても、さっぱりだそうです。国宝「北山抄」もあるそうですが、今回の講演会を聞いた後でも理解率は20パーセント程だとか。講演会のあとは大勢の人が行って、ゆっくり鑑賞できそうにはありませんでしたので、展示はまた後日。
天地人を巡る旅 in 長岡
2つの展覧会を見るため、今日長岡に行ってきました。雨の金沢を7時前に出発し、2時間半長岡に着く頃には天候も良くなっていました。
予定どおりに到着したので、最初に長岡市立科学博物館に行きました。長岡市役所柳原分所の2階と3階が博物館です。自然史分野が中心ですが、考古分野の1テーマとして今回の企画展「発掘された長岡城」が開催されています。
同博物館は無料です。先日訪れた魚津の歴史博物館とともに、なかなかの太っ腹です。しかし、ここは早朝ということもあってか、見学者がほとんどいませんでした。
展示室には長岡城で過去数回行われた発掘調査で発見された遺物が展示されていました。長岡城のほかにも高田城と村上城の遺物が展示されていました。
次に、初日を迎えた企画展「天地人 直江兼続とその時代」を見るために、新潟県立歴史博物館に行きました。11時からのギャラリートークに合わせて入館しましたが、天候も良かったので、地元の方を中心に大勢の方が入っていました。
この展覧会は巡回展として、春に東京で開催されていましたが東京はかなり混在していたようで、新潟のほうがゆったりと鑑賞できますね。展示は盆明けに展示替えが予定されているので、すべての実物を見る事ができませんでした。
コーナーは直江兼続に関係する部分と豊臣秀吉に関係する部分、そして桃山文化の美術品を並べた部分に分かれていました。直江兼続に関する部分には、鮫ヶ尾城や御館の発掘遺物として鉄砲玉などが展示されており、豊臣秀吉に関する部分には、大坂城や聚楽第、伏見城の金箔瓦などが展示されていました。すべての展示もみることができなかったので、会場限定の図録を購入してきました。
展示室の前には、例によりNHK大河のパネル展が開催中で、複製された愛の兜が展示されていました。
昼までは非常に天候が良く、夏らしい暑さでしたが、ここから与板地域に向かうなかで曇ってきてしまいました。
最初に「兼続お船ミュージアム」として今春リニューアルオープンした与板歴史民俗資料館を訪れました。同館の前では兼続の銅像が迎えてくれます。なかなかりりしいですね!
与板城やお船の生まれた本与板城に関する展示を見てきました。
ミュージアムに隣接する本願寺新潟別院の入口には、藩政期の与板藩時代の大手門が移築されています。かなり傷んでいる部分もありますが、時代を感じることができる貴重な門です。
城下には直江家が開基となっている徳昌寺があります。ここの境内までの階段はとても雰囲気がありますが、大河ドラマでも数回放映されている場所だそうです。
撮影可能なのは山門までで、本堂は撮影禁止です。車で行くにはちょっと行きづらい場所ですね。まちの駅に停めるとよいでしょう。
与板藩時代の遺物はもうひとつ残っています。与板のアーケード街にある恩行寺。
ここの正門は与板城の切手門です。観光地図にほとんど載っていない貴重な門です。与板を訪れた際はお見逃しなく。
金沢城 西外惣構升形 堀の深さ3メートル
金沢城の西外惣構と旧宮腰(金石)往還が交わる軍事・交通の要衝に設けられた防御施設「升形」の同市の発掘調査で22日までに、築城時の惣構堀の深さが約3メートルだったことが判明した。内外二重に築かれた城下の惣構で堀の深さが特定されたのは今回が初めて。
さらに今回の調査では、升形周辺の惣構堀が江戸時代に4段階で埋め立てられ、堀幅が狭められたことも判明した。石垣の遺構から確認され、堀幅は当初の推定11メートルから、江戸末期には6メートル前後となっていた。埋め立てが行われたのは「17世紀初め~17世紀後半」「17世紀末~18世紀初め」「18世紀前半~18世紀後半」「18世紀末~19世紀中ごろ」の4回と推定される。(北國新聞2009年7月23日付記事より)
Vistaメモリ換装
一週間前に大変な目にあったVistaパソコンのメモリ換装作業を行いました。
結果、2GBから4GBへの完全換装は断念し、3GBへ1枚換装して起動することができました。
Vistaでメモリが3GB認識されています。1GB増えたので、仮想環境に2GB割り当てることが可能になりました。
そこで、現在使用中のXPのバックアップを「Virtual PC」でリストアします。
しかし・・・・・・・、起動しません。セーフモードでもダメです。
諦めかけた時、「VM Ware Player」でVirtual PCのイメージが使えることを思い出しました。諦め半分で起動してみると、10分後めでたく起動しました。デバイスドライバが2つ認識していませんが、問題はありません。
仮想化したXPのメモリ認識は2GB。随分早くなったかと期待しましたが、期待ほどではないようです。しかし、パソコンの数は減らしたいので、しばらく試用することにしましょう!
加賀百万石講座 幕末の前田家
雨模様の中、連休の金沢市内へ出かけました。
最初に室生犀星記念館に行きました。同館では企画展「装幀の美 恩地孝四郎と犀星の饗宴」を開催中です。
犀星は意外にも自装幀が多いそうですが、それに次ぐ装幀を任されたのが恩地孝四郎だそうです。
次に金沢くらしの博物館に行きました。企画展「夏の思い出・遊園地」を開催中の同館では、写真で賑やかな頃の「金沢ヘルスセンター」「金石海岸」「ルネスかなざわ」を紹介しています。
ルネスかなざわは最近までありましたので記憶に新しいですが、子供の頃よく行った金沢ヘルスセンターやその後のサニーランドなどは、写真を見ても記憶にないものが多かったですね。サニーランド閉館後は辰口に移動して「いしかわ動物園」となりましたが、久しく動物園には行っていません。
連休中ということで県外車も多く走っていますので、1時過ぎに今日の第一目的であった石川県立美術館へ向かいました。が、すでに行列が出来始めており、入館まで10分ほどかかったこともあり、残念ながら実際の講演会場は満員で入れませんでした。
隣りの部屋に入り、ライブで映像を見ましたが、音声がマイクの音を直接拾っておらず、会場の雑音を拾って聞き取りづらく、半分も内容が聞き取れず不満が残りました。
本日は、加賀百万石講座の第一回目で、前田家18代当主による「幕末の前田家」という講演だったのですが、大きな目玉として連休にセットしたのでしょうが、新展示の初日にも当たっており、県外車も入り混じって駐車場も全く足りていませんでした。予測が甘いとしか言いようがありません。
講演後、金沢能楽美術館で開催されている企画展「尾山神社の能面Ⅱ」を見に行きました。前後期に分かれた本展示では、前田家より尾山神社に奉納された能面24面を半分ずつ展示しています。
中でも門外不出とされている「悪尉 淡吹の面」は、光る海で網に引っ掛かった曰く付きの面で、持つ者に災いをもたらし、長く前田家でも秘宝とされてきました。外に持ち出すと、天俄かに掻き曇り荒天となる、との言い伝えがあり、まさに今日もそのような1日でした。面の祟り?
「悪尉 淡吹の面」は前期展で8月30日まで公開中です。9月からは後期展が始まるので残り半分の能面を見に行きますよ。