金沢城公園で17日、いもり坂口から旧県体育館下の石垣前を経由し、県営丸の内駐車場に至る「鼠多門コース」が完成した。石垣回廊のコースが市道に沿って整備されるのは初めてで、加賀藩の石工技術がより身近なものとなる。
新コースは延長約450メートルで、板を渡した木橋も設けた。昨年度に積み直しが完了した県体育館下の玉泉丸南西石垣、鼠多門続櫓台石垣、鼠多門周辺で、玉泉院丸と金谷出丸(現在の尾山神社境内)を結ぶ木橋が架けられていた石垣が見どころとなる。
石垣回廊は2001年度に城内ルートが完成。城内外の連絡ルートや外周ルートであるいもり堀、玉泉院丸、薪の丸、三十間長屋コースが順に供用している。県は来年度、丸の内駐車場から大手門、石川門下、百閒掘の各石垣で案内板を設け、回廊全体を完成させる方針だ。(北國新聞2008年11月18日付記事より)
以下は、11月8日現在の鼠多門コースの工事現場の様子です。
投稿者: Tadashi
近江の旅 坂本城・大溝城
朝から生憎の雨模様ですが、出発の前にホテル近くの草津宿を見てきました。藩政期の宿場であった草津宿は本陣と脇本陣が残っていますが、草津市役所近いという立地上、開発が進み通りは当時の面影はありません。
ホテルをあとにして大津市歴史博物館へとやってきました。開催中の企画展「かわら-瓦からみた大津史-」を見るためですが、ちらしなどは寺院に使用された瓦が中心ですが、展示では大津市にあった坂本城・大津城・膳所城の瓦も展示されていました。
博物館を出発して、琵琶湖西岸を北上する途中、坂本城址の石碑を見つけました。今まで何度か通っているはずなのですが、見つけられなかった場所であったので、今回予定にはなかったのですが早速探索です。
湖岸の発掘調査地区を史跡公園として整備されています。公園からは琵琶湖を臨み、天候が良ければ見晴らしが良いところです。公園内には明智光秀の石像が立っています。
帰ろうかと思っていましたが、道路の向かい側に寺が見えたので少し周辺を散策しました。
国道から一本入った道路は旧坂本城下町の道であり、まっすぐでないところが当時のままである印象を受けました。
少し歩いていると交差点で、別の坂本城址の石碑を見つけました。こちらが昔からある石碑でよく坂本城の紹介写真で見るものです。あたりはきれいに整備され、先の史跡公園までの道が舗装されています。周辺には寺が三軒ありました。この辺りが坂本城下町の寺町であったのでしょう。通りの奥に見えるのは東南寺です。
さらに湖岸を北上すると、道路沿いに聖衆来迎寺があります。ここの表門は旧坂本城から移築されたといわれています。
境内は予想以上に広大なもので、そこに森蘭丸の父、森可成の墓がありました。坂本は織田信長による比叡山焼き討ちの被害にあった場所のひとつですが、聖衆来迎寺は有力家臣の森氏の墓所であったために難を逃れたため、多くの寺宝が残っているそうです。
坂本からさらに北上です。琵琶湖大橋より北側を車で走るのは初めてです。目的地は高島町の大溝城です。
JR高島駅近くにあるのが大溝城です。乙女ヶ池はかつての大溝城の惣構の一部です。
現在残る遺構は天守石垣台のみです。平成8年に町指定文化財になったという石垣は当時整備されたものと思われますが、現在は少し荒れた感じを受けました。道路から奥にあり、建物などに囲まれている環境も観光地としてはあまりいい環境とは言えませんね。
道路沿いの老人福祉施設の敷地がかつての三の丸跡で、案内の石碑が立っています。
城下町は近世の分部氏時代のものですが、それでも残された遺構はほとんどなく、城関連建造物としては総門(惣門)が唯一の遺構です。その総門もかなり改築をうけて、外観以外にその面影は薄くなっています。
町割りはかなり残されている様子ではありますが、武家屋敷もこの笠井家のみのようで、敷地に残る生垣や囲いにわずかに面影を残すだけで、建物は屋根もふき替えられ、増改築も数回行われたようで、観光用の看板は立っているものの、指定文化財にするには難しい状況です。
市内には古い建物が数件残っており、この造り酒屋の建物もかなり古いもののように見受けられました。かつてはかなりの賑わいを見せた城下町であったのでしょうが、現在は・・・、城下町として宣伝するには目玉がないですね。
高島を後にして、さらに北上してぐるっと回って長浜にやってきました。現在開催中の特別展「戦国大名浅井氏と北近江」を見るためです。平成の合併前の展示は長浜城下や秀吉が中心でしたが、浅井町を合併して、最近は浅井氏に関する展示が増えました。今回も浅井三代に関する展示でした。
