いよいよ熊本城です。近年次々と建物が復元され、昨年は築城四百年祭で盛り上がった当城ですが、去年は都合がつかず来ることができなかったので今回ようやく念願叶いました。
熊本城へ入城する前に、少し時間があるのでまずは周辺をめぐります。
熊本城の周辺には徒歩で行ける範囲に2つの城跡があります。そのひとつが隈本古城です。説明板を読むと熊本城の城域(または支城)のようでもあるのですが、現在は高校の敷地を支える石垣と堀跡が公園となっています。
城下を歩いていると広告を前面プリントしたバスが・・・ANAの広告のようですが、こんなところにも熊本城が描かれています。
もうひとつの城跡は千葉城です。現在はNHK熊本の敷地となっている高台ですが、麓の川沿いに千葉城公園と城跡であった名残りを残しています。この城の南側には藩主細川氏に客分で招かれた宮本武蔵が住んだ場所がありました。由来は古いですが、西南戦争でも機能していたようなので、最終的には熊本城の支城的役割を担ったようです。
はぜ方門入口近くには加藤清正公園があり、加藤清正公が熊本城を背に座しています。
それでは熊本城を散策しましょう。
まだ工事中の建物があるんですよ。それにしても見どころ多いですね。まだ天守に着かないですよ。それではいよいよ今年春公開されたばかりの本丸御殿に入ります。
地下回廊への入口は2箇所ありました。薄暗い地下回廊はまさに戦国時代の知恵ですね。
内部は見学者でいっぱいでしたが、まだまだ真新しい匂いがしました。注目は色鮮やかな昭君の間です。いざという時に秀頼公を迎えるために準備したと伝えられる部屋は非常に格式高い造りでした。撮影は許可されていましたが、フラッシュなしだったので、良い天気でしたがかなりピンボケしてしまいました。
ようやく天守へ入ります。
大天守内には復元募金の芳名板が所狭しと並べられていましたが、自分の城主になった年月を忘れてしまい、見つけることができませんでした。
さて、それでは熊本城の散策を続けましょう。
昼も過ぎたので少し腹ごしらえをします。売店には「いきなり団子」の文字。ケロロ軍曹でよく聞く名物の名前でしたが、本物を見るのは初めてです。
これは試してみる価値あり!と早速購入しました。普通よりもアイスのほうが4種類あるということでそちらをすべて購入、包みと餡の材料がそれぞれ違うのですが、どれもおいしかったですよ。
それでは、散策を続けましょう。
熊本城をあとにして、最後に旧細川刑部邸に向かいます。
いや広かったです。それに見どころ満載でした。3時間と他の場所に比べ余裕を持った日程で散策を始めたのですが、結局大きく2時間超えてしまいました。
投稿者: Tadashi
日本100名城スタンプラリー 吉野ヶ里
佐賀城に続けて近くの吉野ヶ里へ行きました。吉野ヶ里歴史公園となっている一体は予想以上に広大な史跡で、1時間ではすべて見て回ることができないほどの広さです。これで23個となりました。
見どころスポットはいくつかの塊となっていますが、特に柵列で囲まれた南内郭と北内郭は、最近公開予定の映画「まぼろしの邪馬台国」のロケ地となった場所です。
スタンプ図柄は、北内郭の柵列の向こうに、公園のシンボル的存在である祭殿と脇の見張り台を捉えたアングルです。写真は入口付近で撮ったものなので柵列が切れてしまっていますが、その側から撮れば同じようなアングルで写真が撮れるようですね。
日本100名城スタンプラリー 佐賀城
22個目となるのは佐賀城です。佐賀市中心部にあり、旧本丸内に官公庁が立ち並ぶ様子は、隣県の福井城のようです。が、佐賀には本丸内に佐賀城・佐賀藩に関する資料を多数展示している佐賀城本丸歴史館があります。それも拝観料無料、代わりにすべて見終わってから満足度に応じて寄付をします。
スタンプの図柄は、歴史館の入口を手前に、鯱の門を奥に見るベストアングルです。実際の写真では入口付近の下駄箱が少々見苦しいですが・・・
