本日18時20分、ちょうど夕食をとる準備をしていた時でした。
朝から少し調査が悪そうにしていた「うさ」ですが、どこか息苦しそうにしていました。
暑いのかなと思い、冷房で温度を少し下げてみたら動くようになりましたが、相変わらず息苦しそうも鼻をヒクヒクしています。
家に入り、そこから顔を出していましたが、突然跳びだしてきてバタリと横になってしまいました。
失神したようになり、そのまま息をひきとりました。あっという間の出来事で何できませんでした。
先々月に4歳の誕生日を迎えたばかり。まだまだ青年期真っ只中のはずだったのに。
思い出すのは愛くるしいうさの表情だけです。昨日まではあんなに元気に走り回っていたのに・・・、もう散歩させてなでてあげることもできません。
ポッカリとあいた心の穴。初めて抱いたうさはまだ温かく、初めてうさの重さを感じました。
唯一の幸いは自分が自宅にいる時で、その最後を看取ることができたことです。
亡骸は、うさの好きな干草のベッドを作って、大好きなえさを一緒に手厚く葬りました。
そして、
このブログ「うさぎと一緒の毎日」も、この日記を最後に今日で終了することにします。
うさ、今日までありがとう、そして、さようなら・・・
投稿者: Tadashi
加賀藩十村役 多川家
先日帰りの寄り道で見つけた気になる場所に行ってきました。
そこは白山市の郊外、普段なかなか通ることのないような場所にあります。加賀藩の十村役であった多川家です。
塀で囲まれたその宅地は1200坪!ちょっと寄るような人はなかなかいないようで、入口の立派な長屋門のところでインターホンを押して入るというところは、のどかなものです。
見学料は500円。長屋門のとなりに新築したという大きな土蔵の中に展示室、そして母屋の中を見学できます。今日は偶々出てきたご当主に入っていくように誘われ、そのままいろいろとご付き合いいただきました。
長屋門の横には藩主が来たときに通る御成門が堂々と立っています。藩主は天井のある門は通らないそうです。
展示室のなかはさすがに400年続く名家だけあって、県立の博物館にもないような絵図、古文書、などの文物が所狭しと並んでいます。ご当主によると、6月と10月は団体客で賑わうようですが8月は暇ということで、今日など盆休み前の昼などは誰も来ないようです。
展示物には、前田家江戸上屋敷の御殿絵図や、役目で赴任していた頃の魚津城絵図、親知関所絵図、高山城絵図、さらに加賀藩主より拝領したという書状や甲冑、御殿の織り上げ格天井の一部などなど、ただただすごいの一言です。
母屋のほうもさすがに豪農であった頃の威光が残っています。管理が大変そうですが・・・
自分は今日までこんなにすごいところだとは思っていませんでした。白山市も松任市であった頃から多川家を観光スポットとして宣伝に力を入れていたとは言えませんし、交通の便がいいとは言えないので、バスや電車ではいけないところですが、地元の方にもたくさん見て欲しい場所ですね。
宮保館跡 再訪
すでにお盆休みの方もいるでしょうが、私はまだ仕事です。今日はシフト勤務となり、午後からの出社であったので、少し早めにでて、先日来た宮保館跡発掘調査現場にやってきました。
まずは隣りの宮保B遺跡を見学します。今日はブルーシートが外されており、遺跡がよく見えますが、昨日の雨により水溜りができています。
溝跡の様子もよく見えます。
遺跡中央部には石列と思われるものも見えます。
線路を挟んだ宮保館跡を見てみましょう。看板から右斜め方向に溝跡が見えます。
こちらは大勢の方が発掘調査の作業中でした。
石敷きのような遺構が見えます。
堀跡やその先の柱跡もよく見えそうですが、作業中邪魔してはいけないので、今日はここまでにしました。
石川県立自然史資料館 企画展「人とトンボ展」
本日は昼から1箇所のみゆっくりと行ってきました。外は雨模様です。
湯涌の手前、北陸大学下に石川県立自然史資料館があり、今回初めて行きました。
目的は、企画展「人とトンボ展」を見ることです。市内各所で配布されているチラシの中央には兜、これを見たかったのです。
