日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 高梁

この旅の最終地は高梁市です。近世城下町には珍しい山城をシンボルとした備中松山は城下町の風情を色濃く残しています。
備中松山 根古屋跡
麓の学校は元根古屋跡です。この辺りに広大な屋敷跡が広がっていました。
備中松山 根古屋跡
備中松山城は途中から道路が狭くなるため、以前は徒歩15分のところの駐車場まで自家用車で行けましたが、現在、土日は徒歩40分のところからマイクロバス(往復300円)で行くことになっていました。
備中松山城
備中松山城
天守からは本丸、二の丸を臨むことができますが、木々が茂りすぎて眼下の城下町が見渡せないのが残念ですね。
備中松山城
備中松山城
備中松山城下町
麓の城下町は面影が残っている場所も多く、歩いても良いところです。
備中松山城下町
麓の頼久寺の石垣は砦とも言えるほど堅固な造りです。
備中松山城下町

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 総社

岡山県総社市といえば豊臣秀吉が水攻めをおこなった備中高松城ですが、100名城ではないので、今回はその由緒に不明な部分も多い、鬼ノ城を訪れます。
鬼ノ城
駐車場に着くと、そこにはビジターセンターが建っています。無料で鬼ノ城の復元の過程や復元された西門の模型などを見ることができます。実際に見学する前に見ると良いでしょう。
鬼ノ城
遊歩道を通り、史跡に入ると復元された西門が迎えてくれます。前回訪問時はまだ復元途中でしたが、現在は風雨にさらされて新しい感じはありませんでした。
鬼ノ城
西門を通って南回りに一周します。西門からしばらく敷石の道が続きます。
鬼ノ城
しばらく行くと南門遺構に着きます。
鬼ノ城
さらに進むと東門遺構に着きます。それにしても麓が遠いです。
鬼ノ城
東門を少し進むと、屏風折れの石垣が見えてきました。どうやって積んだのでしょうね。不思議な光景です。
鬼ノ城
しばらく歩いてようやく着きました。ここからの景色も絶景です。
鬼ノ城
「岡山県十五景地」の看板が外れた石碑が・・・
鬼ノ城
北門は今も整備中でしたが、車で近くまで行けるようでしたので、地元関係者が案内するときにでも使うのでしょうね。
鬼ノ城
西門とともに復元整備された角楼跡です。
鬼ノ城
ここから眺める西門もなかなか良いアングルでした。どうやってこんな山の上に石を積んだのか、見どころ沢山の鬼ノ城でした。
鬼ノ城

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 福山

JR福山駅北口を出ると、正面に高い石垣が迎えてくれました。最終日まずは福山駅周辺を歩きます。
福山城
ここでもちょうど石垣に生えた草をとる作業をしていました。
福山城
福山城といえば復興天守の写真しか見たことがなかったので、櫓や門がかなり復元されていることがまず驚きでした。
福山城
福山城
福山城
福山城
福山城
福山城
福山城
天守最上階から眺める城下は非常に気持ちよいものでした。
福山城
福山城
城内には安倍正弘像が立っています。福山藩安倍家7代当主にして、老中であった正弘は、大河ドラマ「篤姫」でも篤姫を輿入れさせた立役者として出演していましたね。福山は幕府の西国の要として非常に重要な地であったため、広大であった城域を思うには十分なものが残っていますね。
福山城
福山城に隣接する広島県立歴史博物館ではちょうど特別展「徳川家・姫君の華麗なる世界」が開催されており、篤姫の籠を見ることができました。同時開催で、鹿児島でちょうど終了していた「篤姫展」もやっており、最終日も期ならず篤姫に触れることができました。
広島県立歴史博物館
広島県立歴史博物館

日本100名城スタンプラリー 大分府内城

昨日の雨模様から一転して、天気が回復しました。今日は大友宗麟の居城、府内城を訪れます。
九州は今日でお別れです。大急ぎの旅でしたが、有意義な旅行でした。またゆっくりと訪れたいです。スタンプは府内城で29個となりました。
日本100名城スタンプラリー 大分府内城
スタンプは西の丸の西南の二重櫓ですが、写真では奥に東の丸の西南の二重櫓が見えます。平日の朝でしたので、街のど真ん中にある城周辺は出勤のサラリーマンと学生たちでいっぱいでした。
日本100名城スタンプラリー 大分府内城

晴れの関門海峡に立つ

九州上陸のときはすでに夜だったので見ることを諦めましたが、本州に帰るときはまだ明るかったので、九州側最後のパーキングに車を停めて、しばし関門海峡を見学です。
関門海峡
一般道路が工事中で交通量は多かったですが、それ以上に橋をくぐる船の多さが目を引きました。
関門海峡
関門海峡
パーキングにはなぜか中国語や韓国語が響いていました。なぜ?