歴史館の傍には天守台も残り、上から歴史館を眺めることができます。また、本丸を囲む四方の内堀は三方が現存しています。近くには、佐賀藩鍋島家の資料館など観光場所が集積しているのですが、残念ながら時間がありませんでした。九州の雄、龍造寺隆信の顕彰碑もありますよ。
日本100名城スタンプラリー 大野城
福岡市から大野城市に移動して21個目は大野城です。しかし、今日は月曜日で大野城のある県民の森や麓の大宰府関連施設は休みだったので、唯一開いている大野城市総合体育館に向かいました。
図柄は大野城に残る石垣跡だと思いますが、訪問はまたの機会ということで、大宰府や大野城の防塁として機能していた水城(みずき)跡に向かいました。少し迷いましたが、なんとか到着。予想外に史跡公園としてきれいに整備されていました。土塁のほか、濠跡も田んぼとしてその名残りをしっかりと残しており、見ごたえ十分です。
日本100名城スタンプラリー 福岡城
20個目は福岡城です。黒田長政の入封により本格的に築城の始まった福岡城は現在大濠公園になっています。同じ場所は古代・中世のおいて大宰府政庁の玄関口となった鴻臚館があった場所でもあります。
スタンプは発掘された鴻臚館の遺物をそのままに展示する鴻臚館跡展示館受付にあります。鴻臚館跡展示館 の横には、元平和台球場であった敷地が残り、今日も発掘調査が続けられていました。
図柄は多聞櫓を郭内から見た構図ですが、散策範囲が予想以上の広さであったため、同じ構図で撮影したものがありません。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 熊本
ホテルに着くと、すでに真っ暗でしたが、今日は熊本城の近くに泊まります。期待していた以上の夜景です。泊まった部屋からはばっちりと熊本城のライトアップが見えました。このライトアップは随分と遅くまでしていましたね。23時近くまでライトアップされていました。
ライトアップされているのは、手前(下)に復元された本丸御殿、奥に大天守と小天守です。
夕食を兼ねて街に出ましたが、近くまで来てみると、全く天守が見えません。
少し離れると、いろんな場所からライトアップが見えます。これも天守に向かってまっすぐな道路のおかげなんですけどね。
道の真ん中に設置させた路面電車の駅からはちょうどよい感じです。手前に本丸御殿、奥に大天守の上部が見えます。思いっきり城下町って感じですね。(東側から撮影)
こちらの角度は、右に大天守、左に本丸御殿です。(南側から撮影)
日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 吉野ヶ里
佐賀城を出発し、30分で吉野ヶ里遺跡に到着します。迎えてくれるのは弥生人風のマスコット人形です。
入ってみると、想像以上に復元建物がはるか向こうに見えます。終了1時間前に駐車場に入ったのですが、「今からでいいですか?」って聞かれたのですが、どうも1時間では回りきれないようで、「うそだろ?」と思ったのも束の間、どうやら本当のようです。
それにしても広大な遺跡公園です。中にバスも走っているんですよ。
展示室では出土した土器や甕棺が展示されていて、吉野ヶ里の発掘の経緯や成果がよくわかります。
展示室の向かいに広がる南内郭は政治を執り行っていた場所と考えられ、物見櫓や竪穴住居が復元されています。すべての竪穴住居の中は当時の生活を復元して、わかりやすく立体展示されています。
吉野ヶ里遺跡の見どころは、やはり北内郭の主祭殿ですね。2階では会合の様子が、最上段の3階では巫女の祭祀の様子が復元展示されています。
北内郭のさらに奥には甕棺暮列が広がり、さらに奥の盛り上がった小山は北墳丘墓(王の墓)です。
中は遺構をそのまま立体展示しています。
さて、奥の奥までやってきましたが、公園はさらに奥に現在の発掘現場があるようです。時間になりましたので、入口に急ぎますが・・・そこまで15分もかかるんですよ。なんて広いんだ!管理も大変そうです。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in佐賀