夏休みということもあるのでしょうか?館内には子供達の声が響いています。といっても、企画展の展示室には誰もいませんでした。
ゆっくりと見学できました。トンボが描かれた最も古い展示品はこの銅鐸です。
十字にようになっているのがトンボだそうです。言われないとわかりません・・・
こちらがトンボの前立てのついた兜です。直江兼続のものもありますが、輸送費など折り合いがつかず出展できなかったそうです。
トンボは季節の風物詩として日本では非常に愛されている虫ですが、西洋では不吉なシンボルとなっているそうです。意外ではありますが、私のまわりでも子供の頃は群れるように飛んでいましたが、最近はたまに見る程度です。
展示室を後にして、本日開催されていたイベントに参加してきました。親子連れでいっぱいの部屋に大人一人は自分だけでしたが、これも楽しみにしていたので参加します。
白、黄、青、緑、赤の5色の粘土消しゴムが渡され、サンプルや図鑑を見ながらトンボを作成します。
こちらが完成品です。始めにシオカラトンボを作りましたが、粘土が余りましたので、それで赤トンボをつくりました。なかなかうまくできたと思いますが、後で考えると口を作り忘れました。久しぶりの粘土遊びはとても新鮮で楽しかったです。
当館は展示室もイベントも無料です。子供たちも楽しそうでしたので、夏休みの思い出にも良いのではないでしょうか?粘土消しゴムのイベントは8月の日曜日、あと3回開催されますよ。
金沢博物館まわり
今日は金沢市内をまわります。
始めに徳田秋声記念館に行きました。今年は島田清次郎生誕110年だそうです。
そこで今回の企画展は「島田清次郎展」です。大正のベストセラー「地上」は読んだことありませんが、展示では清次郎の栄光と挫折の軌跡を知ることができました。
さて、次の訪れたのは泉鏡花記念館です。
同館では現在企画展「下新町物語」です。今年11月1日に同館のある旧下新町が町名復活することを記念する企画展で、鏡花の小説に登場する下新町の様子や昔の写真などを見る事ができます。
以前地元新聞にも掲載されていた、本企画展開催を契機に預かった、明治の大火「味噌蔵焼け」当時の様子など珍しい写真も展示されています。
新町から城内に向かってまっすぐに道が整備されており、大手門に続いています。
さて金沢城を見学し、本多の森へ。始めに、石川県立美術館に寄りました。
同館の尊経閣文庫分館では、現在企画展「平安時代の儀式書」を開催中です。
先々週同館で開催された講演会に関連した宮中行事の儀式書である三書を中心に展示されています。国重文「西宮記」、国宝「北山抄」、そして「江次第」ですが、講演会でも聞きましたとおり、そのまま見ていても何が書かれているのか?またどこか重要なのか?はさっぱりわかりませんね。
それでも、先日の講演会のおかげで少し楽しめましたよ。数年に一度と言われるとても貴重な史料の展示ですので、これを見逃すと次はいつか分りませんよ。興味ある方はこの機会にどうぞ。
美術館を出て、石川県立歴史博物館へ向かいます。同館では現在夏季特別展「春日懐紙・春日本万葉集とふるさとの文芸」が開催中です。
先月国重文に指定された「春日懐紙」17点を記念した特別展ですが、今日はその記念講演会もありました。いつもながらに大勢の方が来ています。万葉集というテーマもあってか珍しく若い女性もいました。(いつもは年配の方ばかりなので・・・珍しい)
「懐紙に隠れた万葉集 -春日懐紙・春日本万葉集 変転の歴史-」とテーマで、文部科学省教科書調査官である田中大士氏による講演でした。田中氏は春日懐紙の研究の第一人者であり、今回の重文指定においてもその影響力著しい方だそうですが、春日懐紙の「どこ」が「どう」すごいのかを楽しそうに話していました。
おかげでその後の展示観覧が少し楽しめました。
博物館を後にして、隣の藩老本多蔵品館に行きました。特別展「天地人と本多家 関ヶ原から大坂の陣へ」が始まり、テーマはNHK大河ドラマの盛り上がりに期待すること大ですが、特別展の展示スペースは相変わらず少ないです。