長浜市は現在、浅井長政とお市の間に生まれた三姉妹に関する大河ドラマ誘致を盛んにやっています。近年では「功名が辻」で多くの観光客が訪れました。もしドラマ化が決定すれば、また多くの人が訪れることになるのでしょうね。
史跡案内 「史跡観音寺城跡を探る」に参加しました
風邪気味な体調をおして、楽しみにしていたイベントに参加するために安土町にやってきました。紅葉真っ只中冬もすぐだというのに安土城考古博物館の前にはひまわり!?が咲き誇っていました。
今回のイベントは同博物館で開催中の特別展「天下人を祀る」の鑑賞と、裏にそびえる観音寺山の散策です。
特別展鑑賞の前に、観音寺城の調査概要の説明がありました。今回は120名の参加ということで、非常に関心が高いです。滋賀県教育委員会では昨年度まで安土城跡の発掘調査を(18年間)実施し、来年度までに報告書をまとめる予定ですが、今年度から4年計画で観音寺城の石垣遺構の現況調査と一部発掘調査を行う予定とのことです。
展示のほうは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、3人の天下人が「神」として祀られる経緯に関する内容で、秀吉の豊国神社、家康の東照宮はよく知られた存在ですが、信長は・・・私も知りませんでしたが、建勲神社に祀られているそうです。
信長の神格化は直系の後継者がいなかったこともあり、かなり遅れて明治になってからだそうですが、それは明治政府が反徳川の象徴として、子孫の居た天童藩と天皇の膝元京都で神社を建立したことに始まるようです。
昼食後12時過ぎに博物館前に集まっていよいよ出発です。
今回のコースは、「桑実寺」→「伝本丸」→「伝平井丸」→「今年度発掘現場」→「観音正寺」→「伝布施淡路丸」→「大土塁」→「繖山三角点」→博物館となります。
桑実寺の山門で説明を受けているときに雨がパラパラと降りましたが、後は天候が持ちました。
桑実寺を出ていよいよ本丸を目指します。風邪気味の体が重いです・・・
伝本丸で説明を受けました。
観音正寺の境内は紅葉の真っ只中で、とてもきれいでした。
伝布施淡路丸へは初めて行きましたが、立派な石垣が郭を巡るように残っており、見ごたえがあります。
少し戻り、繖山で最も高い場所である三角点を目指します。途中佐々木城址の石碑の場所を教えていただきました。(道から少し入るのでわかりにくい場所です)
ここからの道は1人がやっと通れる山道を進みます。
三角点にようやく到着しましたが、ここからの眺めは最高ですね。雨が降ったために霧がかっていたのが残念でした。
三角点から博物館までの道は永延と下りでした。これがまたきつかった。
しかし、途中眼下に安土山を鳥瞰することができ、すっきりと晴れた日にもう一度ぜひ見たいと思わせる景色でした。
帰ってきた頃には風邪は少し治ったような感じでしたが、気のせいだったようで・・・。来年もまた予定を空けて参加したいです。
映画レッドクリフ パート1
今日は仕事を終えて映画館へレイトショーを見に行きました。久しく映画は見ていなかったのですが、最近よく「レッドクリフ」のCMを見るので、どんな洋画かと思っていましたが三国志だというので、「レッドクリフ=赤壁」か、ということでやっと繋がりました。
今までいくつもの映像化された三国志を見ましたが、どれもピンと来ませんでしたが、さすがに総制作費100億円のハリウッド映画だけあって、迫力ある映像は文句のつけようがないですね。
欲を言えば、関羽と超雲のイメージがちょっと違う。こちらは地元中国制作ドラマのほうがぴったりでした。一回で終わらないということはまた三部作か?と思ったら、前後編二部作ということで、赤壁周辺の事件しかやらないようです。後編は4月ということで、前売券を買って楽しみに待ちましょうか。
虚空蔵山に散策路 交流人口拡大、活性化狙う
能美市の市民グループ「能美の里ファン倶楽部」は16日、同市和気町の虚空蔵山にある中世の山城跡と城主の菩提寺跡などを結ぶ散策路の整備に乗り出す。同山周辺では市が中山間地と都市部の住民が触れ合う里山公園の整備を計画しており、歴史ロマン漂う道を新たに設けることで交流人口を拡大し、周辺地域の活性化につなげる。
散策路を整備するのは虚空蔵山城址から城主の菩提寺である徳山寺の跡地に至る約1.3キロ区間。年内の完成を目指す。市立博物館などによると、同城は戦国期、一向一揆の拠点となっており、金剛寺行松らが城主を務めたが、織田信長勢に滅ぼされたとされる。周辺には落城の際に戦死した武士を埋葬した「群集墳墓」があり、散策路は墳墓を見学できるように設ける。城址から徳山町のいしかわ動物園を結ぶルートの整備も予定している。(北國新聞2008年11月12日付記事より)
金沢検定 中級に挑戦!