佐賀市は初めてです。あまり時間がないので足早に復元された本丸御殿のまわりを散策します。
まずは鯱の門が出迎えてくれます。この門は唯一の遺構建造物ですから威厳があります。
屋根の鯱もなかなかですね。
天守台に上ると、本丸御殿や土塁を上から俯瞰できますが、写真としては正面でないのでイマイチですね。
城内には土塁の復元とともに、発掘により見つかった水路の立体展示を見ることができますが、ここは鯱の門とは別の西門から入ってこないと見られないので、あまり見る人はいないでしょうね。
今日は月曜日なのでお客さんは年配の団体客が中心です。復元された建物内は新しいのできれいです。最近の復元建物は鉄筋コンクリートが少ないので、建物自体にも魅力あります。中の展示物は幕末中心だったので、自分にはあまり興味ありませんでした。
内堀は東側以外は残っています。かなりの堀幅があり、すばらしいですね。否うらやましいです。金沢城で同じ規模を誇った百間掘は埋め立てられて道路ですからね。
次の目的地に行く途中で城下で唯一の武家屋敷門の遺構の前を通りました。石碑が立っている観光地?だと思うのですが、管理が・・・・写真で見てもそう思いますよね。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in大野城
福岡城を出発し、福岡都市高速の終点水城にやってきました。ここは古代大宰府政庁の防衛施設であった水城の跡です。詳細な地図がなく、うろうろして、ここで写真撮って良しとしようか、と撮った写真が1枚目のコスモスの写真です。奥の木がある盛り上がりが水城の土塁です。この時はその近くに本来の目的地があることを知りませんでした。
コスモスとのベストアングルを探しながら写真を撮っていると、道の向うに石碑があります。「水城大堤之碑」と書かれた史跡公園はまさに目的地でした。
碑の横には「史跡水城址」と書かれた東門礎石があります。この道路は水城を分断して作られたものではなく、古代より道として存在し、門があった場所のようです。
史跡公園はコンパクトながら水城は何であるかを知る良い遺構が残っています。案内図にはありませんが、道のななめ向かい、コスモスの咲いていたほうにも駐車場と水城の説明看板があります。
土塁上の展望所に上ると、はるか遠くに続く水城を眺めることができます。
今回は時間的制約もあって、水城とともに大宰府防衛ラインであった大野城には登ることができませんでしたが、次回はぜひ大宰府とともに見に行きたいです。
日本100名城と篤姫を訪ねる旅in福岡
昨日に比べると少し曇っていますがいい天気です。
福岡城跡は舞鶴公園となっていますが、古代は海外との外交施設こうろ館のあった場所です。福岡ドームができたあと、ここにあった平和台球場跡地の発掘が進む中で様々な成果がありました。現在も発掘作業が続けられていました。
まずは「名島門」を通ります。この門は黒田長政の福岡城に移る前に在城していた名島城の脇門です。
下の橋大手門は現在復元工事中で中には入れませんでした。
正面にまわると、現在も残る堀の向こうに石垣があり、ちょうど石垣に巻きついた草を刈っている最中でした。珍しい光景なのでしばし見学。
福岡城跡の石碑は二の丸近くの駐車場のそばにありましたが、石碑はもうひとつあります。
福岡の観光ガイドにもほとんど紹介されない福岡城ですが、意外に多くの石垣が残っています。大天守台に上ると天守礎石が残っています。
見学台に上ると、中天守台と小天守台が見えます。小天守台には上れますが、中天守台はここから見ることができるのみです。
建物はこの多聞櫓と祈念櫓が2つ残っていますが、手前に見えるのは井戸で、城内にはたくさんの井戸跡が残っていました。残念ながら城内に植えられた木が邪魔で、石垣から見上げて建物を撮る良いアングルがありません。
こちらは大型バス駐車場から近い石碑です。歩道沿いに立つので、頻繁に通る自転車に気をつけながら撮影しましたが、石碑の背景に堀が入るのでなかなか良い写真になりますね。