中津 福沢諭吉旧居

中津で少々時間がありましたので、観光地図で見て寄り道です。来たのは「史跡福沢諭吉旧居」です。
福沢諭吉旧居
福沢諭吉旧居
福沢諭吉旧居
福沢諭吉旧居
旧居に隣接して記念館が建っています。
福沢諭吉旧居
展示は有名な「学問のすすめ」や「西洋事情」など。
福沢諭吉旧居
福沢諭吉旧居
しかし、目玉は入口に展示されている旧1万円札と現1万円札のNo.1の新札です。写真も撮れますよ。
福沢諭吉旧居
福沢諭吉旧居

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 中津

九州最後の地は中津です。前に来たのは10年以上前の学生時代なので、堀と石垣が新しく整備されるなどして様変わりしていました。この城は個人所有なのですが、ニュースでは財政難でいつまで持つかという話もありましたので、閉じる前にもう一度見ておきたかったのです。
中津城
中津城
中津城
模擬天守に入ろうとしたとき、珍しいものを見つけました。岩蟹でしょうか?川が近いとはいえ、こんなところになぜ迷い込んだのでしょう。
中津城
中津城
中津城
中津城
天守北側の石垣は右側が黒田時代、東側が細川時代の石垣だそうです。しかし、場所は入口から正反対の場所にあるため、訪れる人も少なく勿体無いことです。
中津城
中津は城下も見どころがあります。徒歩でまわりました。
西門石垣
川沿いにしばらく歩いていくと、西門の石垣が残っています。民家の間に残る石垣は開発を免れ、周辺の住民の理解と努力の跡がしのばれます。
南部小学校の正門となっている門は中津藩家老の生田家の門です。
生田門
また、裏門の脇には大手門の石垣が残っています。
大手門石垣
また近くには黒御門の礎石がアスファルトの道路に埋まるように1箇所残っています。
黒御門跡礎石
城下には数ヶ寺の寺が密集する寺町通りがあるのですが、中でも注目は合元寺です。赤壁に象徴されるこの寺は実際にも目を引きますね。
合元寺

日本100名城と篤姫を訪ねる旅 in 大分

昨日の雨模様から一転、晴れましたが曇っているので散策には良いですが、写真は白壁が空に馴染んでしまってダメですね。
大分府内城
府内城は大友宗麟の居城でしたが、県都である大分市のど真ん中にあることもあって、かなり開発の犠牲になっていました。それでも、なんとか内堀と櫓や門を復元して城であったことの面影は感じることができました。
大分府内城
写真のアングルによっては、まわりの高層ビルが写る残念な状況ではありますが、堀と石垣だけになっている多くの街中の城郭に比べれば、櫓があるだけで絵になりますね。
大分府内城
大分府内城
大分府内城
大分府内城
大分府内城
大分府内城
広い内堀のほかにも、ひっそりと用水として残った堀跡が残っていました。
大分府内城
大分府内城
大分府内城
山里丸であった地にある松栄神社の境内には、慶長時代の石垣が露天展示されていました。
大分府内城
大分府内城
福井城でも復元された廊下橋です。珍しい形の橋ですね。
大分府内城
大分府内城
城内に入ると、天守台前に大友宗麟像が立っています。天守台にも上ることができます。が、建物がない分見晴らしは遠くまでは無理ですね。
大分府内城
府内城は残る遺構も少ないですので、まわりを一周しても1時間強で見て回ることができます。

日本100名城スタンプラリー 岡城

飫肥を昼に出て、夕方ギリギリに岡城に到着しました。宮崎から大分へは高速がないので移動がつらいです。宮崎県知事の言うことも分かる。
さて、城に入る麓でメロディーロードを通りました。以前テレビで見たことありますが、自分で荒城の月を奏でるとは思っていませんでした。その岡城で28個目となりました。
日本100名城スタンプラリー 岡城
ギリギリの時間に入ったので、すでに薄暗くすべてをまわってみることはできませんでしたが、駆け足で三の丸、本丸、二の丸と見てきました。本丸に登ると、麓のほうから例の荒城の月が響いてくるのですが、面白い趣向ですね。
日本100名城スタンプラリー 岡城
スタンプの図柄は三の丸から二の丸の北側石垣をみた光景となります。当日は1日中雨でしたので、まわりの山々には霧がかかり、二の丸に立つ滝廉太郎像の向こう側にも雲海が広がっていました。もう少し早く到着していれば、いい写真撮れたんですけどね。
日本100名城スタンプラリー 岡城

日本100名城スタンプラリー 飫肥城

今日は朝から雨です。今日は高速がない土地を行くので移動に時間がかかりました。朝鹿児島市を出発して、10時過ぎにようやく飫肥市に到着しました。来る途中大雨でしたが、見学中は小雨で助かりました。
日本100名城スタンプラリー 飫肥城
飫肥は古い町並みも残っており、風情ある城下町でした。もっとゆっくり歩いてみたかったのですが、雨でもあり、急ぐ旅でしたので、飫肥城周辺を見ただけで出発しました。
日本100名城スタンプラリー 飫肥城
スタンプの図柄は飫肥城の復元された大手門を城内から見た構図となっています。
ここで小冊子の書名は「飫肥ガイド -九州の小京都-」となっています。観光パンフレットにも「小京都」の文字が・・・。古い町並みをそう称しているのでしょうが、飫肥は典型的な城下町です。いまだにそういう誤解を修正していないのはどうなのでしょうか?
「飫肥ガイド -九州を代表する城下町-」または「飫肥ガイド -九州の小江戸-」
これなら分かりますけど。