曇りがちな天候の中、第4回金沢検定が実施されました。会場はいつも同じ金沢大学を選択しましたが、校舎が昨年よりも遠かったので着いたときはぎりぎりになってしまいました。
校舎に入ってから教室までも随分遠く、初めて入ったところでしたが、立派な校舎を建てたものだと思いましたが、ゆっくり見てる時間もないので、足早に教室を探します。
中級の会場となる教室は定員50人です。
すでに会場入りした中級受験者たちは初級とは違い、参考書をめくっている人はほとんどいません。余裕なのか?諦めなのか?やはり全体的に年齢層は高いようです。
新聞報道によると、今回は過去最多の3051人が受験(上級107人、中級482人、初級2462人)したようで、上級は初めて100人を超えました。年齢層も幅広く、ジュニア検定からステップアップする小学生もおり、確実に金沢に広がっているようです。
今回は試験勉強の時間がほとんどとれず、日頃の成果を試すのみでしたが、やはり不得意な文学と伝統工芸分野は難しく、来年再挑戦!ですね。
ちなみに結果は今月末までに郵送されるそうです。60点台かな?
石川門 オレンジ色にライトアップ
児童虐待防止を訴えるオレンジ・リボンキャンペーンが8日行われ、金沢城石川門がイメージカラーのオレンジ色にライトアップされた。キャンペーンは、11月の児童虐待防止推進月間にあわせて行われた。(北國新聞2008年11月9日付記事より)
ライトアップされたのは石川櫓の東側1基のみでした。写真の櫓正面のライトと側面のライトの色が違うことが分かるでしょうか?
金沢城河北門復元 二の門櫓の隅柱立つ!
現場説明会のあと、河北門の復元の様子を見に行きました。
今日は運良く二の門櫓の隅柱を立てていました。三隅はすでに立てられており、東北の隅柱が最後でした。クレーンで柱材を持ち上げ、慎重に慎重にはめ込みます。釘を使用しない工法を採用しているので、最後は木槌で叩いてはめていきます。
結局最後まで見て20分ほどいたでしょうか。貴重な場面を見学できました。
今日は金沢城と兼六園がライトアップされる日でもありました。夜景はなかなか上手く撮ることができません。それでも何十枚も撮ってくれば数枚はいいものがありました。金沢城石川門櫓は昨年に引き続き、1日限りのオレンジライトアップでした。
金沢城本丸北側庭園遺構現場説明会
先日の新聞報道にあった「金沢城跡埋蔵文化財確認調査現地説明会」に行ってきました。ここ金沢城本丸の北側斜面の発掘調査は昨年度から続いていますが、昨年度は発表するほどの成果が得られなかったため見送りとなり、今年度は本丸庭園跡と考えられる成果が見つかったので今日の現地説明会となりました。
10時ちょうどに着いたものの、怪しい天候と強風により3分前に始まってしまっていました。最近の金沢城の現場説明会には毎回80名ほどの人が集まりますが、今日もやはりそのくらい居たでしょうか。
今回の成果の第一はこの石です。明らかに人によって加工された跡が見られます。
他の目立つ遺物はこの2点ですが、この場所は平たい石が多く出る場所で、それは石垣の栗石などとは違う趣があるようです。
この場所は明治の陸軍管轄時代に掘削された部分であり、そのため、上から掘り下げる必要なく断面を発掘できる場所と特徴上今回の成果につながりました。文献のほとんどない初期金沢城の解明につながることが期待されます。
金沢城最古の庭園遺構
石川県金沢城調査研究所は5日、金沢城跡の本丸北側で、1621-31年の間に造られたとみられる庭園の遺構を確認したと発表した。1634(寛永11)年から作庭された玉泉院丸庭園より古く、城内の庭園の遺構としては最古となる。泉水(池)跡とみられる皿状のくぼみや、泉水の護岸に置かれたとみられる自然石、石造物などが見つかった。同研究所では、初期の本丸の土地利用を知る貴重な手掛かりの一つになるとしている。(北国新聞2008年11月6日付記事から)