実際の展示も写真パネルが多く物足りないのですが、本多家に関係する青地家(のちに加賀騒動に関係する)が近江青地城の城主の家であり、本能寺の変により没落して浪人となったという事実を始めて知りました。青地城址は数年前に行ったことがあったので、意外なところでつながるものだと思いました。
まだまだ陽も高かったので、初めて石川県立伝統産業工芸館に行ってきました。同館では企画展「六〇〇年の伝統の技 美しき加賀繍の世界」を開催中です。
金沢には他県がうらやましがるほど多くの伝統工芸がありますが、ここではその展示と販売を同時に行っているようです。今回の企画展の展示物のなかにも販売されているものがありましたが、自分にはとても手にできる様な値段ではありません。しかし、いずれは他の工芸品も含めて何点かは欲しいですね。
同館は兼六園の小立野口に隣接しているのですが、ここにあることをすっかり忘れていました。
帰りがけに廊下に展示された松平定信筆の「兼六園」の扁額が飾られていました(複製かな?本物は金大にあったような気が・・・)。思った以上に大きな扁額です。
金沢城鯉喉櫓台石垣工事進む
河北門、玉泉院丸跡に引き続き、いもり堀鯉喉櫓の状況をみてきました。
ショベルカーの背後にあった石垣用戸室石は随分と数が少なくなっています。
石垣を囲む足場も東側は組み替えられ広げられていました。
裏込石がたっぷりと入れられた櫓台は、北側に盛られた高さに近いくらいに詰められていました。
南側の石垣も数段進み、隅石に限っては三段ほど積まれたでしょうか?
前から見ると、足場が邪魔で見づらいですが、下の位置からは1メートルほど積まれ、予想以上に工事は進んでいるようです。
金沢城玉泉院丸跡に行ってみたが・・・
今週新聞報道で泉水庭園の石垣が発見されたということで、遠目にでも見えるかなと期待して行ってみた。
が・・・・前日の雨により、発掘調査現場にはブルーシートが被されていました。先日の手前の穴も本格的に発掘が始まっていました。
また後日の楽しみですね。
金沢城河北門復元のいま
河北門一の門は海鼠塀がいつの間にか完成しており、柱に被されていたシートも外されていました。真新しい木が見えています。
本日から金沢城三の丸では「金沢城オペラ祭」が開催されており、いつも以上に賑やかです。
二の門の見学に行くと、やはり外見は替わり映えしませんが、よく見ると、隅柱には鉄板が巻かれています。黒々としていて全容が楽しみです。
今は屋根に鉛板を巻く作業が中心のようです。
金沢城玉泉院丸跡 泉水の石垣出土
金沢城玉泉院丸跡の整備計画に伴う石川県の埋蔵文化財調査で6日までに、庭園跡地から石垣の一部が見つかった。泉水(大きな池)の護岸部分とみられ、遺構の状況が江戸後期に作られた複数の金沢城絵図と一致した。金沢城調査研究所は「庭園や泉水の規模などを知る調査の貴重な一歩」としている。
玉泉院丸跡地で庭園の遺構が確認されたのは初めて。石垣が見つかったのは、庭園があったとされる旧県体育館の敷地の一角。地表から3.5メートル掘り下げたところに、60~70センチ角で奥行き1メートルぐらいの戸室石が延長約4.5メートルにわたって積まれているのを確認した。(北國新聞2009年8月7日付記事から)
都内23区の城館 渋谷城
渋谷警察署の裏通り、表通りの喧騒が嘘のような静かな場所に金王八幡宮があります。
この神社は澁谷氏の祖である河崎基家の創建と言われる。基家が後三年の役での活躍により、源義家からこのあたりの土地を与えられ、ここに居館を構えたときの鎮守社として祀られたようである。
境内は回りを住宅用地に削られて広いとはいえないが、それは社殿の奥に高層ビルが立ち並ぶ光景も影響しているのかもしれない。
現在の社殿は春日局が日光東照宮を模して造営したというだけあって絢爛豪華である。
その社殿の前に、渋谷城の城石として一つの石が置かれている。渋谷城は砦跡というよりも居館跡というほうが正確かもしれない。この石も居館の石積みに使われていたものであろうか?